"The Inner Light" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"The Inner Light"

Writers : George Harrison

Artist :  The Beatles

Recorded : 1968/1/12 EMI Studios, Bombay, India,

                 1968/2/6, 8 EMI Studios, London

Released : 

singleB 1968/3/15(UK)  A-side "Lady Madonna"

1988/03/07「Past Masters Vol.2」

2009/09/09「Past Masters Vol.2」[Remastered]

2018/09/11「The Beatles 」Special Edition (Take 6 / Instrumental Backing Track)

2006/11/20「Love」

 

 

    <歌詞和訳>"The Inner Light" 邦題 "ジ・インナー・ライト"

            内なる光

 

[Verse 1]

Without going out of my door
I can know all things on earth
Without looking out of my window
I can know the ways of heaven

僕は自分のドアから出ることなく

地上のすべてを知ることができる

僕は自分の窓から見ることなく

天の道を知ることができる

 

[Bridge]

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

 人はより遠くへ旅をしても

人が知ることはより少なくなる

自分が本当に知りたいことはより少なくなるんだ

 

[Verse 2]

Without going out of your door
You can know all things on earth
With out looking out of your window
You can know the ways of heaven

君は自分のドアから出ることなく

地上のすべてを知ることができる

君は自分の窓から見ることなく

天の道を知ることができる

 

[Repeat Bridge]

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

 人はより遠くへ旅をしても

人が知ることはより少なくなる

自分が本当に知りたいことはより少なくなるんだ

 

[Outro]

Arrive without traveling
See all without looking
Do all without doing

旅をすることなく到達し

見ることなくすべてを理解し

することなくすべてを成し遂げる

   

 

????

ジョージの曲です。

イギリスで発売されたシングルレコードに、初めてジョージの曲が収録されましたキラキララブラブ

1962年10月5日にレコード・デビューしてから丸5年。17枚目のシングルです。

ジョージは、どんなに嬉しかったことでしょう音符

 
ビートルズは、
1967年8月「マハリシ・マヘシュ・ヨギ」に出会い、
超越瞑想(トランセンデンタル・メディテーション、略してTM) について学びました。
 
ビートルズが「マハリシ・マヘシュ・ヨギ」に出会った一ヶ月後。
イギリスのテレビ番組の司会者デヴィッド・フロストが、時代の潮流をつかみ、
ジョージジョンをゲストとして呼び、
自分の番組「ザ・フロスト・プログラム」で「超越瞑想」について掘り下げることにしました。

「the complete BEATLES Chronicle Vol.2 1965-1970」328ページ

マーク・ルイソン著 ビートルズ・シネ・クラブ監修・翻訳

 
1967年9月29日(金)
ウェンブリー・スタジオ、第1スタジオ
Wembley
 ビートルズはもうこれまで一般に思われてきたような「いきあたりばったりのお気楽なポップ・スター」ではなくなっていた。それまでのドラッグによる試行錯誤と超越瞑想の経験から、それぞれに、ただのティーンエイジャー向けのポップ・ショーではなく、知的なトーク番組に出演できるだけの視野を備えていた。
 この日ジョンとジョージは、午後10時30分から11時15分までの週3回の深夜テレビ番組 「ザ・フロスト・プログラム」に出演、デビッド・フロストと対談した。ふたりは番組の後半に出演し、超越瞑想について語った。この日の午後6時から7時まで、ウェンブリー・スタジオの第1スタジオで実際に観客の前で録画され、 レディフュージョンにより全国ネットワークで放送された。このスタジオでは、ビートルズは以前に 『チューズデイ・ランデブー』 という子供番組に出演したことがあったが、そんな記憶はもうはるか遠い、前時代のような印象すらあった(『ザ・フロスト・プロ グラム」の前半もテーマは同じで、マハリシ・マヘシ・ヨギへのインタビューが放送された。これは前日にマハリシがイギリスを出発する前にロンドン空港で録画していたものだ)。
録画終了後、ジョンは(そしておそらくジョージも) アビイ・ロードに向かい、午後7時30分ごろ到着。ミキシング・セッションにとりかかった。
(以下省略しますが、
この日ラジオから流れたリア王の音源を"I Am the Walrus" の [Outro]部分にミキシング。
そして、"The Fool On The Hill" をレコーディングしました。 )
 
