今日の英会話のこと。
あなたは
legalizationとdecriminalizationの2つの単語の違いは何だと思うか?
(合法化と非懲戒)
ドラッグをdecriminalizationすることについて
どう考えるか?
なぜ、日本はドラッグにだけ厳格で、
アルコールには寛容なのか?
本当に、アルコール中毒はドラッグ中毒に較べて深刻ではないのか?何をもってそういえるのか?
実は自分のEX(=元カレ、元カノ)は
アルコール中毒で
自分たちは大変な経験をした。
結局、破局して
その人から離れてはるばる日本に来た。
アルコールだって人を壊すのに。
…
…
オランダはめちゃくちゃ「liberal」だ。それについてどう思うか。
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気が付いたら先生がとても早口!
(といっても普段に較べて。私のレベルでは聞き取るの大変。)
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そして「EX」と言っていたけど、
文脈から同性のパートナーのことだと知れた。
なんか、めっちゃさらっと自己開示されたな。
(こういうのって良いよね。信用してもらえている感じがする。←あくまでも「クライアント契約関係」という一種の保険のもとでの信用ではある)
あと、この文脈では「liberal」を
「寛容」「規制緩和」という意味で
使っていると思われた。
ドラッグや同性婚が
合法(もしくは処罰されない)。
私は政治にとても疎いので、
目を白黒させていたと思う。
アップアップしつつ、
かならずしも、
日本でのリベラルという単語と同じじゃないよなと思いながら聞いた。
少なくともドラッグへの寛容さと
カタカナのリベラルは連動しないように思う。
(自由とか寛容って
本質的に矛盾を含む、
「規制の強い宗教を選択することの自由」、
「規制に従うことの自由」、
「誰か(の自由や権利)を守るための規制」 )
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終業のチャイムが鳴った後、
その先生が言うには
普段レッスンでこんな話をしないんだけど。
あなたには
チャレンジングなレッスンをやってみた。
かつて、
もう一人、もうやめてしまったけど
僕のレッスンをよく受けてくれてる
男性がいて、
その人とはいろんな話をした。
依存問題、LGBTQ、移民の問題…
もし、君が今日のを有意義だと思ってくれたなら、
こういう話をこれからもしよう。
とのことだった。
その先生と会話を交わしたのは(レッスン受けたのは)たぶん五回目くらい。
クライアント契約ならではの気軽さ
というものがあって、
短期間で
「嗜好」とか「信念」とか
かなりディープな話をしているのは
他の先生とのやりとりでもよくある。
「ご近所付き合い」をする必要がないからだと思う。
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いろんな「先生」の
「先生スイッチ」を入れてしまうことが
ときどきある。
場面、分野を問わず。
習字の先生だったり、
学校の先生だったり、
研究のアドバイスをくれる先生だったり。
世の中には
「先生」という人種というか、
普遍的な傾向が
確かに存在しているのだと思う。
職業的先生に限らないけども、
やはりそういう人たちは、
先生という職業を選択している確率が
相当高いように思う。
そして、そういう人たちは、
頼まれてなくても、
「生徒」に遭遇すると、
「学びの機会を与えよう」という
強い使命感に駆られるのではないだろうか。
そういうスイッチが存在する気がする。
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もう転勤してしまったけど、
4年くらい前にも、すごくお世話になった
別の英語の先生がいた。
その人も
ある日急に、
「あなたは教科書通りにやるのは向いてない。
もう教科書は使わないことにしよう。
あなたの中に話したい事、主張したいことがあるんだから、
自由にどんどんしゃべって。
僕は、
頼まれたらトーイック対策とかもするけど、
僕に言わせたらあんなの全然意味ないよ。
多少文法のミスがあろうとも、
言いたいことを伝えられることが大事。
その練習をしよう」
と言ってくれた。
その人とも実にいろんな話をした。
今よりも、英語がひどかったのに、
いろんな話をして、いつも楽しかった。
とにかく頭の回転が速くて、すごく博識で
しかも恐ろしく
「察する能力」が高い人だったから
わりとどんな話もできていた。
思えば、
障害のある家族の話とか、
研究の話もしていたから
私が人生のなかで
「最も自己開示」をした人物は
ある意味で、
その先生かもしれない。
さっきもいったけど
先生とクライアントという「契約上の関係者」には一種の気楽さがある。
「障害」だとか「LGBT」とか
そういうことを、
一回、
ある意味で自分から切り離して、
(あるいは個人的属人的感情から切り離して、意見のみで、あるいはアノニマスな感情の問題として)
キャッチボールするのに
マンツーマンの英会話は
最適な場といえるかもしれない。
(前にも、書いたことがあるけど、
この行為事態が
一種のカウンセリングとして
機能すると思うんだよね。)
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ちなみに、
私自身は
誰かに何かを教えたり
噛み砕いて伝えたりすることは
嫌いじゃないし
たぶん得意な方だけど、
この人たちのような「先生」ではないなあ。
私の中には先生スイッチない気がする。