"Revolution 1" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Revolution 1"

Writers : credited Lennon-McCartney (by John Lennon )

Artist :  The Beatles

Recorded : 1968/05/30,31 6/4 EMI Studios

Released : 1968/11/22

      「The Beatles」D面1曲目

2018/09/11「The Beatles 」Special Edition 

                                (2018 Mix)

             (Esher Demo)                                                                     (Take 18) 

 

 

 

             <歌詞和訳>"Revolution 1" 邦題 "レボリューション1"

           革命1

[Intro: Geoff Emerick & John Lennon]

Take two

Okay

    (Geoff Emerick) テイク2

    (John Lennon) OK

 

[Verse 1]

You say you want a revolution

Well, you know

We all wanna change the world

You tell me that it's evolution

Well, you know

We all wanna change the world

But when you talk about destruction

Don't you know that you can count me out, in

    君らは「我々には革命が必要だ」と言う

    うーん あのね…

    僕らみんな 世の中を変えたいと思っているよ    

    君らは僕に「今こそ進化する時だ」と語る

    うーん あのね…

    僕らみんな 世の中を変えたいと思っているよ

    だけど君らが破壊について語り合うというなら

    僕のことは人数に入れないで…入れて…いいってこと 知らないの?

 

[Chorus]

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

 

[Verse 2]

You say you got a real solution

Well, you know

We'd all love to see the plan(Shu-bi-dua…)

You ask me for a contribution

Well, you know

We're all doing what we can(Shu-bi-dua…)

But if you want money for people with minds that hate

All I can tell you is, brother, you have to wait

    君らは「我々は真の解決策を得た」と言う

    うーん あのね…

    僕らみんな そんな計画を見てみたいとは 思っているよ 

    君らは僕に寄付を求めてくる

    うーん あのね…

    僕らは できることはすべてやっているんだよ

    だけどもし君らが その憎しみの心で 人々に金を求めるのなら

    僕が君らに言えることは「同志よ 君らは待つべきだ」だけだ

 

[Repeat Chorus]

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

 

[Verse 3]

You say you'll change the constitution

Well, you know

We'd all love to change your head(Shu-bi-dua…)

You tell me it's the institution

Well, you know

You better free your mind instead(Shu-bi-dua…)

But if you go carrying pictures of chairman Mao

You ain't gonna make it with anyone anyhow

    君らは「我々は政体を変えてみせる」と言う

    うーん あのね…

    僕らみんな 君らの頭の中を変えたいと思っているよ 

    君らは僕に「それが制度というものだ」と語る

    うーん あのね…

    それよりも 君らはもっと自分の考えを自由に表現した方がいいよ

    だけどもし君らが 毛主席の写真を持ち続けるなら

    どのようにしても だれとつるんでも 君らは革命を起こすことはできないだろう

 

[Repeat Chorus]

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

Don't you know it's gonna be all right(Shu-bi-dua…)

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

    わからない? いつかきっと すべてうまくいくさ

 

[Outro]

All, all, all, all, all, all, all, all, all, all, all right, all right(Shu-bi-dua…)

All right, all right, all right(Shu-bi-dua…)

All right, all right, all right(Shu-bi-dua…)

All right, all right, all right(Shu-bi-dua…)

    すべて すべて すべてうまくいくさ

    すべてうまくいくさ すべてうまくいくさ

    すべてうまくいくさ すべてうまくいくさ

    すべてうまくいくさ すべてうまくいくさ

 

 

????

ビートルズが個々にインドから帰ってきて、

最初にレコーディングしたのが「レボーリューション」です。

ジョンの曲です。

 

ジョンはインドには妻シンシアと行ったのですが…

「レボーリューション」のレコーディング・スタジオには、小野洋子さんがいました。

しかもレコーディングに参加しています。

 

2018年9月に発売された「The Beatles 」Special Edition で

1968年5月30日にレコーディングした (Take 18)を聞くことができます。

洋子さんの声も入っています。

10分28秒に及び、最後の方はジャムになりポールが "Love Me Do" を歌っていますラブラブ

 

 

