先週~ 8/15日(火)
祖母、大好きだった祖父、
母が眠る お寺へ
お参りへ行ってきました。
古いお塔婆を整理したら
背後がスッキリしました^^
母が生前 好きだったユリを追加で
お願いして・・
お供え物・・毎回 供えるか迷うのです。
こんな時ぐらい、生前 好きだった
食べ物を食べてもらいたいじゃない?
でもね・・やっぱり
カラスの被害や、お掃除の方の負担を
考えるとね・・
悩んだ末、結局 供えるのをやめてしまいます。
お寺でも注意書きはあるんですけどね
毎回 お墓参りの際にココに
書くのですが
年子の弟は、ちゃんとお参りに来ているのだろうか。。
弟は、ココのお寺から近所の場所に
住んでいるのです。
もぅ~ 8年も前になるのか・・
川崎に実家があった頃・・
父がまだ川崎で独り暮らしをしていた頃、
弟夫婦と父との同居問題&
私達姉妹が、父のお世話をすることで
横浜へ越してくる件などで
父、私、妹 VS 弟(少し嫁)で
言い争いになった経歴があるのです。
2世帯に立て直すか or
古い実家の2階をプチリフォームし、
そこへ、弟家族が住むなら問題は無かったのだが
弟の嫁さんの悪?知恵が働いたようで・・
弟から 末っ子の妹親子に
『 2階をリフォームしたら、妹達が住めばいいよ。
俺たち(夫婦)もチョコチョコ寄るからさ。』
みたいなことを言われた妹は、
妹にしたら、寝耳に水な話だったようで
はぁ
って、なったそうだ。
そんな話になったのは、どーやら弟の嫁が
妹と以前 話した内容を変えて
弟に話たことが分かったのだ。
それにカチンときた妹は、弟夫婦 2人の前で
嫁に対し、
妹:『 〇さん(弟の嫁)、あの日・・私
そんな話 してないよね 』
と、妹が
確認するも・・
妹:お兄ちゃんの居る前で確認したらさ、あの嫁さん
同様した様子で、『今から出掛けないとイケナイから』と
言って、この話から逃げたんだよ
と、私に言っていた。
妹:その様子を見ていたお兄ちゃんは、一瞬
アレとした顔をしたんだけど、
ソコは、嫁さんを庇って
《 とにかく、俺達は一緒には住めないから(父と)》
と、言ってさ・・
憤慨して話していた妹の話が過去にあった。
あたしは、弟の嫁さんとなる人が
交際当時から 話がインチキくさく
どんだけ自分が凄いか・・と、自画自賛するタイプで
嫌いなタイプだったのは確か(笑)
この嫁、二世帯住宅の設計時点では
ノリノリだったのに
二世帯じゃなく、2階のみプチリフォームの
話が出てからは いつの間にか・・
同居は無くなり、
《たまに通う》程度って、という
話になっていた。
この変わりようを見れば、
誰だって、
コイツ、
私らの実家=土地狙いか
・・と、思ってしまう。
二世帯同居は、
嫁の血のつながらない、育ての親まで
一緒に同居する、って話だ。
そんな話、
認めるワケあるまい
挨拶もしたことのない、育ての親とかいう人が
我が実家に・・冗談じゃない
そんなこと、天国の母だってイヤだろうし
祖父母も反対だろう~
実家であって、実家じゃ無くなる
ってのが、分かる。
自然と危険レーダーが発せられたわ爆
だから、私は
この 同居は猛反対していたのであった。
彼女(嫁)の発言や行動が、私には・・
理解できないというか、多分・・
当時、私の友達 何人も相談したけど
『 計算高い人だね~』
『 恐い女だね~ 』
と、友人たちも私と同じ反応だった。
弟には、彼女との結婚自体
『 結婚は、考えた方がイイ』と
何度も伝えてたんだわよ。
結局は、
結婚しちゃったから
案の定~ 家族関係がこじれたワケです
弟やその嫁に対しても、色々と腹立つことが
たくさんありますよ~
詳しくは、過去ブログに書いてありますので
ご興味があったら
覗いてみて下さい^^
私、弟家族とはもぅかれこれ
5年以上は連絡を取っておりません。
妹が間に入って、父関連のことで3年前に
連絡を入れてくれたが
父は、弟と会いたがっているのに・・
弟は、《会う資格がナイ》と言っていたと・・
簡素な冷たい返事のみだった・・と。
アイツも 子供3人の 父親となっているのに
親心が分らんのかね・・
そこまでの恨みもナイと思うのだが・・
弟との関係は、頭の痛い問題である。
父の想いを知る、長女の私としては
残り少ないであろう~父の人生
父の願いを叶えてやりたいと思うが
弟が素直にならない限り、難しいのである。
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お墓参りを済ませた後は~
毎度 同じみの(*´∀`*)
ソールフードでもある、
元祖 ニュータンタンメン本舗さんへ
『 たまには〇〇屋の麻婆ラーメンも食べたいな~』と
話題には出るんですが
最終的には、ココのタンタンメンを
食べに行ってしまいます^^
更に 小さくなったのではと思うほど
サイズ感が変わった気がした。。
大好きな
抹茶クリームフラペチーノ
ホイップ多め、を飲みながら休憩した後
横浜へと帰りましたとさ