私が通っている英会話教室は、

ネットで講師のプロフィールを見ることが出来る。

ここで「motto」を読むのが面白い。

 

When life gives you lemons, make lemonade.

人生があなたにレモンを与えたら、レモネードを作ろうよ

 

 

 

***

たまっている新聞を読む

 

ときどき、こういう日がある

ちょっと精神的な状態が良いときに、新聞よめる気がする。

(料理もそう。)

 

 

かなしみと 私と 足をからませて たどたどとゆく 八木重吉

 

広島供養塔

七万人…

 

戦争がどんなにむごいものか。殺されることもあれば

殺す側になることもある。

のんきに考えていると、自分に降りかかってくる。

 

千原ジュニアさんのインタビューを読む。

 

学校になぜ行かないの?と言われても、

明確な理由がなくて答えられなかった。


鳥も飛んでばっかりは飽きるから、たまには歩きたいよな

という祖母の言葉が、ひとつの契機だった


でも、本当に外に出たのは、もっと後。

「お笑い養成所で、相方がいない、おまえ相方になれ」という兄の言葉がきっかけ。

 

訃報欄。

ある舞台照明家が亡くなっていた。

その人が活躍する「場」、「才能の発揮の仕方、使い方」には

色々あるんだなあと思った。

 

千原さんのインタビューとあわせて、


たぶん

その人にとって

「ひきこもる」ことが必要な時期があったとしても、

 

その間に

何かしら、社会と、つながって

音楽を読んだり、本を読んだりして過ごすことがすごく大事なのだろうと

感じた。

 

じぶんの中の、語彙が増えたら、

今は「言えない理由」が見つかるかもしれない。

(それは必ずしも言葉で説明できるものでもないかもしれない)

 

 

 

家族とか、友達とかでは、伝わらない価値観で、

 

誰かと

 

世界と

 

つながることができるかもしれない。

 

 

5、6年前に

通り魔事件があった。

犯人は、

 

親族と同居しながら、

誰とも連絡を絶ち、

ネットにもつながらず

 

どんな心の闇を抱え、どんなふうにそれを育ててしまったか。

 

 

東電の記者会見担当の人の記事。

「想定外」を作ったのは 「枠を作ってきた」自分達。

 

 

介護で仕事をやめた人の記事を読む。

幸い、私の親は今は元気。でも。他人事じゃない。

サポートが必要な弟もいる。

 

私は、子育てをしている同僚の力に、できるだけなりたいといつも思っている。

私自身は、結婚も子育てもする気がない。でも、だからこそ、

別の選択をした人の、選択をできるだけ大事にしたい。

そう思っているけれど。

 

「介護」だって同じ問題なのだろうと思う。(もちろん、ある意味で。)

 

働くということに個人がどう向き合うのか。

選択 ではなくて どう両立するかの議論がしたい。

 

考えてみると、「介護」で仕事のサポートが必要な人は、私の周りには

非常に少なくて。

 

でも、これって、きっと、

私の上の世代はまだまだ男性社会・女は家庭的価値観が

根強くあることと関係していて

 

たぶん、私の知らないところで

働いていない「奥さん」が介護を担っているケースも相当あるのではなかろうか。

あるいは、仕事をやめてしまった女性社員がいるのではないだろうか。

 

将来の私のために、

今の私がでなくて

「みんなが」仕事しやすい環境にしたい。

 ごはんについて。


たぶん、私のことだから、いっときの話で終わる可能性もあるけど

 

出来合いではなくて、

なるべく毎日作って食べている。ここ数週間。

ちなみに、ごくかんたんなものしか作らない。

 


キノコのマリネ風。おいしい。

 

お酢と、塩と、胡椒と、砂糖と水。それからオリーブオイル。

耐熱ボウルで、キノコと和える。

ゆるくラップをして600ワットで3分。

レモンを絞って食べた。

 

 

昨日、駅を通ったら、

ある右寄りの政党の候補者が、

声をからしている。

聴衆から熱狂的な歓声が上がる。

でも。同時に「ヘイトをやめろ」「差別で票を取るな」と批判する

プラカードを掲げる人たちも多くて。

そして、その周りを、警察官たちがたくさん、厳しい表情で囲んで立っていた。

 

「人間にファーストもセカンドもない」。

 

ほんとにそうだ。

 

 

生物学的?な話をするならば

スケープゴートを探すのは、

人間の本能であり、

「ある意味で”平和的な解決策”である」といえると思う。

集団を「A」か「Aでないか」に仮想的に区切ることで、「Aを優先する」「Aを守る」ことができるし、「Aの皆が幸せに」を考えることも容易になる(たいてい間違ってるけど)。

Aの誰かが犠牲になることもなく「"皆が"幸せになれる」。


でも、根本的解決とは程遠く、

グローバルの時代にはナンセンスだと思う。

そんな立場で、成長なんて見込めるはずがない。

「一見、成長しているように ”見える” 」ことはあったとしても。

 

職場のAさんが、

「自分がしんどい原因」探しをいつもしている。

そして、「○○さんが悪い」「○○部長が厳しい」という。

それと一緒じゃないか。

誓っていうけれど、あした○○さんたちが仮に定期異動でどこかに転勤しても

あなたは楽にならないよ。

一瞬幸せになった気がするだけ。

だって、あなたのしんどい原因は、あなた自身にあるんだもの。

 

 

…こういう状況において、

私は「憲法」を変えるべきだと思わない。

 

憲法で守られているものがたくさんあると思う。

 

何から守っているか。

それは、

私たち自身の愚かさ、一時の判断の誤り からだと思う。

どんなに「痛切に反省」しても、すぐに忘れる。

 

 

古い時代のものだから、

「時代に沿わないこと」

「想定されていないこと」というのは、

当然あるんだけれど。

そこは、法律や制度でカバーしていくべきだと思う…

 

今の仕組みの中でも

技術をうまく活用することで、ずっと改善できることは、多分たくさんあって、

まずはそこに注力するべきじゃないのか。

(ヘイトする暇と労力があったら)

 

 

It has been said that democracy is the worst form of government 

except all the others that have been tried.

民主主義は最悪な政治形態だ、

ただ、他のこれまで試みられた全ての政治形態よりはましなだけだ。

 

と、チャーチルは言った。

私も、今の憲法には問題があるのだと思うけれど。

だけど、多分、

今の「戦争を忘れた」社会で、

おろかな私たちが憲法を作るよりもましだと思う。

 

「修正」というけれど。

それでは終わらない。蟻の一穴になるリスクがある。

 

 

The farther backward you can look, the farther forward you are likely to see.

過去をより遠くまで振り返ることができれば、

未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。

戦後80年。

戦争を知らなくても、知る努力が必要で、それが未来を作ることになると思う。

 

ちょっと驚愕する話。

 

「政党・右寄り左寄り」で画像検索すると、

2016年とか2019年の参院選の記事が出てくる。

そのときの 「一番右」と今の「一番右」の違いといったら。怖い。

 

 

遠野なぎこさんについて。

 

あの人の発信していた内容を、

ちゃんとたどれば、

「この人は自殺なんてしないだろうな」とわかると思う。

 

でも

そんなことをしない人による

口さがない、心ない言葉が拡散されている状況の中で、

 

あの人のブログの投稿権限に

どうにかアクセスし

 

本人の名誉のため、自殺ではありません。

猫は無事です。

 

という記事を掲載した「親族」がいらっしゃったことが嬉しかった。