中学三年生の頃から集め始めたビートルズのレコード。 "The Beatles Record Collection"Webサイト →http://www.yokono.co.uk/collection/beatles/beatles.html に掲載している中からレア盤を中心にコレクションを紹介していきます。
そもそもこのコンサートが開かれた「プリンス・オブ・ウェールズ・シアター」は、1884年に「Prince's Theatre(プリンス劇場)」として開業。当初は1062席ものキャパシティをもつバイロイト型(客席がすべて舞台を向いているタイプ)三層構造の劇場だったようです(第一世代)。
そして、1886年に「Prince of Wales Theatre」と改名。
さらに1937年になると内装がアールデコ風に大幅改修され、おそらく現在と同じ、大きなステージと二層の客席(1139席)で構成されるスタイルになったようです(第二世代)。
1937年当時の外観を残す写真(2002年)
まず、ジョンが
will the people in the
cheaper seats clap your hands?
(安い席の方は手拍子を)といったときの映像がこちら。
やや目線は下向き(安い席の方)ですかね?(微妙ですが)
つづいて、
And the rest of you, if you'll just
rattle your jewellery "
(その他の方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください)
のセリフで目線が上(高い席?)にあがったような。。
そして、女王様のほう?をちらっと見て・・・
親指をたてて、ニヤリと笑います。何度見てもいい表情ですねー。
ATVというのはAssociated Televisionの略名で、1955年創立されたTV放送局。ITVネットワーク(The Independent Television network)の一員として英国中部をカバーしていました。
ルー・グレードはATVの副社長兼、その番組制作子会社「ITC」の社長として番組制作を統括。1955年、ATVはロンドン地区の週末の放映を開始。その後も順調に業績を伸ばしていき、1963年にルーはATVの社長となっています。
ルーのもとで総合エンターテインメント企業へと多角化したATVは、1966年にパイ・レコードも買収。
そして1969年、ビートルズのほとんどの楽曲を管理していた会社「ノーザン・ソングス」の株がATVに売却され、ルーはついにレノン=マッカートニーの楽曲の権利を手に入れることになります。
その後ATV(の出版部門)は売却され、マイケル・ジャクソンが購入。さらにSONYとマイケルが株を持ち合うSony/ATV Music Publishingを設立。 https://www.sonyatv.com/en-uk/
●P44-P45
P44は
「The Grand Order of Lady Ratlings」からのお祝いのメッセージ。
The Grand Order of Lady Ratlings(略してGOLR)とは、エンターテインメント業界で最も権威ある女性のための社交クラブだそうです。いまでも続いていて、今年(2012年)で83周年を迎えます。 http://www.golr.co.uk/index.html
●P46-P47
P46は、これまた謎のグループ、「The Grand Order of Water Rats」からの祝辞。
どうやら、The Grand Order of Lady Ratlingsと同じような組織で、こちらは男性社交クラブだそうです。
こちらも現在活動中です。 http://www.gowr.net/
P47は、Hippodrome Cornerにある「The Talk of the Town」からの祝辞。
「The London Hippodrome」は1900年にサーカスや大掛かりなウォーターイベントなどを見せる劇場としてオープン。しかし1958年に内装を大きく変更し、キャバレースタイルのナイトクラブ&レストラン「The Talk Of The Town」に改装されました。
※画像はhttp://www.arthurlloyd.co.uk/LondonHippodrome.htm
から転載。
●P48-P49
P48の左半分は、チャーリー・ドレイク主演、宇宙ミュージカル「THE MAN IN THE MOON」@ロンドン・パラディアムの広告です。
ドレイクは、5番目に出演していたコメディアンですね。
●P50-P51
P50は、Howard & Wyndham Ltd.(ハワード&ウィンダム社)に属する劇場連盟の紹介だと思われます。
John B. HowardとFrederick W Wyndham(たぶん)
ハワード&ウィンダム社は、グラスゴーのベイリー・マイケル・シモンズによって1895年に設立された劇場の所有・制作・管理をマネジメントする組織で、もともとは、俳優であり興行主であったジョン·ハワードとフレデリック・ウィンダムとの間で交わされていたビジネスパートナーシップを、マイケル・シモンズが正式化し拡張したのが成り立ちのようです。シモンズはグラスゴーに本社をもつ果物輸入会社サイモン·ジェイコブス&Coの頭取(社長?)です。
この組織は次第に大きくなり、質の高い劇場を傘下に収めていきました。それがこの「Britain's Premier Theatre Circuit」と呼ばれる連盟と思われます。(違ってたらすいません)
P51は、ATV (Associated Television Limited)社の広告です。
●P52
ついに52ページ目。いよいよパンフレットの最終ページとなりました。
上段は、「The Great Universal Stores Ltd.」の広告。
通称「GUS」は、1900年に創業された英国に拠点を置く小売業のグループです。
2006年にホームリテールグループとエクスペリアンという二つの会社に分割され、いまはもうありません。
下段は中華料理店の広告。
Young's Chinese Restaurantは、Cambridge Circusの近くにあったようですが、今はもうなくなってしまったようです。
広告をよく見ると、「ペルシアン&ハワイアンダンサーが毎晩踊る」とあります。。中華なのに?
