テレビとこれからの視聴率を考えてみる
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日本でテレビ放送が開始されたのは1953年(昭和28年)でした。2月1日にNHKが、その後8月28日に日本テレビ放送網が放送を開始しています。放送開始当初のNHKの受信契約は866件だったようです。
■テレビのビジネスモデル
テレビのビジネスモデルは50年前も今も基本的には変わっていません。1953年当初から、NHKは視聴者から受信料を受け取る有料モデルであり、日本テレビ放送網はスポンサー企業のCMを入れる広告モデル(受信料は無料)でした。ちなみに、日本での初めてのテレビCMは、日本テレビ放送網の放送初日に流された精工舎の時報だったとのこと。
スポンサー企業は50年前も今も、多くの予算を投入しテレビCMを流しています。スポンサーにとってテレビはそれだけ「広告媒体」としての価値を見出しているのでしょう。つまり、一つの情報を一度に大量の視聴者に届けることができるという価値です。これは、新聞・雑誌、ラジオ、あるいはネットと比べても優れていると思います。
CMは番組の間に放送されるわけですが、スポンサー企業にとって本当に見てほしいのはCMなわけです。CMを見て自分たち企業のことや商品・サービスを知って興味を持ってもらいたい、店頭で手に取り、そして買ってほしい。これがテレビCMに期待する効果です。だからスポンサーにとっては、テレビ番組はむしろCMを見てもらうため「客寄せ」という位置づけ。視聴者にとっては番組が主役でCMがおまけみたいなものですが、スポンサーは逆になります。
■広告業界で使われるGRP指標とは
ところで、テレビの広告業界の世界でよく使われるものに、GRP(Gross Rating Point:延べ視聴率)という用語があります。これはCMの視聴率を積み上げた数値で、例えばCMを100本打った場合に、仮にその視聴率が全て10%だったとすると、GRPは100×10=1000となります。もう少し現実的には、16%の番組に5本、12%の番組に6本、6%の番組に8本のCMを流した場合は、(16×5)+(12×6)+(6×8)=200GRPのようになります。
GRPはスポットCMという放送局が定めた時間枠に放映するCMの取引に用いられます。例えば、スポンサーから「新商品のCMは1000GRPで」という依頼がテレビ放送局に入ったとします。この場合、10%の視聴率が取れそうな番組のCM枠であれば、100本のCMを打つことなりますが、視聴率が5%の場合は200本を打たなければならなくなります。このように、GRPとは、広告主や広告会社にとっては出稿や広告の計画を考える際の指標であり、一方の媒体社であるテレビ放送局からみると広告枠の在庫管理指標としての意味合いが強くなります。なお、GRP単価は一般に在京キー局で10万円程度と言われており、関東地区で1000GRPを獲得するためには1億円相当の広告料が必要になります。(参照:GRPとは|ITpro)
■視聴率と視聴質
GRPとは、CM出稿量×視聴率で表される指標です(ここで言う視聴率は一般的には世帯視聴率)。視聴率は、私たち視聴者にとってもどの番組が人気があるのかを知る一つの基準になるとともに、広告主やテレビ放送局にとっても出稿計画や広告費(広告主にはコスト、テレビ局にとっては売上)に直結する影響の大きなものです。
ここで世帯視聴率についてあらためて考えてみると、視聴率というは簡単に言うと、番組あるいはCMがどれだけの世帯で見られたのかという「量」を表す指標です。その番組であったりCMの評価という意味では、本来であれば「誰が見たのか」「その番組/CMはどうだったか(好感度など)」「CMを見てその商品を買ったか」等々、現在の視聴率では取りきれない、いわば視聴の質も考慮することも重要になります。つまり、視聴率が量的な尺度だとすると、視聴質というテレビ番組の質、視聴者の質、視聴の質などを測る尺度が重要になるのです。
しかし、現在のところ視聴質は広告主を中心に実現が期待されているものの、そもそもの何をもって視聴の質とするかの定義も明確になっておらず、または、どうやって聴取するかという調査手法も確立していません。視聴率についてはビデオリサーチ社の世帯視聴率が標準的に使われていますが、視聴の質については放送局や調査会社が独自に調査をしている程度にとどまっているのが現状です。
■これからの視聴率・視聴質
視聴率を世帯という単位で見ることも、これからもそうであっていいのかという議論もあります。よくスポーツ紙などでは、「瞬間最高資料率35%、3人に1人は見た」などの見出しをみかけますが、世帯ベースの数字であればこの表現は間違いで、個人ベースの視聴率を使わなければなりません。ただ、3世帯に1世帯が見たと言われても、あまりイメージがしにくい表現になってしまうようにも思いますが。ビデオリサーチ社では1997年からピープルメーターという機械を使って、個人の視聴率調査も実施していますが(現在は関東・関西・名古屋地区で各600世帯)、これはあくまで世帯内個人であり、少し専門的な話をすると調査設計が世帯で考えられているので、世帯内個人だと個人ベースでは調査の代表性(日本の個人人口を正しく反映していること)が担保されていないものになっています。
