思考の整理日記 - アメブロ時代 -10ページ目

「失敗学のすすめ」から考える福島第一原発事故



失敗に対してマイナスに考えるのではなく、失敗のプラス面にも目を向けるべきと主張する「失敗学のすすめ」(畑村洋太郎 講談社文庫)という本には次のような記述があります。

■失敗原因の階層性

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ある工場で作業中に死傷者を出す事故が発生したとします。いつもなら起きない事故がその日たまたま起きてしまいました。そのとき直接の原因は、事故を起こした人の誤判断ないし機械を作動しているときの不注意など個人の責任にされがちです。

しかし、その背景には、作業を一緒に進めるグループの中で、危険を察知したときにただちに行うべき安全対策を忙しさのあまりしていなかったというのは、よくあることです。あるいは、熟練していない者に機械動作を任せるなどの、組織運営上の問題の存在も考えられます。

さらにさかのぼれば、そういう環境づくりを進めていた企業経営不良の問題にいきつきます。見かけの利益にこだわるあまりにコスト削減ばかりに目がいき、サービス残業などの形で従業員に負担を強いていたことも事故の背景として考えられます。
(p.63-64から引用)
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本書では、この内容も含め、失敗原因の階層性として以下のような図解も示されています。ピラミッドの底辺は個人の責任によるものですが、上にある失敗原因ほど社会性が強くなり、かつ失敗の規模や影響は大きくなります。
思考の整理日記-110417 失敗の階層性
 出所:「失敗学のすすめ」(畑村洋太郎 講談社文庫)から引用

■失敗学の考え方

著者によれば失敗には、「よい失敗」と「悪い失敗」があるとしています。上のピラミッド図では頂点の「未知への遭遇」が切り離されていますが、よい失敗は未知への遭遇の中に含まれると説きます。なぜ「よい失敗」かと言うと、失敗により未知を知ることができた、つまり失敗により新しい経験を得ることで、技術の進歩などの功績に結びつき次に活かせるからです。「失敗は成功の母」と言われる所以です。

これは畑村氏が提唱する失敗学の考え方と一致し、基本的な考え方として、「大切なのは失敗しないことではなく、失敗に正しく向き合って次に生かすこと」。失敗学の趣旨は、1.失敗の特性を理解し不必要な失敗を繰り返さない、2.失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぶこと、なのです。

■「想定外」を考えてみる

繰り返しになりますが、「よい失敗」とは未知への遭遇に含まれ、細心の注意を払って対処しようとしても防ぎようのない失敗だと著者は言います。

ここで考えてみたいのが、未知への遭遇という点です。3.11の東日本大震災以後、「想定外」という言葉が頻繁に聞かれました。M9.0という地震のエネルギー規模、津波の高さ・破壊力、そして、一連の原子力発電事故のニュースにおいて。特に原発では、「想定外の津波」により冷却システムがやられ燃料棒が炉心溶融を起こした、そんなふうな説明がされました。結果、絶対安心だと言われた五重の壁が破られてしまい、放射線や放射能物質が大気、地中、あるいは海水に拡がりました。

個人的に思うのが、想定外の津波というのが本当に「未知への遭遇」なのかということです。想定外という言葉は何を想定していなかったかと言えば、「事象の発生があり得ることは知っているが、対策の中に全く想定いなかった」ということだと思います。すなわち、Aという事象が起これば、その対策としてBを想定するわけですが、津波によりそもそもの冷却システムが使えなくなることは想定していなかった、そう言えるのではないでしょうか。

■今回の原発事故原因は想定外なのか

実際に「地震や津波によって冷却ポンプが止まった場合の対策が不十分である」という指摘は、5年前の2006年に共産党・吉井議員がしています。それに対して当時の安倍晋三首相は、「そんなことにはならないように気をつけてるから、起こった場合など考えていない」というような回答をしています。
世界最悪の原発事故を起こした自民党の総理大臣|きっこのブログ
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書(吉井英勝)|質問本文情報
衆議院議員吉井英勝君提出巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書(内閣総理大臣 安倍晋三)|答弁本文情報

あるいは、原発の設計側である日立や東芝が、冷却装置をもっと高い所に作った方がいいと提案していたとのことですが、結局は東電との互いの話し合いにより「大丈夫だろう」ということになったと、当時の関係者が話しています。
原発設計責任者の生の声を聞いた|田原総一朗 公式ブログ

■事故発生後の対応

ここまでは、設計段階や地震・津波発生前の対策についてでしたが、事故発生直後の政府や東電の対応も、今後は問われるてくるでしょう。報道なので必ずしも全てが真実ではないかもしれませんが、政府と東電それぞれについて、初動での対応のまずさが指摘されています。詳細は割愛しますが、報道の一部を挙げると以下のようなものがありました。
原発事故直後、日本政府が米の支援申し入れ断る|YOMIURI ONLINE
「東電のバカ野郎が!」官邸緊迫の7日間 貫けなかった首相の「勘」 またも政治主導取り違え|msn産経ニュース
世界が震撼!原発ショック 悠長な初動が呼んだ危機的事態 国主導で進む東電解体への序章|週刊ダイヤモンド
保安院 炉心溶融 震災当日に予測|東京新聞(Tokyo Web)

