昨年11月下旬、体調不良を訴えて病院へ行った父に、ガンの宣告が下されました。
『ご家族と一緒に来ていただいたときに、お話しします』
主治医から連絡を受け、一緒に診察室へ入ると、一枚のレントゲン写真。
『これが、お父さまの肝臓です。』
そこにはテニスボールよりやや小さい程度の、明らかな異物が。
ガン細胞は、肝臓の1/3を占めるほど巨大化していた。
既にステージ4、80過ぎ……と言うより、90から数えたほうが近い年齢の父、手術による摘出には体力がもたない。
放射線治療も同じ理由で無理、投薬治療だけで経過観察することに。
とは言え、主治医曰く『お正月を迎えられるかどうか、断言はできない』と。
11月下旬時点でそこまで言われる状態、何ができる?
『自宅で最期を迎えたい』
父の意向を最大限に受け入れ、自宅での延命治療を開始した。
それでも、しばらくは自分で歩いて定期的に診察を受けに行けるほど元気だった。
当初言われた『正月を……』を乗り越え、『桜の咲くころ……』もやり過ごした。
見た目には痩せ衰えていくのが分かるほどだったが、気丈にも『自分で出来ることは、自分でする』父であった。
が、それも夏を迎えるころには『自分で出来ること』が減り始め、夏の終わりには頻繁に『粗相』するようになった。
自分でトイレに行けなくなると、一気に『寝たきり状態』に進行。
ガン宣告から一年を経た11月下旬、ついに『譫妄(せんもう)症状』が出始めた。
自身の幼少のころを語り始め、それが現在のこととごっちゃになって、こちらに理解されないと怒ったり、拗ねたり。
そしてついに12月12日午前9時前……
前日より、ほとんど意識がなくなり、問いかけに応えられなくなっていた父に、朝の口腔洗浄を施した姉に、わずかな反応を示した後。
洗浄器を片付けた弟が、父の呼吸が止まっていることに気付いた。
享年87歳。
激動の昭和時代に少年期を送り、高度成長期には我武者羅に家族を養い、二男二女の子供たちを育て上げた後年はボランティアに精を出した父。
貴方の姿は俺の目標でした。
生前あまり言わなかったけど、親類縁者から『お父さんに似てきたね』と言われた俺、内心『親父に近づけたw』と嬉しかったんだぜ。
頑張ってきた親父、ゆっくり休んでおくれ。
と、葬儀の手配をして。
今って、火葬場の順番待ちがスゲェことになってるのな。
直近で予約できたのが、12月20日。
実に1週間も先の話。
その間、やっとゆっくりできるはずの父は、葬儀屋の保冷庫で『冷凍マグロ』状態で待たされる。
それと言うのも、火葬場を新規で建設するにあたって、近隣住民からの猛反対にあって断念せざるを得ない事情があり、高齢化社会の葬儀事情に追いついていないからなのだとか。
産まれる時に『産婦人科不足』、成長する間に『保育園・幼稚園不足』、死ぬときに『火葬場不足』、死んだあとは『墓地不足』……
この国、なんだかなぁ(*´=д=)=3













