ジョンは、1980年にプレイボーイ誌のインタビューで「レボリューション」について答えています。聞き手は「デヴィット・シェフ」さん。

その中でジョンが「全部ぼくだ。」と「全部」という言葉を使っているのは、

3種類の違うヴァージョンの 「レボーリューション」 があるからです。

今回訳した  "Revolution 1" は、「スロー・ヴァージョン」の「レボリューション」です。

この「スロー・ヴァージョン」をジョンはシングルで出したかったのですが、

それは叶わず、アルバム「The Beatles」(通称 White Album)に収録されました。

「ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタビュー1980完全版」

デヴィッド・シェフ著 山川真理訳 325ページ

 

――〈レボリューション〉。
ジョン : 全部ぼくだ。この曲は2回録音した。この頃になると、ビートルズはお互いに神経をとがらせるようになっていた。ぼくはスロー・ヴァージョンを録音して、それをシングルで出したいと思ってた。ビートルズのヴェトナムに対する姿勢、ビートルズの革命に対する姿勢をはっきり示すためにね。ビートルズがツアーをしていた何年ものあいだ、ブライアン・エプスタインはぼくらがヴェトナムや戦争について発言するのを禁じていた。記者会見でそういう質問が出ることさえ認めなかったんだ。でも最後のほうのツアーで、ぼくは言った。「戦争に関する質問にはちゃんと答えるよ。無視するわけにはいかない」とね。ビートルズは絶対に戦争について何か言うべきだと思ったんだ。
〈レボリューション〉の最初のテイクは、ジョージとポールが気に入らなかった。テンポが遅すぎると言うんだ。確かに、ヒットするレコード、ヒットしないレコードの特徴を詳細に分析したなら、彼らの言うことが正解なんだろう。でもビートルズは、スロー・テンポでわかりやすいヴァージョンの〈レボリューション〉を、シングルで出すだけの余裕はあったはずなんだ。それがゴールド・レコードになろうが、ウッド・レコードになろうがね。でも、彼らはヨーコのことで相当イライラしてたし、ぼくが2年ほどの休眠期間を経て創作意欲を取り戻し、以前のようにグループを仕切り始めたことが気に入らなかったんだ。すべてが台無しになると感じたんだろうね。ぼくは再び覚醒したけど、彼らはそれについてこられなかったんだ。

 

――その覚醒はヨーコに触発されたのですか。

ジョン : 彼女はぼくの中にあったあらゆる創作意欲をかき立ててくれた。彼女に触発されて曲ができたんじゃない。ぼく自身が触発されたんだ。〈レボリューション〉で述べているのはぼくの見解だ。歌詞は今でも通用する。政治に対するぼくの考えは今も変わらない。計画を見せてくれ。かつて、ジェリー・ルビンアビー・ホフマンに言ってたのはそれなんだ。暴力のためだったら、仲間に入れないでくれ。そこに花がないのなら、ぼくがバリケードに加わると期待しないでくれ。マルクス主義やキリスト教の名のもとに何かを倒そうというのなら、すべてを倒したあとで何をするのか教えてくれ。つまり、すべてを破壊するのではなく、その中の何かをうまく使えないか? ということなんだ。ウォール街を爆破して何の意味があるんだ? 社会のシステムを変えたいのなら、変えればいい。ただし、人を撃っても何もいいことはない。

(「レボリューション」が作られた時期、ジェリー・ルビンアビー・ホフマンにはまだ会っていないと思います)

 

 

1968年

5月30日レコーディング。

ジョンがシングルで出したかった「シュビ・ドゥアのコーラスが特徴のスロー・ヴァージョン」の「レボリューション」は、ジョージとポールが気に入らなかったため、シングルにはなりませんでした。

 

7月10日レコーディング。

ジョンは、「ギターを思いっきりひずませたテンポの速いヴァージョン」の「レボリューション」をレコーディングし直し、それがシングルになりました。

 

8月30日シングル発売

世の中の人が、最初に聴いたのは「テンポの速いヴァージョン」のシングルレコードでした。

曲名は番号がついていない "Revolutionです。

 

11月22日アルバム「The Beatles」(通称 White Album)発売

今回訳した  "Revolution 1"が収録されています。

(レコード2枚組の2枚目のB面1曲目)

世の中の人は、テンポの速い "Revolution".を聞いた2か月後に、

スロー・ヴァージョンの"Revolution 1" を聞きました。

 

歌詞は1か所を除いて、すべて同じです。

"Revolution" [Pre-Chorus] (テンポの速いヴァージョン)

But when you talk about destruction

Don't you know that you can count me out?

    だけど君らが破壊について話すのなら

    僕のことは人数から外してくれていいってこと 知らなかった?