■真の失敗原因の解明は責務

今回の福島第一原発の事故により、海外の報道でもFUKUSHIMAという言葉が頻発するようになりました。東電の今後、日本の原発のあり方等だけではなく、世界各国でのエネルギー政策にも波紋を投げかけたのは間違いないでしょう。すでに原発を持っているような先進国だけではなく、今後のエネルギー需要が拡大するであろう新興国も含め。

今後も原発を推進する、または脱原発を進めていくとしても、そのための議論には、今回の福島第一原発で何が起こったのかという検証は必要不可欠だと思います。その時には、上記で挙げたような設計思想やリスクへの対策、発生後の政府・東電の対応など原因究明をし事実を公表すべきです。

書籍「失敗学のすすめ」では、失敗には知識を共有することで次の失敗を予防したり、社会的損害を最小限に抑えることができる有効な活用法がある、と書かれています。ただし、これには前提があります。共有する失敗情報が正確であること、そのためには真の失敗原因の解明が行われることなのです。


※参考情報

エンジニアから見た原発|Life is beautiful
世界最悪の原発事故を起こした自民党の総理大臣|きっこのブログ
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書(吉井英勝)|質問本文情報
衆議院議員吉井英勝君提出巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書(内閣総理大臣 安倍晋三)|答弁本文情報
原発設計責任者の生の声を聞いた|田原総一朗 公式ブログ

原発事故直後、日本政府が米の支援申し入れ断る|YOMIURI ONLINE
「東電のバカ野郎が!」官邸緊迫の7日間 貫けなかった首相の「勘」 またも政治主導取り違え|msn産経ニュース
世界が震撼!原発ショック 悠長な初動が呼んだ危機的事態 国主導で進む東電解体への序章|週刊ダイヤモンド
保安院 炉心溶融 震災当日に予測|東京新聞(Tokyo Web)

ネーミングでの風評被害|六本木で働いていた元社長のアメブロ
原発の名前は変えたらどうだろ?|Chikirinの日記

書籍 「失敗学のすすめ」|思考の整理日記


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マキアヴェッリとドラッカーのリーダー論


先日、お酒の席で上司がこんなことを言っていました。「自分が社会人になった頃は、課長⇒部長と上がるほど仕事はハンコを押すだけとか、もっと楽になると思っていた。そんな仕事ができるのを思い描いていた」。もちろん半分冗談での話ですが、現実は昇進するほど、責任が重くなっている状況を踏まえての話でした。

■戦時におけるリーダー

これを聞いて思い出したのが、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」(中公文庫)という本に次のように書かれていたことです。「仕事はきまったことのくりかえし、長老は頭の上に載せておく帽子代わりでよい、というのは平和時代のことである。戦時には、トップこそ豊富な経験と知恵の上に想像力と独創性を働かせ、頑健な身体と健全なバランス感覚で、誤りのない意思決定をしなければならなかった。」(p.377)

現在の日本では戦争中というわけではありませんが、業界内での企業間の戦い、あるいは既存の業界の枠を超えた新しい競争が頻繁に起こる今の時代では、この意味において「戦争中」と言えるのかもしれません。であるならば、上記で「失敗の本質」で引用した「戦時にはトップこそ」という指摘は、違和感なく入ってきます。

■マキアヴェッリの「君主論」に見るリーダー像

ところで、「君主とはかくあるべし」というリーダーが歩むべき道を示したものに「君主論」があります。著者はニコロ・マキアヴェッリで、16世紀のイタリアで書かれたものです。16世紀のイタリアには統一国はなくいくつもの都市国家群が領土の拡大を争っていた乱世の時代でした。そんな時代にフィレンツェで官僚として働いたマキアウェッリは、各国の君主との交渉や出会いを通じて、宗教や道徳などの倫理から切り離した現実主義的な政治理論を展開しています。

マキアヴェッリは君主論の中で、「リーダーは慕われるよりも恐れられるほうを選べ」と言っています。この理由として、人間は利己的で偽善的なものであり、従順であっても利益がなくなれば反逆することがあるため、故に君主を恐れている人々はそのようなことはないという、現実的な論理からなのです。

マキアヴェッリがこうした考えを抱くようになったのは、やはり時代背景が大きいように思います。前述のように当時のイタリアは混乱の時代であり、それを一人の官僚として肌で感じたこと・実務からの経験から、リーダーは優しいだけでは成り立たないという思いからなのだと思います。