ビートルズの研究の第一人者「マーク・ルイソン」氏が言うように、
その番組で語るジョージ (ジョンも)は、
1964年2月アメリカに初上陸した時に、100人を超すジャーナリストの前で
「髪の毛はいつ切るんですか?」という質問に、「I have done yesteday」(僕は昨日切ってきたよ)」と、茶目っ気たっぷりに言ったジョージではありませんでした。
 

この回が、好評だったので、次の週もジョージとジョンは番組に呼ばれました。

「the complete BEATLES Chronicle Vol.2 1965-1970」328ページ

マーク・ルイソン著 ビートルズ・シネ・クラブ監修・翻訳

 

10月4日(水)
ウェンブリー・スタジオ、第1スタジオ
Wembley
 前の週の金曜日の出演が好評だったため、ジョンとジョージは前回の出演の次回にあたるこの日の『ザ・フロスト・プログラム』 にも出演した(この番組の放送日は毎週水曜、木曜、金曜)。
 今回も45分間の番組では超越瞑想が話題となり、デビッド・フロスト、視聴者(からの手紙)、スタジオ見学者からの質問にジョンとジョージが答えた。それから、今回の放送分に出席した瞑想に好意的な知識人や否定的な立場をとる知識人(作家ジョン・モーティマーを含む)との討論に参加した。
前回と同様に、番組は午後6時から7時までに録画され、この日の午後10時30分から11時15分に放送された。

 
瞑想に好意的な知識人の中の一人に、ジュアン・マスカロさんという人がいました。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

 

ジョアン・マスカロ(1897年12月8日 - 1987年3月19日)はスペインの翻訳家。カタルーニャ語の綴り(Joan)は女性の英語名「Joan」と同じであるため、彼はスペイン語の綴り(Juan)を使用した。

略歴
マヨルカ島サンタ・マルガリーダの農家に生まれ、13歳の時にスピリチュアルに目覚める。ヒンドゥー教典『バガヴァッド・ギーター』(1962年)、主要なウパニシャッド(1965年)の英訳で知られる。また、重要な仏教テキストであるダンマパダ(1973年)をパーリ語から英訳した。彼の最初の著作であるLamps of Fire(1958年)は、世界中の宗教的・精神的な知恵を集めたもので、この本からの抜粋はビートルズの曲 "The Inner Light"(1968年)にインスピレーションを与えた。母国語はカタルーニャ語だが、英語にも翻訳した。ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたマスカロの追悼記事によると、彼は「母国語ではない言語(サンスクリット語とパーリ語)から母国語ではない別の言語(英語)への翻訳というユニークな偉業を成し遂げた」。

 

その番組でジュアン・マスカロさんは、三回くらい発言するのですが、

以下の動画はその一部分です。

ジョージが著書「I・ME・MINE」で「a sweet old man」と言うように、

すてきな老紳士のジュアン・マスカロさんを見ることができます。

 

↑の映像で、ジュアン・マスカロさんが話している内容が

去年(2023年)発売された本「ジョージ・ハリスン インタヴューズ」に載っていました。

(その時の討論が33ページに渡って載っています。)

その本では「クラーク」さんになっていました。その時に呼ばれていた名前なのでしょうか…。

「ジョージ・ハリスン インタヴューズ」アシュリー・カーン編 伴野由里子訳 143ページ

 

フロスト : 真の幸せとはどういうものですか?
ジョン : ウイスキーのボトルから得られる幸せとは対照的に、悟りの境地に達する幸せだ。繰り返しになるけど。

クラーク : 使うべき言葉も違うのかもしれません。ウイスキーのボトルは私たちに快楽を与えてくれます。一時的なものであり、私が飲んでしまったら、他の人はそれを飲むことができません。でも、喜びの体験、あるいは詩や音楽、自然を噛み締めるといった体験は、誰でも共有できるものです。即ち、私たちが喜びと呼ぶ崇高な体験こそが喜びであり、その喜びはどんどん高まり、魂の中心に喜びを見出すまでに至るのです。生きる喜びであり、愛する喜びです。もし一瞬でもここにいる全員が愛、そう、普遍的な愛を感じることができたら、これを聞いている何千人、何万人もの人もそれを感じるでしょう。

 

その番組が終わったあと、「ジュアン・マスカロ」さんはジョージに、手紙を書きました。

「……、三日前、外国から来ている友人ふたりが、あなたの "ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー" を聴かせてくれました。とても喜んでいます。感動的な曲です。願わくば、何百万という人々の魂に届きますように。今後もこのような曲がどんどん生まれてくることでしょう。あなたのいる場所はまだ、偉大なる旅路の入口にすぎないのですから」