日本のテレビ業界では唯一の「通貨」とも言えるビデオリサーチ社の視聴率ですが、これからのテレビのあり方を考えるとテレビの見られ方に合わせて進化する必要がありそうです。というのも、日本での視聴率と一般的に言われるのは自宅内でのリアルタイム視聴のことであり、レコーダーに一旦録画した番組を再生する、いわゆるタイムシフト視聴や携帯電話でのワンセグ放送などは対象となっていません。下図でみると、左下のセグメントだけになります。実は、ビデオリサーチの視聴率調査には、録画率という指標があるのですが、これは録画と同時にテレビでも同じものを見ていた場合のみであり、留守録などにより後から再生し見た場合(タイムシフト視聴)は含まれていない。

このようにこれからの視聴率という観点では、家庭内のTVだけではなく、タブレット型も含むPCでの視聴、あるいはスマートフォンなどの多種類のデバイス、レコーダー等によるリアルタイム以外のタイムシフト視聴も含めた「視聴」を捉える必要があります。
そして、視聴率ではどれだけの世帯・人が見たかという量的な尺度なので、質的な側面も捉えることが求められます。これは、「○○という番組を見てどう思いましたか」と聞くのは、コストも時間もかかり、そもそも本当に聞き出したいことが手に入るかという課題もありそうです。そうではなく、例えば、IntoNowに見られるようなテレビ番組へのチェックインであったり、テレビ番組に関するツイートを番組ごとに閲覧できるクライアントサービスであるtwelevisionの入力データなどを活用することなのかもしれません。入力データのハンドリングなど課題はあるかと思いますが、書籍「次世代マーケティングリサーチ」で著者の萩原雅之氏が述べている「Asking(質問する)からListening(傾聴する)へ」という考え方での視聴調査になるのかもしれません。質問をして「集めるデータ」ではなく、視聴者から「集まってくるデータ」を利用するのです。
■まとめ
日本のテレビのビジネスモデルである「広告モデル」は現在でも主流です。広告主とテレビ放送局にとって、GRPとその要素である視聴率の影響は大きいものの、視聴率の性格が「どれだけの世帯が見たか」という量的な尺度であることから、番組やCMの質を捉える視聴質への期待があります。
しかし、視聴質の定義や調査手法が確立していないため、ビデオリサーチの視聴率が「通貨」となっているのが現状です。タイムシフトや視聴場所シフトというこれからのテレビ視聴スタイルを想定すると、視聴率はそれに合わせて変わっていくことが望まれ、視聴の質も全く新しい考え方で捉えることになるのかもしれません。
※参考情報
テレビ放送開始|NHK
日本放送協会|Wikipedia
日本テレビ放送網|Wikipedia
セイコーホールディングス|Wikipedia
延べ視聴率|Wikipedia
GRPとは|ITpro
IntoNow
twelevision
指定したテレビ番組に関するツイートを閲覧できるクライアント『Twelevision』|lifehacker
日本でテレビ放送が開始されたのは1953年(昭和28年)でした。2月1日にNHKが、その後8月28日に日本テレビ放送網が放送を開始しています。放送開始当初のNHKの受信契約は866件だったようです。
■テレビのビジネスモデル
テレビのビジネスモデルは50年前も今も基本的には変わっていません。1953年当初から、NHKは視聴者から受信料を受け取る有料モデルであり、日本テレビ放送網はスポンサー企業のCMを入れる広告モデル(受信料は無料)でした。ちなみに、日本での初めてのテレビCMは、日本テレビ放送網の放送初日に流された精工舎の時報だったとのこと。
スポンサー企業は50年前も今も、多くの予算を投入しテレビCMを流しています。スポンサーにとってテレビはそれだけ「広告媒体」としての価値を見出しているのでしょう。つまり、一つの情報を一度に大量の視聴者に届けることができるという価値です。これは、新聞・雑誌、ラジオ、あるいはネットと比べても優れていると思います。
CMは番組の間に放送されるわけですが、スポンサー企業にとって本当に見てほしいのはCMなわけです。CMを見て自分たち企業のことや商品・サービスを知って興味を持ってもらいたい、店頭で手に取り、そして買ってほしい。これがテレビCMに期待する効果です。だからスポンサーにとっては、テレビ番組はむしろCMを見てもらうため「客寄せ」という位置づけ。視聴者にとっては番組が主役でCMがおまけみたいなものですが、スポンサーは逆になります。
■広告業界で使われるGRP指標とは
ところで、テレビの広告業界の世界でよく使われるものに、GRP(Gross Rating Point:延べ視聴率)という用語があります。これはCMの視聴率を積み上げた数値で、例えばCMを100本打った場合に、仮にその視聴率が全て10%だったとすると、GRPは100×10=1000となります。もう少し現実的には、16%の番組に5本、12%の番組に6本、6%の番組に8本のCMを流した場合は、(16×5)+(12×6)+(6×8)=200GRPのようになります。
