昨日、息子に突然聞かれたのです。
「お母さんのじいじが死んじゃった時、どうだった?」
祖父達は私の記憶の中では突然にいなくなり、実感がなかったことを知る。
悲しむ間もなく、いなくなってしまった。
「あぁ、私はちゃんと悲しんでなかったんだ」
そう自覚した途端に涙が溢れてきました。
同時に祖父達に愛され、大切にされていた記憶も蘇りました。
そして今朝の息子のお話。
神様の言う通り(天命に従う)に生きていけば苦しまないで死ねるよ。
友達を作ったり、結婚したり、お母さんにとって僕みたいに(子どもを)育てたり、沢山の人と一緒に過ごしてその時を迎えるんだよ。
いっぱいの愛のプレゼントを渡していって続いていくんだよ。
昨日お母さんにじいじが死んじゃった時どうだった?って聞いたでしょ?
聞いた意味、分かるでしょ?
ここまで聞いて、息子は私が祖父から受け取っていた愛をしっかりと認識させてくれたのだなと感じました。
同時に、このような息子とのやり取りは私達親子が愛の交換をしているんだなと沁みました。
何気ない毎日の行動には必ず、愛が常在菌のように付着していて。
少しずつ、蓄積されて増殖もしている。
それは家系で脈々と受け継がれているものでもある。
そうやって私達は日々愛(菌)を循環させながら命を繋いでいる。
ただ、それは必ずしも血縁に限ったことではなく。
ご縁で繋がった関係全てに渡していけるものだと私は思っています。
私のおむすびも、こうやって綴る言葉にも、愛という名の菌を付けて増殖させていきたい。
そうやって、循環させたいなと思った。
息子はこう付け加えた。
魂が身体を作っているんだよ。
魂が身体を作るのであれば。
魂か綺麗ならば、年老いたとしても若々しく、美しいのだろうなと思った。
それは造作的な美醜のことではなく、優しい輝きなのだろうなと。
そう思うと、大人になると外見年齢があてにならなくなるのも納得できる。
私自身も若々しく、息子が自慢できるお母さんであり続けたい。
こうして息子が日々伝え、教えてくれることで起きる愛の循環があるのだなと思いました。
息子との愛の循環は、私にとって天命なんだと思います。
私と息子にかかった「命の架け橋」をもっと沢山世の中に広げていけたら。
そんなことを祈ります。
息子へ。
生まれてきてくれてありがとう。
お母さんと一緒にいてくれてありがとう。
息子にありったけの愛を込めて。