"Yer Blues" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Yer Blues"

Writers : credited Lennon-McCartney (by John Lennon )

Artist :  The Beatles

Recorded : 1968/8/13,14, 20  EMI Studios

Released : 1968/11/22

      「The Beatles」C面2曲目        

2018/09/11「The Beatles 」Special Edition 

          (2018 Mix)

          (Esher Demo)

          (Take 5 with Guide Vocal)

 

2024年5月10日 追記あり

 <歌詞和訳>"Yer Blues" 邦題 "ヤー・ブルース"
       君のブルース

[Intro]

Two, three(Ringo Starr

[Verse 1]

Yes, I'm lonely wanna die
Yes, I'm lonely wanna die
If I ain't dead already, woo
girl, you know the reason why

    そうさ俺は寂しくて死にたい

    そうさ俺は寂しくて死にたい

    俺が 今まで死んでいないというなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

[Verse 2]

In the morning, wanna die
In the evening, wanna die
If I ain't dead already, woo
girl, you know the reason why

    朝になると 死にたい

    夕方になると 死にたい

    俺が 今までに死んでいないなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

[Verse 3]

My mother was of the sky
My father was of the earth
But I am of the universe
and you know what that's worth

 

I'm lonely, wanna die
If I ain't dead already, ooh
girl, you know the reason why

    俺の母親は天空人だった

    俺の父親は地球人だった

    でも俺は宇宙人だ

    それでも それに価値があることを 君なら知っている

 

    俺は寂しくて死にたい

    俺が 今までに死んでいないなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

[Verse 4]

The eagle picks my eyes
The worm he licks my bone
I feel so suicidal
just like Dylan's Mister Jones

 

Lonely, wanna die
If I ain't dead already, woo
girl, you know the reason why

    鷲(わし)が俺の目をついばむ

    ウジ虫のような彼が俺の骨をしゃぶる

    本当に自殺したい気分だ

    まさにディランのミスター・ジョーンズのように

 

    寂しくて死にたい

    俺が 今までに死んでいないなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

[Verse 5]

Black clouds crossed my mind
Blue mist round my soul
I feel so suicidal
even hate my rock and roll

 

Wanna die. Yeah, wanna die
If I ain't dead already, woo
girl, you know the reason why

    黒い雲が 俺の頭をよぎる

    青い霧が 俺の魂を取り巻く

    本当に自殺したい気分だ

    俺のロック&ロールでさえ嫌になる

 

    死にたい Yeah 死にたい    

    俺が 今までに死んでいないなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

[Instrumental Outro]

 

 

????

「ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタビュー1980完全版」

デヴィッド・シェフ著 山川真理訳 347ページ

 

――〈ヤー・ブルース〉。
ジョン :〈ヤー・ブルース〉もインドで書いた。これも同じだ。向こうにいたとき、神に近づこうとして自殺したい気分だったことを歌っている。

 

 

The funny thing about the [Maharishi’s] camp was that although it was very beautiful and I was meditating about eight hours a day, I was writing the most miserable songs on earth. In ‘Yer Blues’, when I wrote, ‘I’m so lonely I want to die,’ I’m not kidding. That’s how I felt.

                            John Lennon

(マハリシの)キャンプでのおかしなことは、そこはとても美しかったし、1日8時間くらい瞑想していたにもかかわらず、僕はこの世で一番みじめな曲を書いていたことだ。"Yer Blues" の中で、「I'm so lonely I want to die」と書いた時、冗談は言ってない。そんなふうに僕は感じたんだ。
                            ジョン・レノン

 

ジョンは、本当はインドに洋子さんも連れて行きたかったようです。

「ジョン・レノンに恋して」シンシア・レノン著 吉野由樹訳 262ページ

 