ジョージ・ハリスン著「I・ME・MINE」 ジョージ・ハリスン伝記 山川真理訳 198ページより
手紙とともに、ご自分が書かれた「ランブス・オブ・ファイアー」という本も送り、
ジョージにある提案をしました。
「あなたの音楽にタオの言葉をいくつか入れてみるのも、面白いかもしれない。例えば『ランプ』の66ページ48番は、どうしょう?」私の訳です

ウキペディアより

"might it not be interesting to put into your music a few words of Tao, for example no. 48, page 66 of Lamps?"

番組出演時、ジュアン・マスカロさんは69歳。ジョージは24歳。年の差45歳の交流ですキラキラ

 

 

ジョージが見た、ジュアン・マスカロさん著書「LAMPS OF FIRE」の66ページが見たくなり、探しました。

↑『Beatles and Cavern Club Photos』さんの Face Bookに載っている写真が、その66ページのようです。ジョージの本「I・ME・MINE」 200ページに印刷で載っているのと同じでした。

 

     48. THE INNER LIGHT

   Without going out of my door

   I can know all things on earth. 

   Without looking out of my window

   I can know the ways of heaven.

   For the farther one travels

   The less one knows.

   The sage therefore

   Arrives without travelling, 

   Sees all without looking, 

   Does all without doing.
              THE TAO TE CHING XLVII
Rendered by J. Mascaró

  

 以下は私の訳です。

 

      48. 内なる光

 

    ドアから出ることなく
    私は地上のすべてのことを知ることができる
    窓から外を見ることなく
    私は天空の道を知ることができる
   

    人はより遠くへ旅をしても
    人が知ることはより少なくなる


    それゆえ賢者は
    旅をすることなく到達し 
    見ることなくすべてを理解し 
    することなくすべてを成し遂げる

                   (道徳経47番

    (J. マスカロによる翻訳)

    

ジョージは、

「LAMPS OF FIRE」の48番目の詩 (=道徳経47番の訳) を少し変えて、

"The Inner Light" を書いたと言っています。

In the original poem, the verse says "Without going out of my door, I can know the ways of heaven." And so to prevent any misinterpretations – and also to make the song a bit longer – I did repeat that as a second verse but made it: "Without going out of your door / You can know all things on earth / Without looking out of your window / You can know the ways of heaven – so that it included everybody. (I, Me, Mine)
 
オリジナルの詩には、そのヴァースは
"Without going out of my door, I can know the ways of heaven." 
と書かれていた。
どんな誤解も避けるため、そして歌を少し長くするために、僕はセカンドヴァースとしてリピートした。だけど次のようにした。
"Without going out of your door / You can know all things on earth / Without looking out of your window / You can know the ways of heaven"
そうすることで、すべての人が含まれることになる。
(I, Me, Mineより)
(私の訳です。信じないでください) 

 

ジュアン・マスカロさんが訳した道徳経47番』は、

主語が「I」だったので、ジョージは、

万人に通じるように、主語を「You」に変えた[Verse 2]を、追加したのですね。


そこが、ジョージの凄いところだと思いますキラキラ

なぜかというと、漢文で書かれた原文の「道徳経47番」は、

聖人」を例にあげてジョージが言っているように「すべての人」に伝えていると思うのです。

原文の「道徳経47番」を見ていたかのようなジョージの発言。すごすぎるうずまき

 

以下は「道徳経」の原文です。

    原文
    不出戸知天下、不闚牖見天道。

    其出彌遠、其知彌少。

    是以聖人、不行而知、不見而名、不爲而成。

ウキペディア「ジ・インナー・ライト」より

書き下し文
戸を出でずして天下を知り、まどよりうかがわずして天道を見る。その出ずることいよいよ遠ければ、その知ることいよいよ少なし。ここをもって聖人は行かずして知り、見ずして名(あきら)かにし、なさずして成る。— 「老子:徳経 鑒遠第四十七」

 

ジュアン・マスカロさんが訳したように

色々な国の人が、「道徳経」を母国語に訳しています。

日本でも「老子」や「Tao」の題名で、多くの方が日本語に訳されています。

81番まであります。

 

英語ではthe Tao Te Ching

「道德経」の「道」「德」「経」の発音Tao(dào)、Te (dé) 、Ching (jīng)です。

 