 

"Revolution 1" [Pre-Chorus] (スロー・ヴァージョン)

But when you talk about destruction

Don't you know that you can count me out, in?

    だけど君らが破壊について語り合うというなら

    僕のことは人数に入れないで…入れて…いいってこと 知らなかった?

 

世の中の人は、「あれ?歌詞が違う。今回の"Revolution 1"は『in』がついている」と

思ったことでしょう。

 

でも本当はその逆で、

5月30日のレコーディング時にあった『in』が、

7月10日のレコーディングには削除されたのです。

 

Friday 31 May/5月31日(金) スタジオ: 2.30-12.00 pm. レコーディング: "Revolution" <"Revolution 1"の仮題>(第18テイクへのS1.第18テイクをテープ・リダクションして第19テイクを作成.第19テイクへのSI).
P : ジョージ・マーティン. ジェフ・エマリック. 2E : フィル・マクドナルド.

"Revolution 1"の第18テイクに、ジョンの2通りのヴォーカルと ポールのペース・ギターをオーバーダブ。これをテープ・リダクションして第19テイクとし、さらにポールとジョージのバック・ヴォーカルをオーパーダブした。
 1967年11月、テクニカル・エンジニアのアラン・ブラウンがアビィ・ロードのスタッフ陣に加わり、「THE ATLES」のセッションではケン・タウンゼンドやデイヴ・ハリーズ、キース・スローター、ブライアン・ギブソン、 チャード・ヘイルらと交替で、しばしばスタンバイ要員の役を割り当てられた。ジョン・レノンが "Revolution 1"のヴォーカルを録音した晩は、たまたまブラウンの当番だった。(ジョンがそれを録り直した6月4日の当番はギブソンだった。次の項を参照)。「僕は第3スタジオのコントロール・ルームみにいたんですが、ガラスを隔てた向こう側の薄暗がりで、誰かが同じ歌詞を何度も何度も歌ってる。僕はその人の声も顔も知ってました。ジョン・レノンが30フィートくらいのところにいたんです! 'Revolution"―― あのスローなやつでした。彼がリハーサルであの曲を繰り返し歌い、1回ごとに歌詞を少しずつ変えていたのを覚えてますよ。毎回ほんのちょっとずつ変えながら発展させていくんです。「When you talk about destruction you can count me out (破壊しようっていうんなら……僕を数に入れないでくれ)」とか、「When you talk about destruction you can count me in (破壊しようっていうんなら……僕も仲間に入 れてくれ)」とかね」
 ジョン・レノンは、数に "入れて(in)" ほしいのか "入れないで(out)" ほしいのか、決めかねていた。"Revolution 1" のLPヴァージョンでは、その両方を歌い、テンポの速いシングル・ヴァージョン"Revolution”では、"入らない(out)" ほうを選んでいる。

 

Tuesday 4 June/6月4日(火)

この日は "Revolution 1" に関して興味津々たるオーパー ダブや実験が行なわれた。ジョンはリード・ヴォーカルを録り直し、革命の一形態としての破壊に加担すべきか、すべからざるべきか、という例の問題に、「in」及び「out」という 両刀の答えを出す。

―― 以下省略 ――

悩んで悩んで、両方を残すことを決めたジョン。

 

7月10日に、シングルの"Revolution" をレコーディングをした時には、「in」は抜けていました。

 

 

毛沢東(もうたくとう)

私は歴史が全く分からないのですが…。(中学の時に赤点を取り親が呼び出されましたアセアセ)

今回、歌詞の中に「chairman Mao」(毛主席) が出てくるので勉強しました。

 

毛沢東は、1949年10月1日、北京の天安門の壇上で、中華人民共和国の建国を宣言した人。
建国当時は、民主主義社会を目標にしていたが、1952年、社会主義の導入に方針転換。
1958年には、「イギリスを15年以内に追い越す」ことを目標として、大躍進政策を発動。
しかし、いくら働いても得られるお金は同じ政策では農民の生産意欲が薄れ、飢饉(中華人民共和国大飢饉)も重なり、2000万人以上の餓死者を出してしまいます。
 
