ある日のこと。
花咲か爺さんが話題に上った時に、息子が勢い良く言いました。
「僕、これ知ってるよ!
花咲か爺さんは花を咲かせるんじゃなくて、
" 花が咲く時 " を知ってるんだよ」
その直後にその続きの言葉が私の頭の中に響きました。
「花を咲かせる時は決まっている。
花が咲くまでに、必要な水分や養分をどれだけ自分に染み込ませられるか?
それでどんな花を咲かせるかが決まる」
そもそも花が咲くのか?
自分という花をどの様に咲かせるのか?は自分次第なんだな、と思いました。
誰にも、自分がどう咲き誇るか?には無限の可能性を秘めていて。
地面の中でどう根を張り吸収するのか?
降り注ぐ陽光を受け止めて力に換えていくのか?
ひとつひとつの選択で現実に咲く花はいかようにもなる。
こうやって、いつも息子は投げかけてくれます。
「お母さんはこの世界でどう輝くの?」
この問いかけは、私だけでなく全ての人に問われているのだと思います。
様々な事が変わろうとしている今。
この貴重な今を生きる、命全てに投げかけられていることの様に感じます。