 出発の数日前に、旅行について最後の細かい打ちあわせをするために、マハリシの助手と、ロンドンのある家で会った。応接室に入っていくと、部屋の隅の肘掛け椅子に、黒い洋服を着た小柄な日本人の女性が座っているのが目に入った。直感的に、この人がオノ・ヨーコだと思った。それにしても、いったいなぜこんなところにいるのだろう。ジョンが呼んだのかしら。もしそうだとしたら、なぜ?
 ヨーコはみんなに向かって自己紹介をし、そのあとは打ちあわせのあいだずっと、身動きもせず黙ってそこに座ったまま、話しあいにもいっさい加わらなかった。ジョンはビートルズのほかのメンバーや、マハリシの助手と話していて、そこにいる女性には気にも留めていないようすだ。 わたしの頭の中は、忙しくぐるぐるとまわっていた。ジョンはこの人と連絡をとりあっているのだろうか。いったい、これはどういうことだろう?
 その晩、打ちあわせが終わると、アンソニーが表でわたしたちを待っていた。車のドアを開けてくれたので、乗ろうとしたら、驚いたことにヨーコがわたしたちより先に、車に乗り込んだ。ジョンはわたしのほうを向いて、いったいどういうことだろうという表情をして肩をすくめ、両手のひらを上に向けて、自分にもわけがわからないというジェスチャーをした。ジョンは車の中のヨーコをのぞき込んで、送りましょうかと尋ねる。するとヨーコは、「ええ、そうですね。お願いします。ハノーバー・ゲイト二五番地まで」と答えた。ジョンとわたしも車に乗って、そのあとはヨーコを降ろすまで、だれもひと言も話をしなかった。 降りぎわに、ヨーコは「さようなら。ありがとう」と言って去っていった。
 わたしはジョンに向かって言った。「おかしいわ。いったいどういうこと?」
「知るもんか」。ジョンは、自分がヨーコを招いたのではないし、なぜそこにいたのかもわからないと言い張った。 でも常識的に考えれば、ジョンが来るように言わなければ、こんなことになるはずがなかった。それでも、わたしがどんな疑いをもとうと、ジョンからはなんの釈明もないだろうということは、よくわかっていた。

 

以下は、ジョンの言葉です。

『 The BEATLES アンソロジー』285ページ

ジョン : ヨーコと僕は、その頃に出会った。僕は彼女も連れていこうとした。でも、どうしたらいいかもわからなかったし、気も引けたから結局やめてしまったんだ。1970年

 

インドに洋子さんを連れて行けなったジョンは、文通で連絡を取り合っていたようです。

「ジョン・レノンに恋して」シンシア・レノン著 吉野由樹訳 266ページ 

 

 その一方で、わたしはこの旅が、期待していたような第二のハネムーンにはなりえないと絶望を感じはじめていた。ジョンはだんだん冷たくなり、わたしを敬遠するようになっていた。朝早く起きて部屋を出て行ってしまう。わたしにはほとんど話しかけないし、一~二週間もすると、もっとゆったりできるように別の部屋に移りたいとまで言いだした。それ以来、ジョンは事実上わたしを無視しはじめた。わたしと一対一のときも、みんなの前でも。ほかの人たちは、そのことに気づいても気づかないふりをしていた。
 ジョンがなぜそんな態度をとるのか、なんとか理解しようと努めた。お願いだから、どこがいけなかったのかその理由を聞かせて欲しいと、ジョンに頼んでもみた。ジョンは瞑想の影響が現れただけだと言って、わたしをはねつけた。「こういう修行中は、普通の感覚ではいられないんだ。ぼくは自分の内面を見つめようとしているだけだ。きみのこととはなんの関係もない。だから、いい加減にして放っておいてくれ」
 そのときはわたしも知らなかったのだけれど、ジョンは毎朝、オノ・ヨーコからの手紙が来ていないか確かめに、郵便局まで大急ぎで行き来していたのだ。ヨーコはほぼ毎日、手紙を書き送ってきていた。そのことをあとから知ったとき、わたしはひどく傷つけられた気持ちになった。

 

洋子さんがインドにいるジョンに宛てた手紙のひとつです。

(『THE BEATLES LYRICS』 290ページ writer Hunter Davies) 

I am a cloud, watch for me in the sky. 