毛沢東は責任を取って1959年4月、国家主席の地位を同胞の劉少奇に譲りました。
劉少奇(りゅうしょうき)鄧小平(とうしょうへい)と経済の回復に努めました。
でも毛沢東は、気に入りませんでした。
1962年の七千人大会(党中央の拡大工作会議)において、劉少奇は「今回の大災害(中華人民共和国大飢饉)は天災が三分、人災が七分であった」と党中央の責任を自ら認めた。この大会では出席者からの批判に毛沢東も「社会主義の経験が不足していた」と自己批判を余儀なくされ、これ以降政務の一線を退いた。
 劉はこのあと、党総書記の鄧小平とともに市場主義を取り入れた経済調整政策を実施し、大躍進政策で疲弊した経済の回復に努めた。こうした政策を毛沢東が「矯正しすぎて右翼日和見の誤りを犯している」という理由から「何を焦っているのか。足下が崩れかかっておるんだぞ。どうして支えようとしないのかね。わたしが死んだらどうするつもりだ!」と批判したのに対して、劉が「飢えた人間同士がお互いに食らい合っているんです。歴史に記録されますぞ」と答えたエピソードを夫人の王光美が記している 。すでに党中央に強い基盤を持っていた劉は、それゆえに毛沢東にとって厄介な存在であった。
 
毛沢東は、自分の失敗の尻拭いをしてくれている劉少奇や鄧小平を
「社会主義の復活を図る者」として批判しました。
 
そして、文化大革命が起こりました。

 

文化大革命(ぶんかだいかくめい)とは、中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた、中国共産党中央委員会主席毛沢東主導による「文化改革運動」を装った劉少奇からの奪権運動、政治闘争である。全称は無産階級文化大革命(簡体字: 无产阶级文化大革命、繁体字: 無產階級文化大革命、プロレタリア文化大革命)、略称は文革(ぶんかく)。「造反有理」(謀反には道理がある)を叫ぶ紅衛兵に始まり、中国共産党指導層の相次ぐ失脚、毛沢東絶対化という一連の流れによって、中国社会は激しく荒れ乱れ、現代中国の政治・社会に大きな禍根を残して挫折した。

 名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という文化の改革運動だったが、実際は大躍進政策の失敗のために国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲った毛沢東共産党主席が自身の復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動や大衆を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための官製暴動であり、中国共産党内部での権力闘争だった。

 それを毛自身が、スチューデント・パワーやベトナム戦争への反戦運動などに沸騰する世界と巧みに結びつけた。これにより毛自身の著書「毛主席語録」は30カ国以上に翻訳される大ベストセラーとなり、世界に農本思想的な「毛沢東思想」を強く印象づけ、各国の左翼、新左翼に影響を与え、フランスの五月革命などの政治・社会運動、対抗文化にも大きな影響を与えた。

 
毛沢東を支持する学生を中心とした組織「紅衛兵」が、全国各地で生まれました。
毛沢東は1966年8月18日から11月26日にかけて全国から上京してきた紅衛兵延べ1000万人と北京の天安門広場で会見し、紅衛兵の活動は全国に広まりました。
紅衛兵」は、『毛主席語録』という毛沢東の言葉が書かれている赤い本を持ち歩き、思想を同じくし、全国各地で激しい破壊活動を行いました。
その攻撃の対象は、劉少奇鄧小平などの実権派や中国共産党の幹部、仏教や儒教などの宗教家や施設、学校教師や文学や美術などの知識人、毛沢東の考えに反すると思われる人や建物でした。

 

 天安門広場に集まる紅衛兵

(1966年天安門広場で毛主席語録を掲げる紅衛兵)

しかし、各地の「紅衛兵」同士で「自分達のグループの方がより革命的である」と誇示するために、他のグループよりさらに過激な活動に走ったり、「紅衛兵」同士で攻撃し合うようになり、毛沢東にも統制できなくなりました。

1967年9月、毛沢東は中国に秩序を回復させることを人民解放軍に命じました。

人民解放軍と紅衛兵の武力衝突が起き、広西チワン族自治区では人民解放軍が多数の紅衛兵を処刑しました。

毛沢東は、1968年から1969年には狂信的な紅衛兵残党の追放を計画し、農村支援の名目のもとに約1600万の学生を農村や辺境に駆り出しました。環境に適応できなかった多くの学生が亡くなりました。

 

文化大革命は、

大躍進政策の失敗で退いていた毛沢東の復活によって始まり、

毛沢東が亡くなる1976年まで続きました。

 

文化大革命の時期は、毛沢東の意に反することをすれば批判されるので

経済的にも文化的にも停滞しました。

 

 

[Pre-Chorus]

But if you go carrying pictures of chairman Mao

You ain't gonna make it with anyone anyhow

    だけどもし君らが 毛主席の写真を持ち続けるなら

    どのようにしても だれとつるんでも 君らは革命を起こすことはできないだろう

 

ジョンは、「紅衛兵」が持っていた『毛主席語録』=「Quotations from Chairman Mao Tse-tung」を知っていたのだろうか?