GRPはスポットCMという放送局が定めた時間枠に放映するCMの取引に用いられます。例えば、スポンサーから「新商品のCMは1000GRPで」という依頼がテレビ放送局に入ったとします。この場合、10%の視聴率が取れそうな番組のCM枠であれば、100本のCMを打つことなりますが、視聴率が5%の場合は200本を打たなければならなくなります。このように、GRPとは、広告主や広告会社にとっては出稿や広告の計画を考える際の指標であり、一方の媒体社であるテレビ放送局からみると広告枠の在庫管理指標としての意味合いが強くなります。なお、GRP単価は一般に在京キー局で10万円程度と言われており、関東地区で1000GRPを獲得するためには1億円相当の広告料が必要になります。(参照:GRPとは|ITpro)
■視聴率と視聴質
GRPとは、CM出稿量×視聴率で表される指標です(ここで言う視聴率は一般的には世帯視聴率)。視聴率は、私たち視聴者にとってもどの番組が人気があるのかを知る一つの基準になるとともに、広告主やテレビ放送局にとっても出稿計画や広告費(広告主にはコスト、テレビ局にとっては売上)に直結する影響の大きなものです。
ここで世帯視聴率についてあらためて考えてみると、視聴率というは簡単に言うと、番組あるいはCMがどれだけの世帯で見られたのかという「量」を表す指標です。その番組であったりCMの評価という意味では、本来であれば「誰が見たのか」「その番組/CMはどうだったか(好感度など)」「CMを見てその商品を買ったか」等々、現在の視聴率では取りきれない、いわば視聴の質も考慮することも重要になります。つまり、視聴率が量的な尺度だとすると、視聴質というテレビ番組の質、視聴者の質、視聴の質などを測る尺度が重要になるのです。
しかし、現在のところ視聴質は広告主を中心に実現が期待されているものの、そもそもの何をもって視聴の質とするかの定義も明確になっておらず、または、どうやって聴取するかという調査手法も確立していません。視聴率についてはビデオリサーチ社の世帯視聴率が標準的に使われていますが、視聴の質については放送局や調査会社が独自に調査をしている程度にとどまっているのが現状です。
■これからの視聴率・視聴質
視聴率を世帯という単位で見ることも、これからもそうであっていいのかという議論もあります。よくスポーツ紙などでは、「瞬間最高資料率35%、3人に1人は見た」などの見出しをみかけますが、世帯ベースの数字であればこの表現は間違いで、個人ベースの視聴率を使わなければなりません。ただ、3世帯に1世帯が見たと言われても、あまりイメージがしにくい表現になってしまうようにも思いますが。ビデオリサーチ社では1997年からピープルメーターという機械を使って、個人の視聴率調査も実施していますが(現在は関東・関西・名古屋地区で各600世帯)、これはあくまで世帯内個人であり、少し専門的な話をすると調査設計が世帯で考えられているので、世帯内個人だと個人ベースでは調査の代表性(日本の個人人口を正しく反映していること)が担保されていないものになっています。
日本のテレビ業界では唯一の「通貨」とも言えるビデオリサーチ社の視聴率ですが、これからのテレビのあり方を考えるとテレビの見られ方に合わせて進化する必要がありそうです。というのも、日本での視聴率と一般的に言われるのは自宅内でのリアルタイム視聴のことであり、レコーダーに一旦録画した番組を再生する、いわゆるタイムシフト視聴や携帯電話でのワンセグ放送などは対象となっていません。下図でみると、左下のセグメントだけになります。実は、ビデオリサーチの視聴率調査には、録画率という指標があるのですが、これは録画と同時にテレビでも同じものを見ていた場合のみであり、留守録などにより後から再生し見た場合(タイムシフト視聴)は含まれていない。

このようにこれからの視聴率という観点では、家庭内のTVだけではなく、タブレット型も含むPCでの視聴、あるいはスマートフォンなどの多種類のデバイス、レコーダー等によるリアルタイム以外のタイムシフト視聴も含めた「視聴」を捉える必要があります。
そして、視聴率ではどれだけの世帯・人が見たかという量的な尺度なので、質的な側面も捉えることが求められます。これは、「○○という番組を見てどう思いましたか」と聞くのは、コストも時間もかかり、そもそも本当に聞き出したいことが手に入るかという課題もありそうです。そうではなく、例えば、IntoNowに見られるようなテレビ番組へのチェックインであったり、テレビ番組に関するツイートを番組ごとに閲覧できるクライアントサービスであるtwelevisionの入力データなどを活用することなのかもしれません。入力データのハンドリングなど課題はあるかと思いますが、書籍「次世代マーケティングリサーチ」で著者の萩原雅之氏が述べている「Asking(質問する)からListening(傾聴する)へ」という考え方での視聴調査になるのかもしれません。質問をして「集めるデータ」ではなく、視聴者から「集まってくるデータ」を利用するのです。
■まとめ
日本のテレビのビジネスモデルである「広告モデル」は現在でも主流です。広告主とテレビ放送局にとって、GRPとその要素である視聴率の影響は大きいものの、視聴率の性格が「どれだけの世帯が見たか」という量的な尺度であることから、番組やCMの質を捉える視聴質への期待があります。
しかし、視聴質の定義や調査手法が確立していないため、ビデオリサーチの視聴率が「通貨」となっているのが現状です。タイムシフトや視聴場所シフトというこれからのテレビ視聴スタイルを想定すると、視聴率はそれに合わせて変わっていくことが望まれ、視聴の質も全く新しい考え方で捉えることになるのかもしれません。