訳は(私は雲よ 空にいる私を見守ってね)でしょうか。

「watch for」の訳によって違いますね。

 

本当は、洋子さんをインドに連れて行きたかったジョン。

こんな手紙をもらったら、洋子さんに揺らぎますね。

 

シンシアは、洋子さんが手紙を送ったとありますが、

もちろんジョンも洋子さんに返事を書いていたのでしょう。

 

 

just like Dylan's Mister Jones」の「Dylan's Mister Jones」は、

ボブ・ディランの "Ballad of a Thin Man" の歌詞に出てくる「Mister Jones」のことを言っているそうです。

ボブ・ディランは、「Mister Jones」が実在する人だと言っていますが、その人物の公表はしていません。

 

ボブ・ディランの"Ballad of a Thin Man" の歌詞に出てくる「Mister Jones」は、

他の方の訳を見る限り、死にたい感じではないのです。

ジョンは、なぜ「just like Dylan's Mister Jones」(ディランのミスター・ジョーンズのように)と言ったのでしょうか。

 

ウキペディア「Yer Blues」より

Lennon said that, while "trying to reach God and feeling suicidal" in India, he wanted to write a blues song, but was unsure if he could imitate the likes of Sleepy John Estes and other original blues artists he had listened to in school. 

レノンはインドで「神に辿り着こうとして自殺願望を感じていた」とき、ブルースの曲を書きたかったが、スリーピー・ジョン・エスティスや学生時代に聴いていた他のオリジナル・ブルース・アーティストの真似ができるかどうか自信がなかったと語っている。

 

「スリーピー・ジョン・エスティス」について調べてみました。

ウキペディア「Sleepy John Estes」より

Estes was born in Ripley, Tennessee, either in 1899 (the date on his gravestone) or 1900 (the date on his World War I draft card). In 1915, his father, a sharecropper who played guitar, moved the family to Brownsville, Tennessee. Not long after, Estes lost the sight in his right eye when a friend threw a rock at him. At the age of 19, while working as a field hand, he began to perform professionally, mostly at parties and picnics, with the accompaniment of Hammie Nixon, a harmonica player, and James "Yank" Rachell, a guitarist and mandolin player. Estes continued to work on and off with both musicians for more than fifty years. He also performed in medicine shows with Willie Newbern.
 

エステスはテネシー州リプリーで1899年(墓碑に刻まれた日付)か1900年(第一次世界大戦の徴兵カードに記された日付)に生まれた。1915年、ギタープレイヤーだった小作人(地主から農地を借りて,農作物をつくる農民です)の父親は、一家をテネシー州ブラウンズビルに移した。それから間もなく、エステスは友人に石を投げつけられ、右目の視力を失った。19歳の時、畑仕事をしながら、ハーモニカ奏者のハミー・ニクソンとギタリスト兼マンドリン奏者のジェームス・「ヤンク」・ラシェルの伴奏で、主にパーティーやピクニックでプロとして演奏し始めた。エステスは50年以上もの間、この2人のミュージシャンと活動を続けた。また、ウィリー・ニューバーンともメディスン・ショーで共演した。


At the suggestion of Jim Jackson, Estes made his debut as a recording artist in Memphis, Tennessee, in 1929, at a session organized by Ralph Peer for Victor Records. He recorded the tracks "Drop Down Mama" and "Someday Baby Blues" with Nixon in 1935. He later worked with Son Bonds and Charlie Pickett. He went on to record for Decca Records and Bluebird Records, with his last prewar recording session taking place in 1941. He made a brief return to recording at Sun Studio in Memphis in 1952, recording "Runnin' Around" and "Rats in My Kitchen", but otherwise was out of the public eye in the 1940s and 1950s.

 

ジム・ジャクソンの勧めで、エステスは1929年にテネシー州メンフィスでラルフ・ピア主催のビクター・レコードのセッションに参加し、レコーディング・アーティストとしてデビューした。1935年にニクソンと"Drop Down Mama"と "Someday Baby Blues"をレコーディング。その後、ソン・ボンズやチャーリー・ピケットと共演。その後、デッカ・レコードやブルーバード・レコードでレコーディングを行い、戦前最後のレコーディング・セッションは1941年に行われた。1952年にメンフィスのサン・スタジオで "Runnin' Around" と "Rats in My Kitchen"を録音し、一時的にレコーディングに復帰したが、それ以外は1940年代から1950年代にかけて表舞台から姿を消した。


Estes sang with a distinctive "crying" vocal style. He frequently teamed with more capable musicians, such as Yank Rachell, Hammie Nixon, and the piano player Jab Jones. Estes sounded so much like an old man, even on his early records, that blues revivalists reportedly delayed looking for him because they assumed he would have to be long dead (and because the musician Big Bill Broonzy had written that he was dead). By the time he was tracked down by the blues historians Bob Koester and Samuel Charters in 1962, he was completely blind and living in poverty. Along with his wife, Ann, who took many of the iconic photos of Estes found in blues books and album covers, Sam Charters filmed Estes performing, sitting in front of his shack near Brownsville. Blind and frail, he became the heart and soul of the Charters' movie, "The Blues," that was not released widely until 2020, in a Document Records package titled "Searching for Secret Heroes." He resumed touring with Nixon and recording for Delmark Records. Estes, Nixon and Rachell appeared at the Newport Folk Festival in 1964.