『毛主席語録』のページをめくると毛沢東の写真が載っています。

 

 

 

Quotations from Chairman Mao Tse-tung (simplified Chinese: 毛主席语录; traditional Chinese: 毛主席語錄; pinyin: Máo Zhǔxí Yǔlù) is a book of statements from speeches and writings by Mao Zedong (formerly romanized as Mao Tse-tung), the former Chairman of the Chinese Communist Party, published from 1964 to 1979 and widely distributed during the Cultural Revolution.

The most popular versions were printed in small sizes that could be easily carried and were bound in bright red covers, thus commonly becoming known internationally as the "Little Red Book".

 

『毛沢東語録』は、1964年から1979年まで発行され、文化大革命の時代に広く配布された中国共産党の前主席、毛沢東(旧ローマ字表記は毛沢東)の演説や著作からの引用を集めた書籍である。

1964年から1979年まで発行され、文化大革命の時代に広く配布された。最も人気があったのは、持ち運びしやすい小さなサイズで印刷され、真っ赤な表紙で製本されたもので、国際的に「小さな赤い本」として一般的に知られるようになった。

 

 

どのくらい、ジョンが毛沢東の背景を知っていたのかはわかりませんが…

 

"Revolution 1"も"Revolution" も、

ジョンに革命のための支援を求めてきた若者に

「世の中を変えたいという気持ちは僕も持っている。でも破壊活動をするなら、同志よ!もう少し落ち着け。慌てるな。きっといずれ良くなる。」と歌っていると妄想して

「you」を「君ら」と訳し、「 brother」を「同志よ」と意訳しました。

 

 

Well, you know」の訳には迷いました。

well : 間投詞

1a[驚き・疑いなどを表わして] まあ,おや,おやっ!, えっ!; さて.

     Well, I never!=Well, to be sure!=Well now! まあ, (これは)驚いた!, まさか!

 

1b[安心・あきらめ・譲歩などを表わして] やれやれ,まあいいや; なるほど.

       Well, here we are at last. やれやれ, やっと着い(てよかっ)た.

 

2[話をまた続けたり,用件を切り出す時に用いて] さて,ところで; あのう,ちょっと.

       Well , as I was saying…. さて, さっき言ったとおり….

 

 

イメージしたのは、

「ジョンが血気盛んな革命家を、冷静に『まぁ落ち着けよ』と諭している」でした。

 

Well, you know」は、

ジョンが「you」を諭すための、次の文に繋がる…

「あのさ…僕はぜひ君らにわかってほしいんだけど…」や

「うーん…あのね…」などを妄想しました??

 

テンポの速いヴァージョンのシングル"Revolution" は、とってもかっこいいですが

スロー・ヴァージョン"Revolution 1" こそが、ジョンが「you」に伝えたいことだと思います。同じ歌詞なのですがアセアセ そこに愛情がある気がするのです??

 

"Revolution 1" をよく聞くと、ポールとジョージの「Shu-bi-dua」のハーモニーもいいし、

ギターも十分カッコいいし、ジョンの想いも伝わるし、萌え萌えですキラキラ音符ラブラブ

 

しかし、"Revolution 1" が作られた1968年、毛沢東は74歳でまだ政治家として活躍しているのに、歌詞に「chairman Mao」を入れるジョン。

そしてそれを認めるポール・ジョージ・リンゴ。

凄すぎるうずまき

(毛沢東 1893年12月26日生まれ~1976年9月9日死亡)

 

 

「The COMPLEATE BEATLES Recoding sessions」

「The COMPLEATE BEATLES Recoding sessions」という本で、

ビートルズ研究の第一人者のマーク・ルウィーソン氏が、私がいつか孫に知って欲しいことがすべて書いてあります。

 

「The COMPLEATE BEATLES Recoding sessions」

マーク・ルウィーソン著 内田久美子訳

 

1968年

Thursday 30 May/5月30日(木)

 

