母からの最後のプレゼント | 自分が主役の人生を生きる♡自分が変われば人生は変わる♪LOVE LIFEクリエイターとして願いを叶える私の日常の学びと気づき❤︎

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自分で自分を幸せにすると決意し、心理学、脳科学、量子力学、引き寄せの法則、コーチング、フラワーエッセンス、レイキ、ルノルマンカードなどを学んでいます。私の学びと経験がいつか誰かのお役に立てるはず!願いを叶えて皆に勇気と希望を与えます♪



こんにちは^ ^



luciaです♡






前回のつづきです。








母が少しずつ、身体の自由がきかなくなり、




ヘルパーさんも必要とし始めるようになった頃、




父から母が入院したと連絡がありました。







1ヶ月ほど前に会ったときは




元気そうだったので、あまり心配せずに




お見舞いに行きました。








でもそこで




お医者さまに呼ばれ






母が誤嚥性肺炎であること





母の寿命についても考えたほうがいいこと




を告げられました。







母が病気であることは知っていたけれど




寝たきりになる日がくることも覚悟はしていたけれど




こんなに早くお別れすることになるかもしれないということは




全く思っていなかったので




すご〜くショックで現実を受け入れるのに時間がかかりました







私が幼い頃から



想像して1番恐れていたことが



現実として起こることを覚悟する日が



こんなに早く来るなんて…。







母は入院してから



家に帰りたいといつも言っていました。





母は入院のストレスから





私が娘であることを認識できるときがほとんどなくなり




話すこともほぼできなくなっていたのですが




ベッドに座らせると




歩けないのに




必死で立とうとして




「家に帰る」




と小さな声で何度も言っていました。








そんな母の願いを叶えてあげたいビックリマーク




そう思って





私は介護休職をとることにしました。





母を家に帰らせてあげるためには




ずっとそばで面倒見れる人が必要だったから。






そして何より




私が母のそばにいたかったから…。







それから



私は休職し、実家に帰り、毎日母の病院に通いました。




オムツ交換や胃瘻のやり方、車椅子移乗などを




看護師さんから習って





一刻も早く、母を家に帰らせてあげられるように…








一時期母の状態が少しよくなり



そろそろ帰らせてあげられるかも



と言われたときもあり



思っていたより長く母と一緒に家での時間を過ごせるのかも



と期待したりして。






そんなある日




私の実家付近では記録的な大雪雪に見舞われ




一般道、高速道路、全てが通行止め




陸の孤島となりましたあせる






その次の日




病院から




母の状態が悪くなり




個室に異動すると連絡があり




大雪の中、父と2人、普段は歩いて40分ほどの道のりを




1時間半ほどかけて、必死で歩いて病院へ向かいました。










いつ何が起こってもおかしくない状況です。




と、先生に告げられました。








それから私は家に帰らず



母の病室に泊まり込み、ずっと一緒にいると決めました。





大雪だったこともあり




しばらくは誰もお見舞いに来れず




私は母と2人きり




病院の個室で雪景色を見ながら過ごしていました





家に着替えをとりに行くことも



お風呂に入りに行くこともせず…






その場を離れるのが怖かったのと



残された母との時間を



一分一秒も無駄にしたくなくて…





私は母がいなくなったら



生きていけるだろうか…




そんなことを考えながら



毎日泣いて



眠れない日を過ごしていたら





看護師さんや先生に



私の精神状態が心配だから



1度家に帰ったほうがいいのでは?



と勧められましたが、





私はどうしても母を1人で逝かせたくないんです。




と言って、断りました。







看取りたかったら



ずっと一緒にいるしかない



いろんな患者さんを診てきたけれど



家に物をとりに行ったほんの少しの間に



亡くなられたケースも多くあると。



家族がくるまで待っていたなんて話は 



ドラマの中だけです。




と、先生に言われたときに



私は絶対母のそばを離れない



と決めたのです。







私は病室にあるトイレに行く時でさえ





「私が戻ってくるまで絶対待っててね!」





と母に言い聞かせて





無理矢理頷かせて行っていました笑







母が個室に異動して




10日ほど経った夜中




ウトウトとしていたら




看護師さんがやってきて




母の心臓の動きが遅くなっている




と言われ、





私は眠れなくなりました。





前日くらいから母の意識はなく



もしかしたらお別れのときが近づいているかもしれないと覚悟をしながらも



奇跡を信じて祈っていました。






意識のない母の手を握り



今までの感謝の気持ち



母のことを大好きな気持ち



母に伝えたいこと




後悔しないようにぜーんぶ伝えました。






そしたら



母が私の手を強く握り返してくれたのですビックリマーク



意識はないはずなのに…



ちゃんと聞こえてるよって



言ってるかのように…






それから数時間後



母は静かに穏やかに息をひきとりました。



62歳でした。






人が亡くなるのを見たことがなかったので



ものすごく怖かったのですが、



苦しむこともなく、眠るように静かに天国へ旅立ちました天使







私が介護休職をとって3ヶ月ほど。



この3ヶ月は



見たくない現実もたくさんみて



辛いことも沢山あったけれど



それまでの人生で



1番母と一緒にいれた貴重な時間




になりました。






この時間は



母から私への最後のプレゼント花束



だったなと思いますピンク薔薇





母の、家に帰りたいという願いを



叶えてあげられなかったけれど



私の時間を全て母に使うことができて



本当に幸せでしたクローバー





このときばかりは



独身で子供がいなくてよかった〜



と初めて思いました笑






母の病気や死は




私にたくさんのことを教えてくれました。




健康で毎日ご飯が美味しく食べられることが




どんなに幸せなことか




自分の足で行きたいところに行けること




元気で働けること…




世の中には当たり前のことなんて




何ひとつないんだなと思いましたキラキラ





いろいろなことが起きる世の中ですが、



日常の小さな幸せを見つけて



笑顔で明るく生きていきたいですね音譜







読んでいただき、ありがとうございましたラブラブ






今日も皆さまが笑顔でHAPPYに過ごせますようにドキドキ