 

エステスは独特の「泣き」のヴォーカル・スタイルで歌った。彼はヤンク・ラシェル、ハミー・ニクソン、ピアノ奏者のジャブ・ジョーンズなど、実力のあるミュージシャンと頻繁にチームを組んでいた。エステスは初期のレコードでさえ老人のように聴こえたので、ブルース・リバイバリストたちは彼がとっくに死んでいるに違いないと思い込んで(そしてミュージシャンのビッグ・ビル・ブルーンジーが彼は死んだと書いていたので)、彼を探すのが遅れたと伝えられている。1962年にブルースの歴史家ボブ・コースターとサミュエル・チャーターズによって探し出されたときには、彼は完全に失明し、貧困にあえいでいた。ブルースの本やアルバムのジャケットに掲載されているエステスの象徴的な写真の多くを撮影した妻のアンとともに、サム・チャーターズはブラウンズヴィル近郊の小屋の前に座って演奏するエステスを撮影した。盲目で虚弱な彼は、チャーターズ映画『ザ・ブルース』の中心人物となったが、この映画はドキュメント・レコードのパッケージ 『シークレット・ヒーローズを探して』として2020年まで広く公開されなかった。彼はニクソンとツアーを再開し、デルマーク・レコードでレコーディングを行った。エスティス、ニクソン、ラシェルは1964年にニューポート・フォーク・フェスティバルに出演した。

 

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

 

死んだと思われていた「スリーピー・ジョン・エスティス」は生きていました。右目だけでなく両目を失明し、貧困にあえいでいました。

1962年にブルースの歴史家ボブ・コースターとサミュエル・チャーターズによって探し出された「スリーピー・ジョン・エスティス」は、

アルバム「The Legend of Sleepy John Estes」をリリースしました。

そして「スリーピー・ジョン・エスティス」は、ニクソンラシェルという人と一緒に、1964年にニューポート・フォーク・フェスティバルに出演しました。その時彼は65歳でした。

そのフェスティバルには、22歳のボブ・ディランも参加していました。

 

ジョンは"Yer Blues"をについて「ブルースの曲を書きたかったが、スリーピー・ジョン・エスティスや学生時代に聴いていた他のオリジナル・ブルース・アーティストの真似ができるかどうか自信がなかった」と言っていて…

ボブ・ディランは、1964年「ニューポート・フォーク・フェスティバル」で「スリーピー・ジョン・エスティス」に出会っているのは偶然でしょうか。

 

私の誇大妄想が生まれてしまいましたアセアセ

"Ballad of a Thin Man"の「Mister Jones」は、「スリーピー・ジョン・エスティス」ではないか??

 

Mister Jones」についてボブ・ディランは、こう話しています。

ウキペディア「Ballad of a Thin Man」より

 

"He's a real person. You know him, but not by that name... I saw him come into the room one night and he looked like a camel. He proceeded to put his eyes in his pocket. I asked this guy who he was and he said, 'That's Mr. Jones.' Then I asked this cat, 'Doesn't he do anything but put his eyes in his pocket?' And he told me, 'He puts his nose on the ground.' It's all there, it's a true story." 

At a press conference in San Francisco in December 1965, Dylan supplied more information about Mr. Jones: "He's a pinboy. He also wears suspenders."