「道德経」について簡潔に書いてあって、わかりやすかったのは、英辞郎でした。

英辞郎より

Tao Te Ching

道徳経◆周代の思想家、老子の作とされる中国の古典。道経37章、徳経44章の2部から構成される。道家思想の根幹をなすもので、法家思想や宋明理学にも影響を与えた。

 

[Verse 1]

Without going out of my door
I can know all things on earth
Without looking out of my window
I can know the ways of heaven

ジュアン・マスカロさん著書「LAMPS OF FIRE」に載っている詩と、まったく同じです。

 

[Brige]

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

    人はより遠くへ旅をしても

    人が知ることはより少なくなる

    自分が本当に知りたいことはより少なくなるんだ

 

最後の行「The less one really knows

"The Inner Light" の中で、この行だけが、ジョージが追加した歌詞なんですラブラブ

この一行には、ジョージの想いが詰まっていますキラキララブラブ

 

 

[Verse 2]

Without going out of your door
You can know all things on earth
With out looking out of your window
You can know the ways of heaven

ジョージは

ジュアン・マスカロさん の歌詞の「I」と「my」を、「you」と「your」に変更して繰り返すことで、すべての人に通じる歌にしました。キラキラ

 

 

[Outro]

Arrive without traveling
See all without looking
Do all without doing

    旅をすることなく到達し

    見ることなくすべてを理解し

    することなくすべてを成し遂げる

 

ジュアン・マスカロさん著書「LAMPS OF FIRE」に載っている詩は以下です。

The sage therefore

Arrives without travelling, 

Sees all without looking, 

Does all without doing.

    それゆえ賢者は
    旅をすることなく到着し 
    見ることなくすべてを理解し 
    することなくすべてを成し遂げる

 

ジョージは「The sage therefore」(それゆえ賢者は) の部分、

原典では「是以聖人」(ここをもって聖人は)の部分を削除し、「does」を「do」に変えました。賢者でなくても、僕たちはやろうと思えばできると言っているかのようですキラキラ

 

 

ジョージの人柄

ジョージ・ハリスン著「I・ME・MINE」 ジョージ・ハリスン伝記 山川真理訳 198ページ

 

「インナー・ライト」は、「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」から生まれたと言ってもいい。あるとき、デヴィッド・フロストのテレビ番組で瞑想についてとりあげた。マハリシ・マヘシ・ヨギのインタビュー映像が流され、ジョン・レノンとぼくが出演した。客席に大勢集まったなかのひとりに、ケンブリッジ大学でサンスクリット語を教えているジュアン・マスカロがいた。そのマスカロ氏は、後日ぼくにこんな手紙を書いてよこした。「……、三日前、外国から来ている友人ふたりが、あなたの「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」を聴かせてくれました。とても喜んでいます。感動的な曲です。願わくば、何百万という人々の魂に届きますように。今後もこのような曲がどんどん生まれてくることでしょう。あなたのいる場所はまだ、偉大なる旅路の入口にすぎないのですから」

 あわせて彼は、「ランブス・オブ・ファイアー」という本を送ってくれた。手紙は続く。「……あなたの曲のなかに、老荘の言葉をひとつふたつ入れてみたらおもしろいのではないでしょうか。たとえばこの本の六六ページ、四八番の詩はいかがでしょう」。それこそが、「ジ・インナー・ライト」のもとになった詩である。老子の「道徳経」を英語に訳したものだ。二〇〇ページには、その詩とあわせてマスカロ氏からもらった手紙を掲載している。 この曲で使われたのはすべてインドの楽器で、演奏もすべてインドの音楽家が行なった。レコーディングはボンベイのHMVスタジオだった。ほとんどの人には、なじみの薄い曲ではないかと思う。 当時の西洋のボビュラー音楽の基準からすると、かなり「邪道」なことをやっているからだ。

 

 もとになった時では、最初の連で「ドアから外に出なくても わたしは地上のできごとがわかる」と書かれている。誤解を避けたかったのと、曲をもう少し長くしたかったのとで、ぼくはこの一節をあとの連でもくりかえし、なおかつ少し変えてみた。
   ドアから外に出なくても
   あなたには 地上のできごとがわかるだろう
   窓から外をながめなくても
   あなたには 天上のようすがわかるだろう