当時のお店の写真がありましたので掲載します。
1960年代の「Young's Chinese Restaurant」の外観です。
ちょっと分かりにくいですが、横の看板に広告と同じ「東星酒楼」の文字が見えます。住所がCambridge Circusなのでチャリングクロス・ロードとシャフツベリー・アヴェニューの交差点あたりですね。
こちらは1950年代の「Hong Kong Emporium(商店)」。よく見るとこちらも看板があります。
場所はルパート・ストリート。デゾ・ホフマンが4人の写真を撮影したルパート・コートのすぐ近くです。
Hong Kong Emporiumの値段表です。こちらは1940年代のもの。基本は食料品店のようですね。
ただ、チャイナドレスやファンシーグッズも売ってたみたいです。
表紙に「Hong Kong Restaurant」の広告も載っています。
電話番号が、ロイヤル・バラエティ~のパンフと同じなので、同一の店と考えてよいでしょう。
こちらは「Hong Kong Restaurant」のレシート。同じく1940年代のもの。
シャフツベリー・アヴェニューと、ニューオックスフォードストリートの交差点あたりにあったようです。
このひとたちは何を食べたんでしょうね。
●表4
そして、パンフレットの裏表紙。こちらが最後の画像です。
ネイビーのおじさんがトレードマークのPlayer's Navy Cutのタバコの広告。
英国人のジョン・プレイヤーが1828年にイギリスのノッティンガムでタバコ会社(後の「John Player & Sons」)を創立。1901年には、同じくイギリスのインペリアルタバコ・グループに吸収合併されます。しかしこのPlayer's Navy Cut他いくつかのブランドはロゴとともに販売を続けたそうです。
13 "STEPTOE & SON" WILFRID BRAMBELL と HARRY H. CORBETT
「Steptoe and Son」とは英国BBCで1962年から1974年ごろまで放送されていたコメディで、廃品回収業者の親子の話だそうです。その父親役がウィルフリッド、息子役がハリーです。
演じるのは今回のステージのための「特別編」というところでしょうか。
「“(今からでも)遅くないNever Too Late”の劇団員とプリンス・オブ・ウェールズ劇場に賛辞を捧ぐ」
ですかね?
ここは広告が埋まらなかったページなのかもしれません。
後にも同じようなページ※がでてくるし。
(2012 3.10追記)
※P41の内容と照らし合わせると、「Never Too Late」はどうやらお芝居のタイトルですね。
アメリカの劇作家Neil Simonの「Never Too Late」はPrince Of Wales劇場で上演されています。
ポール・マッカートニーとジェーン・アッシャーも一緒に見に行ったらしいです。
●P32-P33
続いて14番目。 14 PINKY & PERKY AND COMPANY presented by: JAN & VLLASTA DALIBOR
「Pinky & Perky」は1957年から1971年まで続いていたイギリスの大人気子供向け人形劇。
ベレーをかぶってるのがPerky、かぶってないのがPinky。兄弟豚と言う設定です。
15 ERIC SYKES & HATTIE JACQUES
エリック・サイクスは、イギリスのラジオ、テレビ、映画の作家であり、俳優。
彼はよく、スパイク・ミリガンやピーター・セラーズなど多くの主要なコメディアンのために脚本を書きました。
また、ハッティ・ジャックも同じく英国の喜劇女優で、エリック・サイクスと長きに渡るパートナーとなり、テレビシリーズなどで共演しています。
右ページは、Tyne Tees Television (現ITV Tyne Tees
)の広告。ノース・イースト・イングランドやノース・ヨークシャなど英国北東部をカバーするITV系列の民放局。
当時のニュース番組の映像です。
●P34-P35
続いて、16、17番目の出演者です。
16 MICHAEL FLANDERS and DONALD SWANN
1950年代半ばから60年代にかけて活躍したイギリスの俳優、歌手のマイケル・フランダースと、作曲家、ピアニストのドナルド・スワンのコンビによるコミック・ソング。
マイケルが車椅子、ドナルドはピアノの椅子に座ったまま演じるスタイルは当時大人気となり、その後も世界各地で上演されたということです。
17 MARLENE DIETRICH at the piano: BURT BACARACH
マレーネ・デードリッヒはドイツ出身の女優・歌手。
アメリカに渡り、「モロッコ」や「上海特急」で映画スターの座を確立。その後1950年代からは主に歌手として活動。1958年からバート・バカラックとコンビを組んでいます。ここでもオーケストラ指揮とピアノはバカラックだったようですね。
18 TOMMY STEELE and MEMBERS OF "HALF A SIXPENCE" COMPANY BY KIND PERMISSION OF HAROLD FIELDING
トミー・スティールは英国出身の歌手、俳優。歌唱力を買われて映画にも出演。代表作がこの「Half A Sixpence」
邦題は「心を繋ぐ6ペンス」で、1967年にはミュージカルとして映画化されています。
このコンサートでは「Flash Bang Wallop (邦題は「ピカッ・ドカン・キャッ」)を歌っています。
これは当時の映像が残っておりました。音が非常に悪い状態ですがご容赦ください。
いよいよオーラス!
19 HARRY SECOMBE and the "PICKWICK" COMPANY
サー・ハリー・シーコムは英国ウェールズ生まれ、コメディの才能と素晴らしいテノールの歌声をもつエンターテイナー。BBCラジオでピーター・セラーズやスパイク・ミリガンとトリオでコメディ番組「The Goon Show」に出演し、人気を博します。のちにディケンズの「ピクウィック・ペーパーズ」を原作としたミュージカルで「If I Ruled the World」を歌い、ヒットさせました。