「彼は実在の人だ。君も彼のことを知っている。でもその名前ではない。ある夜、彼が部屋に入ってくるのを見たんだ。彼はラクダのようだった。彼はポケットに目を入れて進んできた。僕は「彼は誰だ?」とその男に尋ねた。すると彼が言った「あいつはミスター・ジョーンズさ」それから、ここの猫(ミュージシャン?)に「彼はポケットに目を突っ込む以外何もしないのか?」と尋ねた。すると彼は「彼は地面に鼻をつけるよ」と僕に言った。それがすべてそこ("Ballad of a Thin Man" の歌のこと?)にある、それは本当の話なんだ。」

1965年12月にサンフランシスコで行われた記者会見で、ディランはミスター・ジョーンズについてさらに詳しい情報をくれた 「彼はピンボーイなんだ。彼はサスペンダーもつけている」

 

訳は信じないでください。

He proceeded to put his eyes in his pocket」は、

「スリーピー・ジョン・エスティス」が、右目の義眼を外してポケットにしまいながらやって来たのではないかと妄想しました??

 

「スリーピー・ジョン・エスティス」で画像検索すると、サスペンダーをつけた「スリーピー・ジョン・エスティス」が出てきました。

 

"Ballad of a Thin Man" の一部分を引用します。全部の歌詞(←全部の歌詞が見れるサイトです)

(すみません。和訳は難解でしていません)

"Ballad of a Thin Man"

[Verse 1]
You walk into the room
With your pencil in your hand
You see somebody naked
And you, you say, "Who is that man?"
You try so hard
But you don't understand
Just what you will say
When you get home

 

[Refrain]
Because something is happening here
But ya' don't know what it is
Do you, Mister Jones?

 

[Verse 6]
Now you see this one-eyed midget
Shouting the word "Now"

And you say, "For what reason?"
And he says, "How?"
And you say, "What does this mean?"
And he screams back "You're a cow
Give me some milk or else go home"

Now you see this one-eyed midget, shouting the word "Now"

(今おまえは「Now」という言葉をシャウトする片目の小さい奴を見ている)

 

いくつかの曲で 「スリーピー・ジョン・エスティス」は"Now" とシャウトしているような…

 

 

 

 

 

 

話が横道に反れました。

 

[Verse 4]

The eagle picks my eyes
The worm he licks my bone
I feel so suicidal
just like Dylan's Mister Jones

 

Lonely, wanna die
If I ain't dead already, woo
girl, you know the reason why

    鷲(わし)が俺の目をついばむ

    ウジ虫のような彼が俺の骨をしゃぶる

    本当に自殺したい気分だ

    まさにディランのミスター・ジョーンズのように

 

    寂しくて死にたい

    俺が 今までに死んでいないなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

 

just like Dylan's Mister Jones」(まさにディランのミスター・ジョンズのように)は、

ジョンの中で「Mister Jones」を特定しているのではないかと思いました。

 

でも、「just like Dylan's Mister Jones」がどこにかかっているのか…

①「まさにディランのミスター・ジョーンズのように、目をついばめられ骨をしゃぶられた」

②「まさにディランのミスター・ジョーンズのように、自殺したい気分だ」

③「まさにディランのミスター・ジョーンズのように、俺が今までに死んでいないなら」

 

私の妄想は③です。

「まさにディランの"Ballad of a Thin Man" に出てくるスリーピー・ジョン・エスティスと同じように、寂しくて死にたい俺が死んでいないなら」

死んだと思っていたけれど生きていた「スリーピー・ジョン・エスティス」。

彼は目を失っても…死なずに復活して、またブルースを歌っている。

俺も死にたいけれど、「Mister Jones」のように死んでいないのなら…

ヨーコ、君がその理由を知っている。

を妄想しました??

 

 

「The worm he licks my bone」の「he」は誰でしょうね?

妄想できませんでした。

 

2024年5月10日 追記

妄想できました。

"I Am the Walrus" の[Verse 1] です。

"I Am the Walrus" [Verse 1]

I am he 

As you are he 

As you are me
And we are all together

    僕は彼なんだ

    君は彼で 

    君は僕だから

    つまり僕たちはみんな一緒なんだ

 

he」も「my」もジョンを妄想しました。

he」はザ・ビートルズのジョン。そして「my」は素のジョン。

「The worm he licks my bone」

(ウジ虫のようなザ・ビートルズでいる時の俺が、ありのままでいたい俺の骨をしゃぶる)??