第2スタジオ : 2.30pm-2.40 am. レコーディング : "Revolution"<"Revolution 1"の仮題>(第1 ~第18テイク)、P : ジョージ・マーティン、E: ジェフ・エマリック、2E : フィル・マクドナルド

 

 のんびりとリラックスして過ごした長く暑いインドでの日々、ビートルズは数多くの新曲を書き下ろし、すぐレコーディングにかかれる曲が最低1ダースはあった。それを録音しているうちにまた多くの新曲が生まれる。そしてそれを録音するころには、曲数はアルバム1枚分をはるかに越えていた。ビートルズはこうして2枚組のアルバムを作ることにな った。
 11月22日にリリースされたそのダブル・アルバム『THE BEATLES』―― むしろ ‶WHITE ALBUM”という通称で知られる―― のセッションは、この日アビィ・ロードで始まった。グループはそれに先立って、サリー州エッシャーにあるジョージ・ハリスンのカントリー・ハウスに集まり、数曲のデモを4トラック・テープにプライベート録音しておいた(スタジオの記録によると、最初のセッションは5月29日、第3スタジオで午後2時半から12時まで行なわれる予定だったが、キャンセルされた。また、グループは5月14日に予約を入れて、5月20日から7月26日までの全週、毎週月曜から金曜まで連日、第2スタジオを午後2時半から12時まで押えている。彼らがこのスケジュールに従うのは7月に入ってからのことだ)。
 『THE BEATLES』は、ビートルズが自ら発足させたアップル・レコードから発売する初のアルバムだった。しかし彼らのレコーディング作品 (ソロ作品の大半を含む)は、相変わらずEMIが独占的に権利を所有し、パーロフォンのカタログ・ナンバーをつけてパーロフォンがリリースすることになっていたため、グループにとってこれは表面的なことでしかなかった。

 アビィ・ロードにおけるセッションで、ビートルズは "Please Please Me" から "Strawberry Fields Forever"に至るまでの曲をたびたびリメイクした。が、同じ曲のオリジナル版とリメイク版を両方ともリリースした例はなかった。1968年、彼らはジョン・レノンの奇想天外な新曲 "Revolution"でこれをやってのけたのだ。簡単に説明すると、『THE BEATLES』収録の "Revolution 1"が最初のヴァージョン、やはり同LPに入っている "Revolution 9" が2番目。3番目のヴァージョンはニュー・シングルのB面に使われたたけで、タイトルは単に"Revolution”とされた。

 この曲の全容はかなり込み入っている。まず"Revolution 1" 自体が、もともとは"Revolution" というタイトルだった―― 2つめ以降のヴァージョンを作る計画がなかったときの話だ。その上"Revolution 9" の大部分には"Revolution 1" の初期の録音がじかに流用されている――当初は10分以上あったオリジナル・ヴァージョンが、 LP用に4分ちょっとの長さに縮められたためである。
 この日は "Revolution" (つまり "Revolution 1")の第1~第18テイクが録音された。いずれもリズム・トラック(ピアノ、アコースティック・ギター、ドラムス)で、長さはそれぞれに異なるが、平均して5分程度。第11及び第12テイクが欠落している。
 LPヴァージョンの元となった第18テイクは、ほかのテイクとは大幅な違いを見せる。前のテイクとの間に充分なスペースを置かず、性急に演奏が始まるので、トークバックを使ったジェフ・エマリックの「第18テイク」というアナウンスが、ジョンのヴォーカル (このテイクで初めて登場)にかぶさっている。ジョンがわざとそれをそのままにしておいたため、エマリックの声はアルバムでも聞くことができる。2番目の相違点は、このテイクが5分では終わらなかったことだ。延々と演奏が続いて10分17秒、遂にジョンがあとのメンバーとコントロール・ルームに向かって叫ぶ、「OK、もう充分だ!」。最後の6分はまったくの混沌(これぞ "Revolution"のサウンド、とても言おうか)―― 耳障りなインストゥルメンタル・ジャムに大量のフィードバック。ジョン・レノンは繰り返し「Alright」とどなり、わけのわからないことをわめき、新しいガールフレンドのヨーコ・オノ(編注)と一緒にマイクに呻き(うめき)声を入れる。「You become naked (裸になりなさいよ)」等々、尋常でないことを口にするヨーコ。それに種々雑多なホームメイドのサウンド・エフェクト・テープ、"Revolution 1" の第18テイクがすば抜けた出来だったことは明らかだ。しかしこの長さでは、当時これをシングルとしてリリースしようと考えていたビートルズの意にそぐわなかった。まもなく終わりの6分が削られ、やがて "Revolution 9"の主要部を形成することになる。
 ビートルズのレコーディング(特にジョンの曲の) セッションにおけるヨーコ・オノの役割については、何冊もの本で事細かに論じられている。彼女がセッションに及ぼした影響は陽性だったか陰性だったか、彼女の存在はほかの3人のメンバーを動揺させたか否か、といった激しい論争がいまだに闘わされている。ヨーコの存在のプラス面/マイナス面に関しては、1960年代のアビィ・ロードのスタッフの間でも意見が分かれるところだが、とにかくヨーコがいつもそこにいたのは確かだ。「 ‶WHITE ALBUM” のセッションの初めに、ジョンが第3スタジオのコントロール・ルームへ彼女を連れてきた」とジェフ・エマリック。「みんなに手早く彼女を紹介して、それで決まりさ。以後彼女はいつでも彼のそばにいたよ」