 自分だけでなく、みんなのことを歌いたかったのだ。
 この曲は、ジュアン・マスカロを特別に意識して書いた。彼は本を送ってくれたばかりでなく、感じのいい老紳士でもある。すばらしい経験だった。歌詞がすべてを語っている。アーメン。

 

"The Inner Light"

タイトルも、「ジュアン・マスカロ」のタイトルをそのまま使った

 

"Lamps Of Fire - The Spirit Of Religions," was a book first published in 1958 that contains a compilation of religious writings put together, and sometimes translated, by scholar Juan Mascaro. In mid-November of 1967, Mascaro sent a copy of this book to George with a note suggesting that it might "be interesting to put into your music a few words of Tao," then indicating selection 48 in his book which contains the above mentioned 47th verse of the "Tao Te Ching." George decided to do just that, even using Mascaro's chapter title "The Inner Light" as his song's title.

 

「Lamps Of Fire - The Spirit Of Religions」は、1958年に初めて出版された本で、学者ジュアン・マスカロによって、時には翻訳されものと併せて宗教的な短編がまとめられたものだ。1967年11月中旬、マスカロはこの本のコピーをジョージに送り、「あなたの音楽にタオの言葉を少し入れたら面白いかもしれない」というメモを添えた。そして前述した『Tao Te Ching』の47番が含まれる彼の本の48番を提示した。ジョージは、マスカロの章のタイトル "The Inner Light"さえも、自分の曲のタイトルとして使い、その通りにすることを決めた。

 

[Verse 1] の「I can know the ways of heaven」の「The ways」について

[Verse 1] の

「I can know the ways of heaven」の「the ways of heaven」を「天の道」と訳しましたが、ただの道ではないようです。

 

ウキペディアには「道」は「宇宙の本質的で名状しがたいプロセスを意味する」とあります。(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳)

 

そして加島祥造さんという方が書いた『「老子」新訳 名のない領域からの声』の

第一章には、『タオ――「名のない領域」』と副題がついていました。

 

「道」とか「Tao」とか「the ways」は、

名前もないもので、宇宙の普遍的な本質をなすもの?

私が語るには、奥が深すぎますのでやめます。

 

以下はスペイン語のウキペディアです。

 

タイトル
本書のタイトルにはいくつかの訳語が考えられる。

道(dào)は文字通り「道」、またはその類義語の一つを意味する。この言葉は、孔子、孟子、孟子、法家を含むすべての中国の哲学者によって使用され、道教の文脈では特別な意味を持ち、宇宙の本質的で名状しがたいプロセスを意味する。


德(dé)は基本的に「徳」を意味し、「個人の資質」、「内面の強さ」、「誠実さ」という意味である。中国語では、德は英語の「virtue(美徳)」と同じ意味合いを持つ。道徳的な資質、あるいは先天的な能力(「治癒の美徳」)を意味する。


經(jīng)は「経典」、「書物」、「古典的な書物」を意味する。


したがって、大経道德經は「道と徳の書」、「道と力の書」、「道と徳の古典」などと訳すことができる。

 

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

 

シタールから再びギターへ

1965年、映画「Help!」の撮影中に、ジョージはシタールという楽器に出会いました。

バリー・マイルズ著「ビートルズ・ダイアリー」松尾康治訳

 

1965年4月5日
 ビートルズはトウィッケナムのインド・レストラン 「ラジャハマ」でのシーンを撮影した。
 ジョージ:「ぼくらはそのレストランで、数人のインド人のミュージシャンたちがバックで演奏する中、男がスープの中に投げ込まれるシーンを撮影しようとしていた。その時ぼくはシタールを手に取ってみて、「変な音がするなあ」と思っていた。そして偶然なんだけど、その後ラヴィ・シャンカールの名前をよく聞くようになっていた。 3回目に彼の名前を聞いた時には「何とも奇妙な偶然だな」と思った。そしてザ・バーズのデヴィッド・クロスビーと話している時(1965年8月24日です)、彼もまたラヴィ・シャンカールの名前を言ったんだ。 ぼくはすぐにラヴィのレコードを買いに行った。 彼のレコードをかけて聞くと、説明しにくいんだけど、ぼくの中のある部分が強く揺さぶられるのが分かった。なぜかとても親近感を覚えたんだ。あえて説明するなら、ぼくの知性は理解していなかったんだけど、ぼくの中の残りの部分はなぜかそれと一体化していたという感じかな。ぼくはその音楽に呼ばれていたんだ。