※参考情報
テレビ放送開始|NHK
日本放送協会|Wikipedia
日本テレビ放送網|Wikipedia
セイコーホールディングス|Wikipedia
延べ視聴率|Wikipedia
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決断とリスクはワンセットである
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「決断力」 (羽生善治 角川oneテーマ21)という本を読みました。初版が2005年で、羽生善治氏は当時34歳。将棋のことが中心に書かれているものの、専門知識がなくても読み進めてしまいました。それだけ書かれている内容が将棋以外にも広く当てはまるということなのではないでしょうか。今回のエントリーでは、書籍「決断力」を読んで考えたことを中心に書いています。
本書の目次です。
第1章 勝機は誰にでもある
第2章 直感の七割は正しい
第3章 勝負に生かす「集中力」
第4章 「選ぶ」情報、「捨てる」情報
第5章 才能とは、継続できる情熱である
■決断とはリスクを取ること
「将棋を指すうえで、一番の決め手になるのは何か?」 これに対する羽生さんの答えが「決断力」だそうです(p.56)。決断力はまさに本書のタイトルでもありますが、決断について最も印象に残っているのは、「決断とリスクはワンセットである」という考え方でした(p.71)。羽生さん曰く、リスクを前にすると正直怖気づくこともあるそうです。それでも勝負をするからには、そのような場面に向き合い、決断を下すと言います。なぜか。これについては以下のように記述しています。
リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。(p.72)
これは本書の第2章で言及されていますが、個人的にはこの本での一番のハイライトでした。特に、(現在の)リスクを積極的に取ることは未来のリスクを最小化する、という指摘。これは、リスクを取らないことがリスクであるという考え方に近いように思います。もちろん、自分にとって許容できないような大きなリスクを負うことは無謀なことですが、リスクを正しく評価し、その上でリスクを取る、そのために羽生さんは自らに上記引用部分を言い聞かせることで、リスクと正対しているのだと感じました。決断とリスクについては将棋に限ったことではなく、だからこそ考えさせられる指摘でした。
■「選ぶ」情報と「捨てる」情報
決断することについて、もう一つ印象的だったのはこれです。「私はロジカルに考えて判断を積み上げる力も必要であると思うが、見切りをつけ、捨てることを決断する力も大事だと思っている」(p.169)。捨てるということに対しては、羽生さんは、情報は「選ぶ」より「いかに捨てるか」が重要とも言っています。個人的な解釈にすぎないかもしれませんが、「選ぶ」というのは、AとBのうちAを選んだとしてもBはそのまま残しておくイメージがあります。一方で「捨てる」とはAだけ残し、文字通りBは捨ててしまうイメージを持っています。
なぜ捨てるかと言うと、全部を収集し分析していては時間がかかり過ぎるからであり、例えば羽生さんの場合、将棋の局面を想定する場合も、八十通りある指し手の可能性の中から大部分を捨ててしまうそうです。八十手のうち二~三手以外はこれまでの経験から考える必要がないと判断し、候補を絞ると言います。「情報をいくら分類、整理しても、どこが問題かをしっかりとらいないと正しく分析できない」(p.129)。これが羽生さんの情報についての考え方なのです。
■物事を簡単に考えること、ベストを尽くせる環境、勉強法、モチベーション
上記では、決断する上でのリスクについての考え方や、時には捨てることの大切さに触れました。これ以外にも、興味深い言及があったので、最後にいくつか引用しておきます。
一般社会で、ごちゃごちゃ考えないということは、固定観念に縛られたり、昔からのやり方やいきさつにとらわれずに、物事を簡単に考えるということだ。(中略) 簡単に、単純に考えるということは、複雑な局面に立ち向かったり、物事を推し進めるときの合い言葉になると思う。そう考えることから可能性が広がるのは、どの世界も同じであろう。(p.24-25)
私は、年齢にかかわらず、常に、その時、その時でベストを尽くせる、そういう環境に身を置いている――それが自分の人生を豊かにする最大のポイントだと思っている。(p.123)
報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。(p.171-172)
これをすれば絶対に強くなるという方法はわからない。将棋は進化している。技術や社会もそうだろう。取り残されないためには油断は禁物だ。今はこれがいいという勉強法でも、時間とともに通じなくなる。変えていかなければならない。私は、年齢とともに勉強法を変えることは、自分を前に進めるための必須条件だと考えている。(p.190)
どの世界においても、大切なのは実力を持続することである。そのためにモチベーションを持ち続けられる。地位や肩書は、その結果としてあとについてくるものだ。逆に考えてしまうと、どこかで行き詰ったり、いつか迷路にはまり込んでしまうのではないだろうか。(p.195)
