こんばんは!
luciaです♡
今日は
私と大好きな母との思い出について
書きたいと思います^ ^
私の母は
優しくて
面白くて
あまり怒ることもなく
入学式、運動会、卒業式、成人式…
子供たちの成長に感動しては泣き、
いつもどんなときも
私の味方でいてくれるとても優しい母でした
私が前の旦那さんと結婚したときも、
結婚式で両親へのプレゼントを渡す場面で
声をあげて号泣し、
立っていられず、父に支えられてました笑
その後も
私の名字が変わったことを受け入れたくなくて
○○という名字は私の名前に合わない
と、拗ねて言っていたし笑、
結婚式の翌日から1週間は
寝込んでしまい、家事をボイコットしていた
と、父が言っていました笑
そんな母が私は大大大好きでした❤️
でも後から
母が私の結婚式で号泣したのは
ただ寂しかったからではなかった
と知りました
母は50歳くらいのときに
パーキンソン病だと診断されていて
それを私たち子供には心配かけたくないと
しばらく黙っていたのです。
私が結婚したのは母が55歳のとき。
母があんなに泣いたのは
ただ寂しいからではなく
病気で不安だったから…
高校を卒業してから
一緒に住んではいませんでしたが
長女である私が
少し遠くへお嫁にいくのが
想像した以上に病気の母には
辛かったようです。
そのことは、
母からパーキンソン病だと知らされた後に
聞かされました。
それから少しずつ、
母は身体の自由がきかなくなっていきました。
車の運転をやめ、
荷物を持っていると歩きずらくなり、
手が震えて料理ができなくなって、
少しずつ腰が曲がって…
それでもなんとか
自分のことは自分でできていました。
あるとき、私が実家に帰っているときに
階段を踏み外し、大腿骨を骨折
一緒に病院に付き添ったとき、
ベッドに横たわった母に、袖をつかまれ、
「寝たきりになってしまうかもしれない…」と
とても不安そうにすがるような目で言われ
「大丈夫だよ…」
と、なんとか答えたのを今でも覚えています。
それから入院してリハビリを行い、
母は退院し、なんとか寝たきりにはならずに
すんだのですが、
少しずつ自分のことができなくなることが
増えていきました。
そんな母を見るのがとても辛く
でも何もしてあげられることがなくて
とにかく頻繁に母に会いに実家に帰っていました。
心配で心配で
会いたくて仕方なくて…
なんだか長くなりそうなので、続きはまた次回にしますね