 それから数カ月が過ぎてアジア・ミュージック・サークル協会の人がぼくにこう言ったんだ。 “実はラヴィ・シャンカール(インドのシタール奏者です)をディナーに招いているんだ。 よかったら君も来ないか?” で、ぼくは彼に会ったんだ」

 

そして人前でのコンサートを辞めた年1966年に、妻パティとインドのボンベイ(現在のムンバイ)に行き、シタール奏者ラヴィ・シャンカールからシータールのレッスンを受けました。その時に瞑想も習いました。

 

翌年1967年8月、再び「ラヴィ・シャンカール」に会うため、パティとロサンゼルスに行きました。

滞在中、サンフランシスコにも行きました。

パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ

パティ・ボイド&ぺニ・ジュノー著 前むつみ訳 163ページ

 滞在中はサンフランシスコで友達と暮らしていたジェニー(パティ・ボイドの妹です)にも会った。現地へはデレク・テイラーとニール・アスピノールも一緒に空路、専用のリアジェットで行っている。迎えのリムジンで途中、ジェニーを拾って、みんなでランチを食べに行った。そのあとで、面白そうだからヘイト=アシュベリーを見物してみようということになった。ヒッピーの町と化した地区だ。住民の中には、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョップリンといったミュージシャンも多く、何よりもアメリカにおけるLSDの都だったのだ。道中、デレクがクスリを取り出した。「ほしいか」ですって? ヘイト=アシュベリーに行くというのに、飲まないわけがない。

 地区の名前は、交差する二つの道の名称 「ヘイト」と「アシュベリー」から来ている。その交差点の近くまで来ると、ドライバーがメインの通りは走りたくないのでわき道に駐車すると言った。不思議に思ったが、お任せすることにした。

― 以下略 ー
 ヘイト=アシュベリーはもっとビューティフルな人々に溢れた、スペシャルで、クリエイティヴで、アーティスティックな場所なのだと思っていた。ところがその実は最悪で、顔色の悪い落ちこぼれや、ホームレスや、おかしな若者たちが、ぶっ飛びっぱなしで日がな一日過ごしていた。みんなラリっていたのだ。母親たちや赤ちゃんまでがである。 ある。その人たちが私たちの踵を踏んでしまうほど接近している。うっかり立ち止まると踏み潰されるのではないかという不安にまで襲われた。すると誰かが「ヒッピー・ヒルに行こう」と言い出したので、信号が赤だったらと祈りながら人の波に従って道を渡り、公園は入っていった。今度は誰かが「ここに座ろう」と言うので、みんなで芝生の上に座った。従者たちと向き合って、まるで壇上にいるかのようにだ。彼らの目は期待に満ちていた。ジョージを救世主か何かだと思っている。

 そして、こっちが思いきりハイになっていたその時、恐れていたことが起きた。ギターが群衆の中から現れたのだ。それが頭上高く伸ばした手から手へと伝って、こちらへやってくる。「なんてことなの、ジョージが かわいそうだわ」、そう思った。だが、ついにギターは彼に手渡された。きっとみんな、ビートルズのレコー ドを1枚残らず聴いて、分析し、学ぶべきだと彼らが信じたものを学び、ビートルズがテーマにしていると感じたすべてのドラッグを試してきたに違いない。そして次なる道を知りたがっている今、ジョージが目の前で答えをくれるのだと思っている。プレッシャーだ。
 ジョージはとても冷静だった。彼は「これはG、これはE、これはDだ」と言いながらコードを弾いてみせ ると、ギターを返して「悪いな、もう行かなきゃ」と告げた。歌は披露しなかった。できるはずもない。ドラ ッグで飛んでいるのだから。私たちは全員そうだった。彼がコードを弾けただけでも大したものだ。 とにかく私たちは立ち上がると、リムジンの方へと歩いていった。その瞬間だ。「ねえ、ジョージ、STPやらない?」という小さな声がした。
 ジョージは振り向いて「遠慮しとくよ」と断った。
 すると、そいつが群集に向かって「ジョージ・ハリスンに拒まれちゃったぜ」と言ったのだ。

 妙な敵意がにわかに湧き起こった。それを感じたのだ。あれだけハイになっていると、空気を敏感に察知できてしまう。私たちは徐々に歩調を速めたが、彼らもひたすら付いてきた。やっとリムジンが見えたので、私たちは一気に走って道を渡って車に飛び乗った。しかし群衆も走って追いかけてきて、車を揺らし始め、窓を埋め尽くすようにべったりと顔を付け、中を覗き込んでいた。 