「決断力」 (羽生善治 角川oneテーマ21)という本を読みました。初版が2005年で、羽生善治氏は当時34歳。将棋のことが中心に書かれているものの、専門知識がなくても読み進めてしまいました。それだけ書かれている内容が将棋以外にも広く当てはまるということなのではないでしょうか。今回のエントリーでは、書籍「決断力」を読んで考えたことを中心に書いています。
本書の目次です。
第1章 勝機は誰にでもある
第2章 直感の七割は正しい
第3章 勝負に生かす「集中力」
第4章 「選ぶ」情報、「捨てる」情報
第5章 才能とは、継続できる情熱である
■決断とはリスクを取ること
「将棋を指すうえで、一番の決め手になるのは何か?」 これに対する羽生さんの答えが「決断力」だそうです(p.56)。決断力はまさに本書のタイトルでもありますが、決断について最も印象に残っているのは、「決断とリスクはワンセットである」という考え方でした(p.71)。羽生さん曰く、リスクを前にすると正直怖気づくこともあるそうです。それでも勝負をするからには、そのような場面に向き合い、決断を下すと言います。なぜか。これについては以下のように記述しています。
リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。(p.72)
これは本書の第2章で言及されていますが、個人的にはこの本での一番のハイライトでした。特に、(現在の)リスクを積極的に取ることは未来のリスクを最小化する、という指摘。これは、リスクを取らないことがリスクであるという考え方に近いように思います。もちろん、自分にとって許容できないような大きなリスクを負うことは無謀なことですが、リスクを正しく評価し、その上でリスクを取る、そのために羽生さんは自らに上記引用部分を言い聞かせることで、リスクと正対しているのだと感じました。決断とリスクについては将棋に限ったことではなく、だからこそ考えさせられる指摘でした。
■「選ぶ」情報と「捨てる」情報
決断することについて、もう一つ印象的だったのはこれです。「私はロジカルに考えて判断を積み上げる力も必要であると思うが、見切りをつけ、捨てることを決断する力も大事だと思っている」(p.169)。捨てるということに対しては、羽生さんは、情報は「選ぶ」より「いかに捨てるか」が重要とも言っています。個人的な解釈にすぎないかもしれませんが、「選ぶ」というのは、AとBのうちAを選んだとしてもBはそのまま残しておくイメージがあります。一方で「捨てる」とはAだけ残し、文字通りBは捨ててしまうイメージを持っています。
なぜ捨てるかと言うと、全部を収集し分析していては時間がかかり過ぎるからであり、例えば羽生さんの場合、将棋の局面を想定する場合も、八十通りある指し手の可能性の中から大部分を捨ててしまうそうです。八十手のうち二~三手以外はこれまでの経験から考える必要がないと判断し、候補を絞ると言います。「情報をいくら分類、整理しても、どこが問題かをしっかりとらいないと正しく分析できない」(p.129)。これが羽生さんの情報についての考え方なのです。
■物事を簡単に考えること、ベストを尽くせる環境、勉強法、モチベーション
上記では、決断する上でのリスクについての考え方や、時には捨てることの大切さに触れました。これ以外にも、興味深い言及があったので、最後にいくつか引用しておきます。
一般社会で、ごちゃごちゃ考えないということは、固定観念に縛られたり、昔からのやり方やいきさつにとらわれずに、物事を簡単に考えるということだ。(中略) 簡単に、単純に考えるということは、複雑な局面に立ち向かったり、物事を推し進めるときの合い言葉になると思う。そう考えることから可能性が広がるのは、どの世界も同じであろう。(p.24-25)
私は、年齢にかかわらず、常に、その時、その時でベストを尽くせる、そういう環境に身を置いている――それが自分の人生を豊かにする最大のポイントだと思っている。(p.123)
報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。(p.171-172)
これをすれば絶対に強くなるという方法はわからない。将棋は進化している。技術や社会もそうだろう。取り残されないためには油断は禁物だ。今はこれがいいという勉強法でも、時間とともに通じなくなる。変えていかなければならない。私は、年齢とともに勉強法を変えることは、自分を前に進めるための必須条件だと考えている。(p.190)
どの世界においても、大切なのは実力を持続することである。そのためにモチベーションを持ち続けられる。地位や肩書は、その結果としてあとについてくるものだ。逆に考えてしまうと、どこかで行き詰ったり、いつか迷路にはまり込んでしまうのではないだろうか。(p.195)
大人老い易く学成り難し
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勉強はやらさせるもの、辛いもの、多くの人がそう思っているかもしれません。「勉強は楽しいものである」。野口悠紀雄氏は著書『実力大競争時代の「超」勉強法』の中でこう主張しています。この本のタイトルには勉強法とあり、具体的な方法も書かれていますが、なぜ勉強をするのかということをあらためて考えさせてくれた本でした。今回のエントリーでは、勉強についてあらためて書いていますが、読み返してみると自分自身へ投げかけているような内容でした。
