入社一年目によくしてくれた当時の係長が、定年退職されることになった。

その人に会う用事があったので
同期に伝言あったら伝えるよと連絡したら
何人か反応してくれた。

それをプリントアウトして、
お渡ししたらとても喜んでいただけた。


私は、当時、
えっ、これ、もしやピンチ?
という状況になったとき、その人が
すかさず
助けてくれたことをよく覚えてて、
そのことを伝えた。


他の子は、叱られたことを
覚えてると書いていた。
他の子は、困ったときに助けてくれたことを
覚えていると言っていた。

別の子は、転勤してから会ったときに、
手を振ってくれて嬉しかった、鮮明に覚えてると言っていた。

皆の感受性も嬉しかったし、

「逃げないで助けてもらえた」という経験は、

色褪せずにずっと心に残ることなんだなと、再認識させられた。

その人は、
能力的にすごく優れているというような感じではなかったと思うし、同期と比べて著しく出世したわけでもない。

何かしら会社や組織が「こうあるべきだ」ということを信念をもって主張したり、邁進するようなこともなかったと思う。

政治的な野心や向上心があったわけでもないと思う。

そしてユーモアがあったり目立つタイプでもなかったと思う。

でも、日々の現場の仕事を、
逃げずにやって、
当たり前のように人を助けてきたんだと思う。
叱ることも、とても勇気や胆力がいる。

その人の影響が、
残る人には残っている。

この人が「伝記」になることはないのだろうけど、伝記にならないタイプの「偉人」っているよなと思った。




その人の職場に
小学校の低学年のときの同級生がいる。

彼はクラスの中心にいたから、私は彼のことをよく覚えていて、社員名簿の名前に気付いていたけれど、今、お互いに会っても気が付かないにちがいない。

その引退する人によると
あちらも私が会社にいることを認識し、覚えているとのこと。今も明るい人だそうだ。

その子が、私のことを話題にしたらしくて、
その人のほうから教えてくれた。
そうか、覚えられてたか。
私は「つまらない優等生」だったけど、
「そういう枠」で記憶に残っている、ということはあるかもしれないなとおもう。

そういえば高校の同窓会の案内がきたけど、

思い返してみても
大して楽しくもない日々だったし、
名簿をみたところでほとんど
思い出がないなと
きづいた。

高校のとき
クラブ活動は楽しかったのだけど
今それをだれかと分かち合いたいかというと
別にそうは思わない。


「クラス」とか「学年」というものには
最初から愛着がないし…。

だれかと私の持っている思い出を共有したいと
思えないんだよな。
この先生こうだったな、みたいな断片的な記憶はある。授業の黒板の字だとか。
ちょっとした発言とか。
そういうの、「個人的に大事にさせていただきます」という感じ。

大学でも一緒になり、今もそこそこ仲良くしてくれているIちゃんのおかげで、いちおう高校のクラスのLINEグループには入っているものの、やりとりを眺めていても楽しくないし、あまり懐かしくない。
うそ、全く懐かしくない。

いじめとかもなかったのだけど。

そういえば、Iちゃんって、私が「普通の可愛い女の子」の基準の目安にしてた子なんだよね。その子を通して、「普通」はどう行動すべき?どこまでなら「逸脱」と見なされない?というのを見極めていた。こういう感覚でクラスや学校をみていた時点で、私はクラスの子と一体感を持ったことなんてなかったってことだな、つまり。高校のとき、私は人生でいちばん、「普通」について考えていたと思う。私は普通になりたくないけど、異端にもなりたくない、迫害されたくない。どうふるまうのが賢いんだろうって、思ってたんだ。


以前、英語のレッスンで、学校の思い出を語れという課題で、うーん、あんまり思い付かないなと言ったら、
先生が、「あー俺も俺も。ひどい日々だった。学生時代なんて思い出したくないね」と。なんか救われた気持ちになったことがある。


先日、
会社の同期とやりとりして、
彼らとの同窓会なら行きたいなと思えた。
そして、
あらためて高校に愛着がないなと思った。
(中学校も小学校もだけど。。。)


欠席の連絡をして、とてもすっきりした。