ここ最近の、夕方ウォーキング時には、公園の桜並木の下でお花見宴会をしている人々が多く
どうか賑やかな宴のあとには、ちゃんとゴミも持って帰ってほしいと願いながら、歩いています。
きれいな場所を汚して帰って欲しくないもんね(^^) 数箇所のゴミ箱が、パック容器や缶類で
溢れていたりすると、ガッカリさせられます。公衆マナーを守れん輩は、お花見する資格なしだろ?!
桜の花がちらほらと咲き始めた頃に、交通事故で命を落とされた女性のご葬儀がありました。
70代初めのおばあちゃまで、ご自宅からほんのわずかしか離れていない道路が事故現場です。
どんな事故の状況であったのかまではお聞きしませんでしたが、すぐに駆けつけられたご主人は
そばに寄り添って名前を何度も呼ばれたそうです。その時はまだ意識がおありだったのか、奥様の
両手をもがくように動かして、何かを伝えたいようにうめいていらした様子が、目に焼きついて
忘れられないと、お話ししてくださいました。
病院に運ばれ、救急処置を施されたものの、数日後に帰らぬ人となってしまわれたのでした。
その間、ご家族はつきっきりでの看護を続けられたはずですから、ご葬儀の日はお疲れもピークに
達しておられたことでしょう。70代半ばのご主人は気丈に振舞っていらっしゃいましたが
細かい打ち合わせには、必ずご長男が付き添われ、ご親族もとても協力的で、お互いに気遣って
無事にお見送りをしようとなさる雰囲気が、痛いほど伝わってきました。
地域活動にも積極的に参加なさり、趣味も幅広い社交的な女性でいらしたようですから
同年輩のご友人も多く、ましてつい数日前まではお元気な姿をご覧になっていた方も大勢いらした
はずです。そんな皆さんがお柩のそばに集まっては驚きと無念の涙を流し、故人の名前を呼んで
お別れの言葉をつぶやいていらっしゃいました。
2~3歳くらいの幼いお孫さんは、おばあちゃんが亡くなられた現実はまだ理解できずに、式場を
走り回ったり、ぐずってはママを困らせたりはしていましたが、そのわずかな明るさがご家族の
支えになっているかのようにも思えました。ご主人は、奥様が事故直後に、何かを伝えたいと
必死で訴えていらしたご様子は、きっとお世話になった皆さんに感謝の言葉を言いたかったのだと
思うから、そのことを紹介して欲しいとおっしゃいました。翌年には金婚式を迎えるはずだったことも
ご自分がどれだけ妻を愛していたかも、閉式の際の挨拶で言いたいけれども、きっと泣いてしまって
うまく言えなくなるかもしれないから頼みたいと、何度も頭を下げてくださいました。
「はい。出来る限りお伝えしましょう・・・。」と、あまりに生々しい表現は避けながらも、ご夫婦の歩みと
ご主人の今のお気持ちを、ナレーションの中に組み込んで、語らせていただきました。
閉式後、お柩の中に花を手向けていただく献花の際には、一般会葬者の方たちにもお声かけをして
ロビーにまで溢れていた大勢の皆様が、また長い列を作って故人との最期のお別れをなさいました。
お柩を霊柩車に納め、ご出棺の際にも、こちらではご挨拶をなさる場合が多いのですが、この時に
マイクを握られたのは、ご主人をずっと支えていらしたご長男でした。
とても冷静に丁寧な口調で、謝辞を述べられた後に、「実はたった一つだけ、気がかりなことがあります。」
と、言葉を続けられました。それは、ご長男から見てもいつも仲むつまじいご両親でしたが
家事や子育てはもちろんのこと、日頃の生活の全てを奥様任せで、一人では何もできないようなご主人を
心配して、奥様がいつも「もし私が、お父さんよりも先に死んだりしたら、いったいどうなるやろうね?」と
口癖のように笑いながら話しておられたことを思い出されたのでしょう。
あまりにも唐突に、それが現実となってしまわれたことを、ご長男自身も戸惑われ、この先しばらくは
一人暮らしとなる父親に対して、どうかご近所や親族の皆さんに力を貸していただきたいと、声を震わせ
涙をこぼしながらのご挨拶でした。大きな悲しみを背負いながらも、とにかく葬儀を行ってちゃんと
見送ってやりたいと言う思いが、慌しさと共にご家族を前へと向かわせますが、人の出入りが落ち着く
初七日法要が終わったあたりから、本当の別離の寂しさが押し寄せてくることを、私は知っています。
いるべき人がいないことの心寒さや、ふいに思いがけず流れ出す涙に、誰よりも自分が驚くのです。
夫や妻の口癖、父や母の口癖は、いずれ必ず現実のものとなる時が来るのかも知れません。
今のうちに出来ることがあれば、一つでも気がかりや心残りを減らして、悔いることなく
静かに眠りに尽きたいと思う、今日この頃・・・・・。
今はまだ、やっておかなきゃならないことが多すぎて、とてもとても死ねないっ