■勉強しなければいけない理由が変わった
本書のもくじを見てみます。
----------------------------------------------------------------------
第1章 就職大競争時代が始まった
第2章 かつて勉強は学歴獲得の手段だった
第3章 シグナルから武器へ
第4章 英語と数学は、どんな仕事にも必要
第5章 求められるのは、ソルーション
第6章 勉強は楽しく、面白い
第7章 勉強社会が未来を開く
----------------------------------------------------------------------
本書では、勉強をしなければいけない理由を「これまで」と「これから」で異なると言います。これまでについては、第2章に詳しく書かれていますが、学歴を獲得するため、もっと言えば就職に有利になる大学名という「シグナル」を得るためにすぎなかったと指摘しています。よって、勉強するための動機は入学試験に突破することであり、大学入学後、あるいは就職してからの勉強の重要度は高くなかったと言います。
これまでの勉強は学歴を得るためとしていますが(もちろんそうではない人もいる)、そうなった背景を考えると理解できるようにも思います。日本社会における成功者とはいわゆる大企業で昇進した人々であり、終身雇用が一般的であったためにまずは大企業に採用される必要があります。これには卒業した大学名が重要であり、そのためには有名大学の入試を突破する必要がある。大部分の入試問題では解くべき問題が出題文という形ですでに用意されており、そして答えも必ず存在し、多くの場合それは1つです。だから勉強とは、こうした問題を解くという位置づけになります。
しかし、これからは違うと著者は言います。勉強の位置づけは一言で表現すれば、プロフェッショナルの武器を得るための手段(p.85)。プロフェッショナルの武器とは本書から引用すると、1.伝達能力、2.問題の発見と解決の能力(p.101)。ちなみに、伝達能力として具体的には日本語と英語、そして数学を挙げています。
なぜこうした能力を磨かなければいけないかの背景については、著者は日本人の就職者や求職者にとって、これからは二重の意味で条件は厳しくなることとも言います。すなわち、国内での雇用数が大きくは増えず、かつその中で外国人も含めた強力な競争相手と競わなければならない、という2つの意味においてです。実際に、パナソニックやユニクロ、ローソン、楽天などで日本人よりも外国人を優先的に採用する例が引き合いに出されています。一方で、著者はこの状況を歓迎すべきこととも言っています。なぜなら、日本人学生が刺激され危機感を強めることで勉強に励む、そうすれば労働市場も活性化するであろうということからです。
■勉強の中身は時代とともに変化する
同氏の指摘でおもしろかったのは「成功のために必要な勉強の中身は、時代とともに変化するのである」という言葉でした(p.84)。これまでは与えられた問題に対して存在する答えを学ぶことでした。これから引用した2点目にあるように、問題の発見が問われるようになり、この変化が時代によるものだとするのが野口氏の主張なわけです。
日本の高度経済成長期はいわゆる欧米に追い付け・追い越せという状況でした。すなわち、事業としてやることはある程度見えており、あとはいかに効率良くそれを達成するかです。これは戦略はすでにある状態であり、戦術をどう最適化するかが焦点になったわけです。ちなみに本書では、戦略と戦術の例えを、どの方向に走るかが戦略、いかに速く走るかが戦術と説明されていますが、これまでは走る方向は欧米と同じであればよく、あとはいかに速く走るかだけだったのです。こうした時代背景が勉強の中身にも反映されたのだとしたら、勉強でも問題がすでに与えられており、あとはいかにそれを解くかという同じ構図になっていったのではないでしょうか。
個人的に思うのが、こうした勉強の中身はこれまでは正しかったと言えるということです。成功者が大企業で昇進をするという社会や価値観であれば、そのためには有名大学卒の肩書を使うことで採用に有利に働くのであれば、勉強の目的が肩書を得ることになるのは自然なことです。しかし、時代は変わり、終身雇用や大企業に就職しても必ずしも安泰であることが当たり前ではなくなったとすれば、今後はより一層個人の能力が問われるようになります。であれば、個人の能力を向上させるためには勉強が必要になるのはその通りだと思います。過去について否定するのではなく、あくまで今やこれからの時代にそぐわなくなったということなのだと思います。
■何を勉強するか、方法、時間、モチベーション
学生ではなくむしろ社会人にとって勉強が必要であり、しかも能力を高めるという意味では終わりはないと思っています。仕事内容も変わるであろうし、同じ業務でも立場も変わります。時代も変わり続けるでしょう。そんな中、勉強時間が限られる人にとっては、「何を勉強するか」が非常に大事になると思います。時間は有限資源です。上記では戦略と戦術に言及していますが、勉強でも何を勉強するかという戦略が問われます。行く方向が違えば、どんなに速く走っても目的地には決してたどり着かないように。何を勉強するかに正解はないと思います。自分で決めるしかないのです。