 

 

マハリシでも、答えが見つからなかったことを

洋子さんならその理由をジョンに教えてくれると思ったのでしょうか。

「俺は死にたい。でも今まで生きていたのには理由があるはず。ヨーコ、君がその理由を知っているのだろう。」

ジョンの悲痛な叫びですねアセアセ

 

 

 

最終バージョンで変更されたライン

 

 

[Verse 3]

My mother was of the earth
My father was of the sky
But I am of the universe
And that's the reason why

 

I'm lonely, wanna die
If I ain't dead already, ooh
girl, you know the reason why

    俺の母親は地球人だった

    俺の父親は天空人だった

    でも俺は宇宙人だ

    それにどんな理由があるんだ

 

    俺は寂しい 死にたい

    俺が 今までに死んでいないなら

    ガール 君ならその理由を知っている

 

 

小さな部屋

ジョージが作った"Not Guilty" は 、"Hey Jude" のあと、1968年8月7日からレコーディングが始まりましたが、

「The Beatles」(ホワイト・アルバム) には収録されませんでした。

ザ・ビートルズが解散したあと、

1979年にリリースされたアルバム「George Harrison」に収録されました。

ザ・ビートルズ名義としては、「The Beatles Anthology 3」(Take102編集) や「The Beatles 」Special Edition で、 (Esher Demo)や(Take 102未編集)を聴くことができます。

 

ジョージは、その"Not Guilty" の最終オーバーダブをコントロール・ルームで歌いたいと言い出したそうです。

Monday 12 August/8月12日(月)
第2スタジオ : 7.00 pm-4,15 am, レコーディング: "Not Guilty" (第102テイクへのS1)、モノ・ミキシング: "Not Guilty" (第102テイクよりリミックス1). P : ジョージ・マーティン、E :ケン・ スコット、2E :ジョン・スミス.

"Not Guilty" の最終オーバーダブはジョージ・ハリスン のリード・ヴォーカル。8月9日のセカンド・ギター・オーバーダブと同じく、これも普通の方法では録音されなかった。「ステージにいるような感じを出すために、コントロール・ ルームでスピーカーをガンガン鳴らして、その中で歌うというのがジョージのアイデアだった」とケン・スコット。「それで、彼がちょうどいいと感じる、それでいてヴォーカルをかき消さない程度の音量にモニター・スピーカーをセッティン グし、ヘッドフォンでモニターしながら録音したんだ。途中でジョン・レノンが入ってきたので、「まったく君たちときたら、そのうち何もかも隣の部屋で録音したいなんて言い出しかねないね!」と言ってやったよ。隣の部屋というのは、一時期4トラック・テープ・マシンを置いていた小さな部屋で、壁もスタジオ用に作ってなかったし、音響効果なんかも全然考えられてなかった。そしたらレノンが、「そいつはいい考えだ、次の曲でやってみよう!」と答えたんだ。次の曲は"Yer Blues"  (9月13日に録音開始)だったけど、実際に彼らも楽器も全部あの小部屋に押し込んで録ることになったのさ。うまく行ったからよかったけどね!」
 "Yer Blues"はうまく行ったにせよ、"Not Guilty" はそうは行かなかったようだ。このセッションの最後に、アセテート盤用にラフ・モノ・リミックスが作成されたが、レコーディングはこれ以上先に進められず、2枚組アルバム『THE BEATLES』に収録する目的でモノ/ステレオ・ミキシングが行なわれることもなかった。しかしジョージ・ハリスンは、自分の名前をタイトルにした1979年リリースのアルバムで、この曲を改めて取りあげる。このときは、歌詞は1968年の未発表ヴァージョンのまま、サウンド面ではより穏やかでアコースティックなアプローチがなされた。

 

ジョージが、"Not Guilty" をコントロール・ルームで歌いたいと言ったことがきっかけで、

"Yer Blues" が、コントロール・ルームに隣接する小さな部屋でレコーディングすることになったのですね!