―― 以降略 ――

 

ヨーコ・オノ(小野洋子)
33年2月18日、東京生まれ、父、英輔は横浜正金銀行(現東京銀行) サンフランシスコ支店副頭取。母、磯子は遺族院議員、安田春三郎の娘、幼少時代は名門家庭の子女として育ち学習院大学中退後、サラ・ローレンス大学に入学し作曲と詩を学ぶ。’56年に作曲家一柳慧(いちやなぎ とし)と結婚。64年に離婚しアメリカ人の映画監督、アンソニー・コックスと再婚。'66年11月9日にロンドンの画廊で開かれていた彼女の個展にジョンが現れたのがきっかけとなり、'69年3月20日に結婚している。'75年10月9日、ジョンとの間に長男ショーン・オノ・タロー・レノン誕生。

 

 

辞書

情報提供元(著作権者)Weblio英辞郎

want : 必要である、必要とする

revolution : (政治上の)革命、大変革、激変、革命、回転、旋回、回転運動、(季節などの)周期、循環、(天体の)公転
world : 世界、地球、(地球上にある)地域、天地、宇宙、万物、世界の人、全人類、(渡る)世間、世の中
evolution : 展開、発展、進展、進化、進化論
destruction : 破壊、(大量)殺人、絶滅、駆除、破滅の原因
count out : ~を数に入れない、~を除外する、~を仲間に入れない、~を考えに入れない、~を考慮から外す

count ~ in : ~を計算[勘定・数・人数]に入れる[含める]、~も含めて考える、~を算入する、~を仲間に入れる

don't you know : 〈疑問文で〉~も知らないの?◆相手をばかにした感じになる

be alright : 参考例文 assure someone that everything would be all right

           全てうまくいくと(人)に請け合う

           reassured that everything is going to be all right

           《be ~》万事順調であるという安心感を持つ

real : (名目上・表面的でない)真の、本当の、(まがいでない)本物の、天然の、(うわべだけでなく)心からの、(想像・空想でなく)現実の、実際の、実在する、真に迫った、まったくの 

solution : 解決(策)、解明、解答、溶かすこと、溶解、溶液、溶剤
ask for : ~を求める、~を要求する、~を要する、~を所望する、~を依頼する、~を貸してくれと言う

contribution : 寄付、寄贈、貢献、寄与、寄稿、投稿、寄付金、寄贈物、寄稿作品
mind : (身体と区別して、思考・意志などの働きをする)、精神、(感情・意志と区別して、理性を働かせる)知性、知力、精神の正常な状態、正気、記憶、回想

hate : 不可算名詞 憎しみ,憎悪(ぞうお) 《★【比較】 hatred よりも一般的な感情を意味することが多く,より抽象的で,より文語的》.
brother : 兄、弟、(義理の)兄、同じ仲間の男、同僚、兄弟分、同国人、同胞、あなた、(そこの)お方
constitution : 構成、組織、構造、体質、体格、気質、性質、憲法、政体、国体
institution : 制度、法令、慣例、学会、協会、院、団、公共施設、(福祉関係の)施設、設立
mind : 〔物事に対する〕考え方、感じ方、意見

instead : その代わりとして、それよりも
go : 続ける、継続する

chairman : 議長、委員長、社長、頭取、司会者、(パーティーなどの)進行係、(学科の)主任教授、学科長、病人用車いす を押す人、(昔の sedan chair の)かごかき