何を勉強するかという戦略が決まれば、次に考えたいのがどうやって勉強するかです。詳しくは省略しますが、本書ではパラシュート勉強法やモデル思考法という著者独自の方法が紹介されています。英語の勉強方法についても少し書かれています。
自分に合った勉強方法で進めても、制約条件としては、時間の確保といかにモチベーションを保つかがあります。時間の確保については、自分の24時間を見直す、優先順位をつけて勉強時間を確保する、など、まとまった時間の捻出をします。
個人的に難しいのが、モチベーションの維持だと思います。誰もが経験することですが、やる気が出ない時は必ず起こります。本書の著者である野口氏によれば、勉強を継続するためには中期計画、具体的な目標、スケジュール作成、達成度を測ることなどを挙げています。継続させるインセンティブとしては向上心と、何よりも好奇心が大切であると説きます。好奇心とは、結局は知りたいという欲求であり、勉強をやらなければならない・やるべきというmustやshoudだけではなく、いかにwantとしても勉強をできるかだと思います。
■勉強を始めるのに遅すぎることはない
野口氏は往年になりロシア語の勉強を始めたそうです。1980年ごろにはロシア映画があったため、30年という時間をロスしてしまったと書いています。これを踏まえた上で以下のような記述をしています。自分への教訓とする意味でも、最後にそのまま引用しておきます(p.135)。
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これからは、どんなことに対しても、学習の機会があったなら、それを取り逃さないようにしよう。いかなるときも、決してぼんやり過ごしてはいけないのだ。
私が無駄にしてしまった30年間は、もう取り返すことはできない。しかし、この本を読んでいる皆さん方は、そうではない。
これから30年間の未来を持っている人に、私は声を大にして言いたい。重要なのは、学習の意欲をもっているか否かである。それがあるかないかで、30年後のあなたの姿は、まったく異なるものになるのだ。
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「少年老い易く学成り難し」ということわざがありますが、意味は、月日が過ぎ去るのは早いが、学問はなかなか成し難い、だからこそ、時間を惜しんで学問に励まなければならないということです。この真理は今も昔も変わらないものなのでしょう。
勉強はやらさせるもの、辛いもの、多くの人がそう思っているかもしれません。「勉強は楽しいものである」。野口悠紀雄氏は著書『実力大競争時代の「超」勉強法』の中でこう主張しています。この本のタイトルには勉強法とあり、具体的な方法も書かれていますが、なぜ勉強をするのかということをあらためて考えさせてくれた本でした。今回のエントリーでは、勉強についてあらためて書いていますが、読み返してみると自分自身へ投げかけているような内容でした。
■勉強しなければいけない理由が変わった
本書のもくじを見てみます。
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第1章 就職大競争時代が始まった
第2章 かつて勉強は学歴獲得の手段だった
第3章 シグナルから武器へ
第4章 英語と数学は、どんな仕事にも必要
第5章 求められるのは、ソルーション
第6章 勉強は楽しく、面白い
第7章 勉強社会が未来を開く
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本書では、勉強をしなければいけない理由を「これまで」と「これから」で異なると言います。これまでについては、第2章に詳しく書かれていますが、学歴を獲得するため、もっと言えば就職に有利になる大学名という「シグナル」を得るためにすぎなかったと指摘しています。よって、勉強するための動機は入学試験に突破することであり、大学入学後、あるいは就職してからの勉強の重要度は高くなかったと言います。
これまでの勉強は学歴を得るためとしていますが(もちろんそうではない人もいる)、そうなった背景を考えると理解できるようにも思います。日本社会における成功者とはいわゆる大企業で昇進した人々であり、終身雇用が一般的であったためにまずは大企業に採用される必要があります。これには卒業した大学名が重要であり、そのためには有名大学の入試を突破する必要がある。大部分の入試問題では解くべき問題が出題文という形ですでに用意されており、そして答えも必ず存在し、多くの場合それは1つです。だから勉強とは、こうした問題を解くという位置づけになります。
しかし、これからは違うと著者は言います。勉強の位置づけは一言で表現すれば、プロフェッショナルの武器を得るための手段(p.85)。プロフェッショナルの武器とは本書から引用すると、1.伝達能力、2.問題の発見と解決の能力(p.101)。ちなみに、伝達能力として具体的には日本語と英語、そして数学を挙げています。
