今日は、亡き父の誕生日です。生きていれば、え~~っといくつになるんだっけ?
かなりの頑固じじいでしたけれど、幼い頃の思い出は、いいことばかりしか
残っていないような気がします。思い出すことも、供養のひとつだよね。
90代男性のご葬儀。ご遺影は、実に穏やかで優しそうなまなざしです。
温厚かつ我慢強いお人柄であったと伺ったそのままが、伝わってくるようでした。
昨年の秋に奥様を見送られ、いまだ悲しみ癒えぬところに、自らもご生涯を
閉じ逝かれたおじいちゃまのご生前の日課を、ご長男から伺い
その情景を想像して、なんともココロがほんわかとしたエピソードをご紹介します。
故人は、大正・昭和・平成の時代を生き抜かれ、当然のことながら
辛い戦争体験もお持ちでいらっしゃいました。陸軍兵として戦場にも赴き
国のために命を落とすことも覚悟しておられたに違いありません。母国の地を
踏めなかった戦友の無念をも胸に刻んで、終戦後は身を粉にして働かれた
ことでしょう。
ご両親やご兄弟をいつも気遣い、ご親族への力添えも惜しまず
的確な助言や援助で、周囲から尊敬され信頼された生き方をなさったことを
姪御さんにあたる女性が、皆さんにぜひ伝えたいと、遺族代表の謝辞に
お立ちになって話してくださいました。4~50名ほどが座られた式場の
あちこちに、頷きながら耳を傾けては涙ぐまれるお姿がありました。
そして、そんな故人に対して親身な看護を尽くし、最期を看取られたご長男と
その奥様に、長い間のご苦労を労い、感謝の言葉を贈られたのでした。
照明をおとして、静かな音楽に包まれて故人を偲んでいただくひととき・・・
ナレーションの一部に、ご遺族への取材で得た内容を取り入れます。
ご長男からお聞きしていたおじいちゃまの日課は、実は毎朝の笑顔でした。
早朝5時頃から起きて、仕事に向かわれることもあるというご長男でしたが
ここ数年来、どんなに不規則であろうと、おじいちゃまはご長男の出社時刻に
合わせて目を覚まし、玄関先まで出てきて、笑顔で見送ってくださったそうです。
「口数も少なく、物静かなオヤジでしてね。ほんとに毎朝、ああして笑顔を
見せ続けてくれたことには、大きな意味が込められていたんじゃないかと
思うんですよ。死んだオフクロは口達者な人だったんで、私はいつも
言い負けしてるようなオヤジの味方をしてやるんですが、そんな時も
コッソリ笑顔で喜んでくれていました。」
悲しい場でありながら、私とご長男も二人して笑顔で話に花を咲かせました。
父親と息子が交わす笑顔に、言葉は要らないし、通じ合う絆も強いはずです。
出棺時のご挨拶でマイクを握られたご長男は、初めは淡々と言葉も続いて
いましたが、途中から口元が震え、涙をこらえるのが必死のご様子。
大切なご家族が、家の中から一人また一人いなくなる寂しさが、実感となって
思いが溢れてこられたのかもしれません。
さて、じゃあウチの両親の日課は?と聞かれて、なにか浮かぶか?!
こうした思い出を残していかれるって、なにものにも換え難い
大切な財産になると思いませんか?・・・・・とっても羨ましい^^;
時ゆるやかに、新たな季節へと向かいます。木々の枝先には春告げの新芽。
満開のお花見を楽しみにしつつ、逝かれた故人も多いことでしょう。
どうぞ、空の上から笑顔でご一緒に・・・。