イギリス在住19年目ライフコーチ
『インスピレーショナルアドバイザー』
関口晴美


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19歳で日本人と結婚をして
3人の子供たちを連れて30歳で離婚
32歳の時に子連れ国際再婚
37歳でイギリス人夫と離婚をして
イギリス暮らしを続けてきましたイギリス



30歳で離婚をすると決めた時から
不思議なことに
自分の望みがどんどん叶い
気付いたら
欲しいものを引き寄せていました。



だけどそこに到達するまでは
数えきれないほど涙を流し
辛くて苦しい経験もたくさん味わい
ホームレスになったこともありました。



人生ですごく辛い時期がやってきても
実は思考と行動次第で
それをひっくり返し
望みを叶えることは可能なんです。




そんなマインドセットを
私と話しをして
あなたも手に入れてみませんか?

あなたの人生観が大きく変わりますよ。



私とお話ししてみたいと感じたら
まずはこちらまでご連絡ください。



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インスピレーショナルアドバイザーの

関口晴美です。

 

 

 

イキイキとした自分が望む人生を

手に入れられるよう

あなたの背中を後押しする

お手伝いをしています。

 

 

 

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私の母は29歳でシングルマザーとなり

私は30歳でシングルマザーになりました。

そして、お互いにそれ以降

幼い子供たちを育ててきました。

 

 

 

それぞれが

決断したことの経緯と結果、

また行動したこと、しなかったことで

人生がどのように変わってしまったのか

 

 

 

私と母の人生を比較しながら

その相違点を

今日から少しずつ

お話ししていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

私の父は

私が2歳10か月の時に

心筋梗塞で突然この世を去りました。

父が31歳の時でした。

 

 

 

その日

仕事から帰宅し

いつものように夕飯を食べて

私とお風呂に入ったあと

いつもと同じように家族で就寝。

 

 

 

その数時間後…

 

 

 

物音で目が覚めた母が

部屋の電気を点けてみると

苦しそうに胸をおさえた父が喘いており

救急隊が到着した時は

すでに心肺停止の状態で

処置はできなかったと聞かされました。

 

 

 

それから数年後…

どんな経緯があったのか

私にはわかりませんが

 

 

 

母は宗教に出会い

そしてそれが

私と母の親子関係を壊す

きっかけとなっていきました。

 

 


その宗教では

イタコのように死者の魂を

霊媒師の体に取り込み

亡くなった人と話ができたため

そこに母は惹かれたのだと思います。

 

 

 

最後の言葉を交わす間もなく

あっという間に

この世を去ってしまった父と

こうやって会話ができることは

母の心の拠り所となっていきました。

 

 

 

 

 

 

 


母や私が顔を見せに行かないと

「父が寂しがる」

 

 

 

供養されていない

先祖の無念が家族を襲っていて

「私にも母と同じ不幸が訪れる」

 

 

 

そんなことを

周りから言われ

怖くなった母はますます

宗教にのめり込んでいきました。

 

 

 

その当時

日本は週休1日制

保母だった私の母も

土曜日は働いていました。

(週休2日制になったのは1992年から)

 

 

 

だけれど母は私を連れて

電車とバスを乗り継ぎ

たった1日の貴重な休日を

毎週そこで過ごしていました。

 

 

 

そのため私は

子供の頃に親子で休日を

楽しんだという記憶がありません。

 

 

 

中学生になり

世の中のことが少し見えてくると

母の行動に疑問を持つようになり

私は日曜日に

母と外出することをやめました。

 

 

 

母のしていることに

いつか私が

心から感謝してくれる日が来る

と母は思っていたようですが

 

 

 

時間が経てば経つほど

私は母を避けるようになり

ある日、母に対する私の不満が爆発。

すると、ものすごい勢いで母は怒鳴りました。

 

 

 

「おまえのために

自分の人生を犠牲に

先祖供養をしてきたのに

何故それをわかってくれないのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

夫を早くに亡くし

幼い子供を育てるため必死だった母。

わずか2歳だった私は

母を精神的に支えることはできず

母の心の寄りどころはこの宗教でした。

 

 

 

母は先祖供養をすることが

私に対する愛情で

不幸から私を守るためには

宗教以外の手段はないと信じていました。

 

 

 

でも私は

子供時代に

父親からはもちろん

母親からも愛情を注がれた記憶がなく

 

 

 

そのため他人と

コミュニケーションをとることが出来ず

小学校に入学してから高校2年生まで

いじめにもあっていました。

 

 

 

何度死ぬことを

考えたかわかりませんが

いつも

そんな私を思いとどまらせたのは

母の存在でした。

 

 

 

愛情を受けた記憶はないけど

苦労しながら

必死で私を育てている母のことを思うと

涙がこみあげてきて

自分自身に

手をかけることはできませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校を卒業し

東京の大学に行きたかった私に対し

私を手放したくなく

地元で就職してもらいたかった母。

 

 

 

何度も喧嘩しましたが、

結局

私は母の言うことを

聞くしかありませんでした。

 

 

 

でも皮肉なことに

それから2年もしないで

勤務先で出会った日本人夫と

結婚するために

母の元を去ることになりました。

 

 

 

私が19歳の時でした。

 

 

 

30歳で元夫と離婚をして

東京で暮らし始めましたが

この離婚に協力してくれた母は

私が母を頼らずに

福島から東京へ移ってしまったことが

かなりショックだったようです。

 

 

 

父が亡くなった時

母方の祖母が

定期的に母のところへやってきて

経済的な支援はもちろん

生活面でのサポートもしてくれていました。

 

 

 

だから母も

私がそうするものだと

思っていたのかもしれませんが

私は離婚後

母を頼ることは考えていませんでした。

 

 

 

むしろ身よりのない

東京という未知の場所で

親子4人笑顔で楽しく暮らしたいと、

そればかりを想像していました。

 

 

 

(次に続きます)

 

 

 

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【母と私の相違点】

 

・母は父が亡くなった時、

祖母を頼りにして生計を立ててきた。

・心の拠り所は宗教で

それが子供への愛情だと信じていた。

 

・私が離婚をした時、

最初から誰も当てにすることなく生きてきた。

・心の拠り所は親子4人の幸せで

親子で過ごす時間が私が示す子供たちへの愛情。

 

 

 

『母と私』の全記事はこちら

 

 

 

 

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もし自分が今

悩んでいることがあれば

何がそう感じさせているのか

自分の心に質問してみてください。

 

 

 

その答えは、

間違いなくあなたの心の中にあります。

 

 

 

「自分を変えたい、だけど

どうやって変えたらいいのかわからない」

 

 

 

と悩んでいる方はご連絡ください。

 

 

 

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