感謝のかたち | 「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

かけがえのない大切な時の流れ・・・
心の窓を開いて望む一瞬の風景を、優しい言の葉で綴ります。


カレンダーをめくって、弥生3月。

ひと雨ごとに温かさも増すはずですが、ここ数日の雨で

寒さが引き戻されたかのよう・・・。気温差で、体調も崩れがちですね。

やたらとくしゃみばかりが続いて、こりゃとうとう花粉症かな?と

心配していたら、どうも風邪の引き始めだったのか、早々に薬を飲んで

早寝をしたら、翌日はケロッとしてました(笑) あ~~、ヨカッタ(^0^)



このところ、90代半ばで御生涯を閉じ逝かれた方々のご葬儀が続きました。

先月末に担当したお見送りは、にこやかな笑顔のご遺影が印象的な

おじいちゃまでした。事務所で確認した書類に綴られた故人のお名前には

何故か初めてではないという感覚が芽生えました。過去に、同姓同名の方を

お見送りしたというようなことでもなく、ご苗字も比較的多いお名前でした。

打ち合わせを始めると、担当者が話の途中で「実は・・・」

「ああ、やはりそうでしたか?!」・・・昨年の秋に同じ式場で、奥様を見送られ

ご葬儀の喪主をお勤めになっていらしたのです。けれども、私はその時に直接

お会いすることはありませんでした。何故なら、このご主人は当時すでに

入院中で参列叶わず、実質はお子さん方が全て取り仕切っておられたからです。

式場でご遺影・ご遺体と対面し、ご遺族とは数ヶ月ぶりの再会となりましたが

「その節は・・・」と、いつものような緊張感もなく、若干親しげに、思い出話も

笑いながら聞けるほどの、和やかなひとときとなりました。

大正生まれの男性ですから、混乱の時代を生きるための強さが、「亭主関白」や

「頑固者」と表現されがちではありますが、長年苦労を共にしてこられた奥様が

病に倒れ、寝たきりの状態になってしまわれた後は、それまで奥様がご主人に

尽くされたと同じくらい、食事や身の回りのお世話を日々欠かさず続けてこられた

お姿を、ご家族は驚異と感動でご覧になっていたようです。そんな生前のご様子を

今回はオリジナルの会葬礼状にまとめられ、ご家族の思い出も含め

約一世紀にわたる歴史と共に生き抜かれた故人への感謝の言葉が、切々と

綴られていました。


春色の花々に囲まれて微笑むご遺影は、優しいまなざしのおばあちゃま。

喪主を務められるのは95歳のご主人だと聞きましたから、うまくお話が

伝わるかなと思っていましたらば、杖を携えながらも颯爽と歩いておいでになる

素敵な老紳士でした。ロビーに飾られた、ご家族全員揃いの記念写真を

拝見していると、そばに来て話しかけてくださいました。


「これはね、私の米寿のお祝いの時に、家族皆で写した写真なんですよ。

 この時はまだ、家内も元気でした。子どもや孫たちが全員揃ったことを

 とても喜んでいましてね・・・。」

わずかその数日後、奥様は突然倒れて意識不明のまま、7年あまりの闘病を

続けておられたそうです。謝辞の際に、ご長男が涙ながらに語られた内容には

私もついもらい泣きしそうになってしまいました。

「父は、意識も戻らず、目を開けることも言葉を交わすこともできなくなった

母を毎日欠かさず見舞い、手を握ったり頬をなでてやったりしながら

ちゃんと意識はあるんだと言い続けておりました。もう一度、母が

目覚める時がくることを信じていました。母にはきっと、そんな父の

気持ちが通じていたのだろうと思います。だからこそ、7年もの間を

頑張ってくれたのでしょう。60数年にわたって父を支えてきた母に対して

父が感謝の気持ちを伝えたいと費やした時間を、母も共に生きることで

受けとめてくれたのだと、私たちは感じています。」


現代のように恋愛や結婚が自由ではなかった時代、親や周囲が決めた相手を

一生の伴侶として、結婚後から信頼関係を築いていかなければならなかった

ご夫婦も多かったはずです。夫に従い、家を守り支えて尽くされた妻への感謝を

「愛情」を越えた「人情」で恩返しをされる高齢のご夫婦の姿は、言葉にならない

美しさがあると思わずにはいられません。



高齢のご夫婦のお見送りに立ち会うとき、いつも思い出すのは私の両親です。

若い頃の事故の後遺症で、亡くなる前の数年間は身体が不自由になって

しまった母に対する父の日常の態度は、子どもの私の目から見て、決して

優しい労わりは感じられませんでした。入院中、突然の心臓発作で

そばにいた私ですら言葉を交わすこともなく息を引き取った母でしたが

特に動揺することも体調を崩すこともなかった父に、不信感を抱いたことも

ありました。

ところが、今思えば、それまで父が仏壇に手を合わせる姿をそれほど多く

見ていたわけではなかったのに、母の死後、毎朝欠かさず仏壇の前に立ち

なにやらぶつぶつと言っていたことを、この仕事についてあらためて

思い出したのでした。そしてそのぶつぶつが、浄土真宗の「正信偈」や

「表白文」であったことを知り、あれが父なりの感謝のかたちだったのだろうと

つい最近になって理解できたように思います。



愛する人に伝えたい感謝のかたち・・・・100人100様。


「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