なぜこうした能力を磨かなければいけないかの背景については、著者は日本人の就職者や求職者にとって、これからは二重の意味で条件は厳しくなることとも言います。すなわち、国内での雇用数が大きくは増えず、かつその中で外国人も含めた強力な競争相手と競わなければならない、という2つの意味においてです。実際に、パナソニックやユニクロ、ローソン、楽天などで日本人よりも外国人を優先的に採用する例が引き合いに出されています。一方で、著者はこの状況を歓迎すべきこととも言っています。なぜなら、日本人学生が刺激され危機感を強めることで勉強に励む、そうすれば労働市場も活性化するであろうということからです。
■勉強の中身は時代とともに変化する
同氏の指摘でおもしろかったのは「成功のために必要な勉強の中身は、時代とともに変化するのである」という言葉でした(p.84)。これまでは与えられた問題に対して存在する答えを学ぶことでした。これから引用した2点目にあるように、問題の発見が問われるようになり、この変化が時代によるものだとするのが野口氏の主張なわけです。
日本の高度経済成長期はいわゆる欧米に追い付け・追い越せという状況でした。すなわち、事業としてやることはある程度見えており、あとはいかに効率良くそれを達成するかです。これは戦略はすでにある状態であり、戦術をどう最適化するかが焦点になったわけです。ちなみに本書では、戦略と戦術の例えを、どの方向に走るかが戦略、いかに速く走るかが戦術と説明されていますが、これまでは走る方向は欧米と同じであればよく、あとはいかに速く走るかだけだったのです。こうした時代背景が勉強の中身にも反映されたのだとしたら、勉強でも問題がすでに与えられており、あとはいかにそれを解くかという同じ構図になっていったのではないでしょうか。
個人的に思うのが、こうした勉強の中身はこれまでは正しかったと言えるということです。成功者が大企業で昇進をするという社会や価値観であれば、そのためには有名大学卒の肩書を使うことで採用に有利に働くのであれば、勉強の目的が肩書を得ることになるのは自然なことです。しかし、時代は変わり、終身雇用や大企業に就職しても必ずしも安泰であることが当たり前ではなくなったとすれば、今後はより一層個人の能力が問われるようになります。であれば、個人の能力を向上させるためには勉強が必要になるのはその通りだと思います。過去について否定するのではなく、あくまで今やこれからの時代にそぐわなくなったということなのだと思います。
■何を勉強するか、方法、時間、モチベーション
学生ではなくむしろ社会人にとって勉強が必要であり、しかも能力を高めるという意味では終わりはないと思っています。仕事内容も変わるであろうし、同じ業務でも立場も変わります。時代も変わり続けるでしょう。そんな中、勉強時間が限られる人にとっては、「何を勉強するか」が非常に大事になると思います。時間は有限資源です。上記では戦略と戦術に言及していますが、勉強でも何を勉強するかという戦略が問われます。行く方向が違えば、どんなに速く走っても目的地には決してたどり着かないように。何を勉強するかに正解はないと思います。自分で決めるしかないのです。
何を勉強するかという戦略が決まれば、次に考えたいのがどうやって勉強するかです。詳しくは省略しますが、本書ではパラシュート勉強法やモデル思考法という著者独自の方法が紹介されています。英語の勉強方法についても少し書かれています。
自分に合った勉強方法で進めても、制約条件としては、時間の確保といかにモチベーションを保つかがあります。時間の確保については、自分の24時間を見直す、優先順位をつけて勉強時間を確保する、など、まとまった時間の捻出をします。
個人的に難しいのが、モチベーションの維持だと思います。誰もが経験することですが、やる気が出ない時は必ず起こります。本書の著者である野口氏によれば、勉強を継続するためには中期計画、具体的な目標、スケジュール作成、達成度を測ることなどを挙げています。継続させるインセンティブとしては向上心と、何よりも好奇心が大切であると説きます。好奇心とは、結局は知りたいという欲求であり、勉強をやらなければならない・やるべきというmustやshoudだけではなく、いかにwantとしても勉強をできるかだと思います。
■勉強を始めるのに遅すぎることはない
野口氏は往年になりロシア語の勉強を始めたそうです。1980年ごろにはロシア映画があったため、30年という時間をロスしてしまったと書いています。これを踏まえた上で以下のような記述をしています。自分への教訓とする意味でも、最後にそのまま引用しておきます(p.135)。
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これからは、どんなことに対しても、学習の機会があったなら、それを取り逃さないようにしよう。いかなるときも、決してぼんやり過ごしてはいけないのだ。
私が無駄にしてしまった30年間は、もう取り返すことはできない。しかし、この本を読んでいる皆さん方は、そうではない。
これから30年間の未来を持っている人に、私は声を大にして言いたい。重要なのは、学習の意欲をもっているか否かである。それがあるかないかで、30年後のあなたの姿は、まったく異なるものになるのだ。
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「少年老い易く学成り難し」ということわざがありますが、意味は、月日が過ぎ去るのは早いが、学問はなかなか成し難い、だからこそ、時間を惜しんで学問に励まなければならないということです。この真理は今も昔も変わらないものなのでしょう。