ポールは、"Yer Blues" をレコーディングした時のことを話しています。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 661ページ ページ

 

ポール「ヨーコと出会ってからジョンの音楽の趣味が明確になって、少しアヴァンギャルドな方向に傾倒して、"ハッピ ネス・イズ・ア・ウォーム・ガン" や "ヤー・ブルース" みたいな曲を書くようになった。僕らは全員ブルースが好きだったけど、"ヤー・ブルース"はジョンの曲で、ジョンの歌詞で、僕の記憶では全部ジョンが作った作品だ。僕らは常に今までとは違う方法でのレコーディングを試みていたわけだけど、アビイ・ロードの第二スタジオのコントロール室の隣に小さなテープ倉庫があってね。縦10フィート、横4フィートほどの本当に狭くて窮屈な部屋で、テープやマイクの線やプラグなんかが棚に押し込んであるんだよ。僕らが「ねえ、あそこで録音していいかな?」と訊いたら、ジョージ・マーティンが「何、バンド全員で?」と驚くから、「そうだよ!やってみようよ!」って答えてさ。僕らはキャヴァーンとか、ああいうクラブの狭いステージに立つのが大好きだった。殆ど肩と肩が触れるほどバンド全員で固まっている方が、巨大スタジアムで離れ離れになって、「あそこでギターを弾いてるのは誰だろう?」って状況よりずっといいんだよ。僕らは互いに近い状態にいる方が良かったんだ。その方が僕らの音楽のパワーが増す気がしたし、実際そうだった。 

 エンジニアは各楽器の音を分けるように気を遣っていたけどね。後でドラムのサウンドを加えたいとか、減らしたいという場合にも手が加えられるように。そのためにはそれぞれの楽器の音を分けとかないといけない。じゃないと、ドラムの音を上げたら、ギターの音まで上がってしまう。だから、楽器の音を分けられるかどうかが心配だったけど、アンプを壁に向けて、マイクもその場所に取りつけた。ちゃんと上手くいった。リンゴはドラム・キットを持ち込んで、僕もベースを抱えて、バンド全体で演奏した。ジョンもあの中に立って歌ったよ。後でヴォーカルは少し録り直したけど、あの小さな物置で肩をくっつけ合いながら演奏したから、上手くいったんだよ。エンジニアは音が上手く分かれてることに驚いてたね。クールなレコーディングだった、それがあの曲の思い出だ」。

 

 

「The Rolling Stones Rock and Roll Circus」での "Yer Blues"

ウキペディア「ロックンロール・サーカス」より

ロックンロール・サーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)は、イングランドのロック・バンドのローリング・ストーンズが1968年に製作した映像作品である。監督はマイケル・リンゼイ=ホッグ。ストーンズに加えてジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フーなど当時隆盛を極めていたアーティスト達が出演したにもかかわらず、様々な要因により30年間近くにわたって封印され、1996年に発表されるまで伝説的な作品になっていた。

 

 

 

辞書

情報提供元(著作権者)Weblio英辞郎goo辞書

yer : 〈非標準〉=your

already : 〔肯定文で〕すでに,もう,今までに,それまでに;〔強意〕もうすっかり,十分に
lonely : 孤独な、ひとりぼっちの、(孤独のために)寂しい、心細い、人里離れた

reason why : ~である理由
reason why : 〈なぜ…かという〉理由
of : 〔A is of B〕AはBである(◆Aの属性がBだと判断・評価する)

  例文 That invention is of no value. の発明はまったく無価値だ

worth : (金銭的に)…の価値があって、値して、価値があって、(…することは)価値があって、…に値して、財産が…の、…だけの財産を持って
pick : (…を)(入念に)選ぶ、選び取る、(…を)選ぶ、(…を)選び取る、選んでさせる、(足の踏み場を選んで)注意深く進む、摘む、もぐ、採集する、摘んでやる

pick : 〔鳥が~を〕ついばむ
worm : (細長く足のない)虫、蠕虫(ぜんちゆう)、虫けら同様の人間、「うじ虫」、ウォーム

lick : (…を)(舌で)なめる、(…を)なめて(ある状態に)する、(…を)なめてする、(…を)なぶる、なめる、(むち・棒・手などで)打つ、殴る、殴って直す、打ち負かす、(…に)勝る
suicidal自殺の、自殺的な、とても気がめいった、自滅的な

cross one's mind頭をよぎる

cross someone's mind : 〔考え・過去の記憶などが〕(人)の頭[脳裏]をよぎる、(人)の心に浮かぶ

round : 丸める、取り巻く、曲がる、回る

hate : (…を)憎む、ひどく嫌う、嫌悪する、嫌う、(…が)いやである、(…に)もらいたくない、残念に思う