神戸ときどき三田 -2ページ目

大和のひな祭り

おはようございます晴れ

今日は、ひな祭りですね。


ひな祭りというと、保育園に通っていた頃に、菱形のゼリーを食べたのが記憶に残っていますが、男子にはとんと縁のない行事ですね(;^_^A




ところで最近、地域おこしにひな祭りを行うところが増えています。



新潟では、山形県境に近い村上市で「町家の人形さま巡り」というのをやっています。


村上市内の料亭の方が発起人になって、歴史ある城下町・村上の一般民家に眠るひな人形を、一般民家を開放して観光客に見せるという、斬新な企画でした。


今では定番のイベントになって、新潟駅からの臨時列車も出ているくらい何ですよ。




そして、奈良には奈良の「ひな祭り」があるんです♪

有名なのが「高取土佐町並み 町家の雛巡り」です。

今年も、3月1日から31日まで開催です('-^*)/



※写真は去年訪れたときの者ですが、お楽しみください・・・


奈良逍遙

舞台は奈良県高取町。

明日香村の南隣で、電車だと奈良から40分、大阪からは60分強くらいのところですね。



奈良逍遙
さすがは奈良。

大和の伝統・一刀彫のひな人形。



奈良逍遙

雛の里親館


奈良逍遙
天段のお雛様

圧巻です!



かつて、奈良に都を置いた大和朝廷は、全国から人を集めてまちづくりに励みました。

そして、片道切符で奈良にやってきた各地の人々の多くは、仕事を終えると、故郷の土を踏むことなく、奈良の地で生涯を終えたそうです。


雛巡りの会場になっている土佐街道という町並みは、土佐(高知県)から奈良に仕事に来て、帰れなくなった人たちが住んだまちということなのです。



そんな歴史ある町並みそのものが、まるごとミュージアムになった企画がこの雛巡り。


長い歴史や、地元の人との会話を楽しみながら、歩いてみたいですね。




【参考】

高取土佐町並み 町家の雛巡り

http://www.hinameguri.jp/about.html

新しい大阪駅

奈良逍遙

JR大阪駅。


JR西日本では最も乗降客数の多い駅で、いろいろな路線が集まるまさにターミナル駅です。


大阪最大の繁華街キタへ用事がある人だけでなく、奈良から神戸、京都から和歌山といった具合に、関西地方の諸都市を行き来するときにも乗り換え駅となる重要な駅です。



終日賑わうこの駅は、ホームも混雑しやすく、特にラッシュ時の乗り換えには非常に時間がかかったりして、不便な部分がありました。


そんな大阪駅が、長~い工事期間を経て新しくなっていました。


奈良逍遙



最終的には再開発されてできたビルが、5月にオープンします。

伊勢丹なども入り、大阪駅周辺はさらに賑わうといわれています。



奈良逍遙

今回は、先行して乗り換え用の新しい通路が出来ていました。



経済の地盤沈下が進んでいるといわれる関西ですが、大阪駅周辺では百貨店が新しくオープンしたりリニューアルしたりと、再開発が進んでいます。


このまちがどんなふうに変わるのか、楽しみですね。



奈良逍遙

奈良逍遙

夜の乗り換え用通路から見たホーム


きれいですね。

そしてなにより、乗り換えが楽になった≧(´▽`)≦

「江」 明智光秀

1月から放送されている大河ドラマ「江」。


先週の第5回で「本能寺の変」があり、今日は明智光秀のいわゆる“三日天下”が、江の視点で描かれていました。

普通のドラマだったら最終回か?と思うくらいの劇的なシーンが、放送開始1ヶ月にして続いていますね。


江があんなに信長や家康、光秀と接していたというのは史実ではないだろうとは思うのですが、とても面白いですね。




今日、最も印象に残ったのは、明智光秀。


織田家の優秀な家臣だったにもかかわらず、信長のやりかたが理解できず、主君と家臣の信頼関係を築くことも出来ず、苦しみに苦しんで、本能寺の変にいたったというのが、よくいわれている史実ですね。


もともと美濃の生まれで土岐氏の家臣であり、土岐氏が滅びると京都に出て足利義昭に仕え、義昭が信長の手で将軍に奉じられると織田家の家臣となり・・・

流転の末、織田家で丹波と近江を領地としてかなりのステータスを得たはずの人物です。


が、見下していた秀吉の援軍を命じられたり、丹波・近江を没収され中国を奪い取って領地にせよといわれたり、信長から次々と酷な命令を受けます。



そんななかおきた本能寺の変。


今日の放送は、本能寺の変から数日後、備中から驚異のスピードで引き返した秀吉に天王山で敗れ、居城のある近江坂本へと逃げる山道で野武士に襲われ命を落とすという、壮絶な物語でした。



丹波出身の人とドラマを見ていたんですが、領国では防災対策などの善政を行って領民に慕われていた光秀の、あまりに哀しい最期を、正視できなかったようでした。




分からないことが多いのが、歴史の面白みの1つです。


とくに、大河ドラマは歴史事件をドラマチックに描くので、見ている側は大変興味深く見ます。


しかし、どれだけ歴史を勉強しても、技術革新でいろいろなことが解明されても、終ぞ知ることが出来ないのが、今は亡き人たちの“心”ですね。


あのとき、光秀はどんな思いで丹波の地を出たとき、備中ではなく本能寺へ向かったのか。

そして、野武士に襲われ命を失う瞬間、何を思ったのか。


そんなことを考えながら、京都や滋賀に点在する光秀の史跡を訪ねてみたいと思いました。