君主論は全部で26の章から成り立っており、第21章では、「尊敬を得るためにはどのように行動したらよいか」、という主題に対して次のように書かれています。「偉大な事業をなし、比類のない模範を自ら示すことほど君主に対する尊敬をもたらすものはない。」(「君主論」(講談社学術文庫) p.172から引用) つまりは、リーダーは結果を出すこと、そして人々の模範となることで尊敬を得られるとしています。

■ドラッカーのリーダー論

このマキアヴェッリの考えと同じようなことをドラッカーが言っていました。著書「The Essential Drucker」において、以下のような言及をしています。

All the effective leaders I have encountered – both those I worked with and those I merely watched – knew four simple things: a leader is someone who has followers; popularity is not leadership, results are; leaders are highly visible, they set examples; leadership is not rank, privilege, titles, or money, it is responsibility.
私が出会った印象的なリーダーは、(リーダーシップについて)4つのシンプルなことを知っていた。1.リーダーのまわりには従う者がいる。2.リーダーシップにとって大事なことは人気ではなく成果である。3.リーダーは目立つ存在であって、他の人たちの模範となるべきものである。4.リーダーシップとは地位、特権、称号、富などではなく責任である。

リーダーには成果・結果が求められ、かつ人々の模範でなければならない。また、リーダーシップには責任が伴う。これがドラッカーが見てきたリーダーたちの共通点だったのでしょう。

■最後に

今回はリーダーについて少し整理してみましたが、一方で世の中には様々なリーダーがいることもまた事実です。個人的には、今の会社に入社以来、毎年のように上司が変わってきたこともあり、それぞれの強みは違いました。

あるいは歴史を見ても、戦国時代後期においては、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人のリーガーがいましたが、3人の性格は全く異なるものだったとされ、あの有名なホトトギスへの対応に象徴されています。

だから思うのが、リーダーシップをとるときには人の真似をするだけでなく、自分の性格や強みも加味したリーダー像を築くことが大事なのではということです。もちろん、これは言うが易しですが、その時に心に留めておきたいのが、上記で引用した、「失敗の本質」で書かれたリーダーの行動、マキアヴェッリやドラッカーが求めたリーダー像です。


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思いを乗せたゴールとカズダンス


2011年3月29日、東日本大震災への復興支援の一環として、日本代表×Jリーグ選抜のチャリティマッチが開催されました。日本代表の遠藤のFK、岡崎のゴールもよかったですが、なんといってもドラマは後半36分のゴールでしょう。カズこと三浦知良選手のゴールです。


キング・カズ ゴール! 日本代表 vs Jリーグ選抜 KING KAZU|YouTube

日本経済新聞のスポーツ面に、三浦選手は「サッカー人として」というコラムを連載しています。このコラムは毎回楽しみにしている記事の1つです(スポーツ面では他に野球評論家の豊田泰光氏の「チェンジアップ」もおもしろい)。

「サッカー人として」は、震災後では3月25日と4月8日に掲載されていました。3月25日はチャリティマッチ前、8日のほうは試合後になるわけですが、チャリティマッチのゴールを見た上であらためて2つの記事を読むと、ゴールシーンとはまた違った感動を受けました。記事のほうからは、カズの強い思いが読む中でじっくりと伝わってきます。

そんなわけで、自分のブログ上でも残しておきたいという思いもあり、以下、2つの記事から印象に残る部分をそのまま引用しておきます。前半がチャリティマッチ前、後半がチャリティマッチ後のコラムです。特に「思いに運ばれたゴール」のほうはゴールシーンをカズ本人があらためて振り返ったもので、文章としてとても重みのあるものだと感じます。

■生きるための明るさを|サッカー人として 三浦知良

生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。

でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。

サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。

暗さではなく、明るさを。29日のチャリティーマッチ、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。

■思いに運ばれたゴール|サッカー人として 三浦知良

闘莉王選手(名古屋)がボールに競ると感じた時には体が駆けだしていた。目の前の空間にボールが落ちてくる。ロードがぱっと開けたようで、体が覚えているままに僕はシュートを放っていた。無意識のうちにボールのバウンドをとらえ、コースを選んでいる。それは「判断」を超えた、迷いの一切無い、いわばFWの本能だった。

「今までで一番胸を打ったカズダンス」と知人は言ってくれた。最後に振り上げた人さし指が、震える指から発する思いのようなものが、いつもと少し違っていて、泣けてきたという。

Jリーグの歩み、日本代表の歴史、1998年ワールドカップ(W杯)に行けなかったこと。日本サッカーにまつわる歓喜も哀愁も背負ったまま、僕はサッカーをやっているのだろう。あの試合に注がれていたのは、見守る人々のそうした「思い入れ」。そして被災されて今なお苦しんでおられる方々の、何かを求め、欲する思い。それらに運ばれたゴールだった。大きな大きなゴールに、みなさんがしてくれたんだ。


※参考情報

生きるための明るさを|サッカー人として 三浦知良 (日本経済新聞 11/3/25)
思いに運ばれたゴール|サッカー人として 三浦知良 (日本経済新聞 11/4/8)