 この一件はジョージにとっての転換用になっている。それまで私たちは、ドラッグは面白いものであり、意識を広げてくれる便利な道具だと考えていた。だが、ヘイト・アシュベリーで一気に目が覚めたのだ。あそこにいた人たちは社会から脱落し、路上で寝起きして、ありとあらゆるドラッグをやっていた。LSDの何倍も強いようなものも含めてだ。STPもそんな強烈なドラッグだったというのを、のちにジョージは "ママ" キャス・エリオットから学んでいる。あそこの住人にアーティスティックやクリエイティヴなところなど、これっぼっちもなかった。単なるアル中と同じ。どこにでもいる依存症患者だ。それを知ったジョージは、ドラッグ・カルチャーそのものに嫌気が差した。それでLSDをやめて仮想に転じたわけだ。
 そういう意味では、マハリシの教えが絶妙なタイミングで私たちの人生に飛び込んできたと言っていい。少なくともジョージの人生にはだ。しかもドラッグの代わりを提供してくれただけではない。ジョージはもとも と、自分の知名度に疑問を持っていた。音楽の才能があるのは分かっていたようだが、世の中にはもっと才能がある人がいくらでもいると感じていた。それなのに、彼だけが世界的に有名になり、街を歩けば揉みくちゃにされ、レストランに落ち着いたと思ったらサインをねだられるのはなぜか。そのわけを探し求めていたところにマハリシが現れて、ジョージがラヴィ・シャンカールとのインドの旅で垣間見た神秘の精神世界に通じる、 便利な手段を提供してくれたのだった。
 かくして私たちはバンガーにいた。すると、みんながTMの手ほどきを受け終えて、新しい生き方を発見できたと信じていた日曜の朝、電話が鳴った。そして慣れ親しんできた世界は終わりを告げることとなった。
 ブライアン・エプスタインが亡くなったのだ。― 以下略 ー

 

長くなりましたが、ジョージが「ジュアン・マスカロさん」と出会い、

"The Inner Light" という楽曲を作る背景だと思いました。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 533ページ

「ラヴィは僕の音楽面でのグル・・・・・後になって、これはすべてじゃない、これは足がかりに過ぎないんだと気がついてね。音楽を通じて、精神的な部分に到達したんだよ。これをきっかけに、やがて僕はヒンドゥー教徒になった……自分自身が気持ち良く感じる何かがあるんだよ。ヨガや宇宙的なお経を唱えることで得られる、あの高揚した感覚。どこにいても高揚出来るんだ。クスリなんかで得られるものとは全然違う。直接、宇宙船に乗り込める感じなんだよ」。

 

ジョージは、再びギターに戻ります。

緑字は、一緒に編集したデレク・テイラーの言葉です。本では書体が変えられています。

ジョージ・ハリスン著「I・ME・MINE」 ジョージ・ハリスン伝記 山川真理訳 110ページ

「ぼくのシタール時代」は、何もかもすばらしかった。ヨガもだ。インドでやっているのと同じように、朝起きたらまず沐浴し、ヨガの稽古をし、瞑想をして、シタールを練習し、それから朝食をとる。 ベッドから飛び起きて紅茶かコーヒーを一杯、なんていうことはない。ぼくにとってはすばらしい修行で、絶対に必要なことだった。「文化」というものを考える出発点にもなった。

 モンタレーでの撮影、ニューヨークでのクラブトンやヘンドリックスとの再会、そして、ラヴィからルーツについて質問されたこと。これらをきっかけに、自分はだれで、どこから来て、どこへ行こ うとしているのかをあらためて考え、それを経たうえで、ジョージはギターに戻る決心をしたのである。
 流行のポップ・ミュージックには目もくれなかった。そんなものには興味を失っていた。だが、すぐれたシタール奏者になれないことも明らかだった。

6th アルバム「Rubber Soul」1965年12月3日

   "Norwegian Wood (This Bird Has Flown)" ジョンの曲

7th アルバム「Revolver」1966年8月5日

   "Love You To"

   "Tomorrow Never Knows" ジョンの曲

8th アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」 1967年6月1日

   "Within You Without You"

9th アルバム「Magical Mystery Tour」 (2枚組EP)1967年12月8日

   "Blue Jay Way"

 

17th シングル 1968年3月15日

   "The Inner Light"