私は生成AIを英語の練習に使っていることもあり(聞いてる内容は、英語と関係なくて、マクロ組んでもらったりが多い)
基本的に「人間相手」のように接している。つまり、
「ありがとう」
「助かりました」
「すみませんが、もうちょっと○○してくれませんか」
みたいなことを省略していない。
そして、最近知ったのだけど、
実際のところ、AIに丁寧に聞くと、
しっかりした答えが返ってきやすいらしい。
これには、ちゃんとした研究的な裏付けがあって
「この現象は、LLMが人間の行動を反映するだけでなく、言語──特に異なる文化的背景を持つ言語から影響を受けることを示唆している」
とのこと。つまり、AIが学習した膨大なデータのうち、適当なコトバでは乱暴な内容がやりとりされており、丁寧な言葉ではかっちりとした内容のやりとりをされている割合が高いからとのこと。なるほど。
※※
ものすっごくしょうもない話。
先日のこと。
私は駅から3分くらいのところの
12階に住んでる。
この前、ちょうどいい感じに電車に間に合うなという時間に家を出て、
エレベーターに乗ろうとしたら
「表示が13F」となっていて、タイミングよかったな、すぐ来るなと思いきや
15階に上がってしまい、そして、何かの荷物を運んだりしてたのかもしれないけど
異常に長くそこに止まっていた。
やっと動いた…とおもったら、14階でも止まり、13階でも止まり…
12階で私が乗って。
1階で急いでエレベータを降りて、急いでマンションの勝手口を開けたら、
どういうわけか、目の前に
インドかな?のあたりの出身に見える3,4人のお母さんたちと小学校低学年くらいの5,6人の子供がいた。
そして子供たちが道路横幅を目いっぱい使ってキャーキャーいいながら「円形に自転車でぐるぐる(結構な高速で)回る」遊び?をしていた。
おっとマンションから出れない。
「アラーゴメンナサーイー」とお母さんたち、子供たちをとめてくれたけど。
近くにカレー屋さんがあるからそこのご親戚とかかな。スパンコールのついた赤や青や黄色のビビッドで素敵なサテン生地の民族衣裳のお母さんたちで。
な、なんだろう、この「日常の一コマなんだけど非日常な感じ」、白昼夢感というのか?
そのあと、丁寧に信号にもひっかかり、
電車ぎりぎり間に合わず。
えええ。遅刻する気はさらさらなかったのにこんなことあるー?
(それも、事故とかじゃなくてよかったけど、
そういうインパクトのあることじゃなくて、
ものすごい地味?というか
おかしな事象の積み重ね)
と思いながら、20分後の後続の電車に乗り、
小走り~早歩きで、英語のレッスンにはぎりぎり間に合った。
汗だくでレッスン受けたよね。
その帰り道のこと。
電車に乗って空いていた席に座ったら、
直後の駅で隣の人が席を立った。
そして、かなり恰幅のいいひとが私の横に座った。
その時点で、私はちょっときつい。
次の駅で反対の隣にいた、
線の細い高校生くらいの女の子が席を立って降りていって、
かわりに、やはりかなり恰幅の良い人が座った。
標準体型の私でも「狭いな、座るの躊躇するな」という隙間しかなかったのに、
ぐいっというかずいっというかんじで座ってこられて、
えっと。
めっちゃ狭い…
でも、なんか、
私がここでもし席を立ったりしたら、
あからさまに 「あなたによって席を追われました」感が出るのでは…
という変な遠慮により、動けなくなってしまった。
英語にもまにあったわけだし、
別に失敗とかがあったわけではないけど、なんだかいろいろ調子の狂う一日だった。
まあ、こういうこともあるよね。
※
ジョンウィック4
「日本を舞台にしてるんだけど、あれは絶対日本じゃないと思う!」と英語の先生が言うので、
試しに見てみたら。
うん、確かに日本じゃなかった。
「なんかジャパニーズ的なものをとりあえず集めたなにか」という感じだった。
こういうある意味で罪深いことを、
日本だって、アニメとか映画で、
アフリカだとか、ヨーロッパとかに対してやってるんだろうな。
お互いに。(「こういうジャンルの漫画とか映画」においては、別に許される話だと思うので文句ではない)
そして、「日本人が感じる、言語化しにくい日本人らしさ」とは何か
ということにちょっと迫れた?という点では、面白かったな。
たぶん、ひとつは「空間」の問題だと思う。
ロケをしているいろんな場面。
こういう広い空間自体が、日本にないんだよね。
インドヨーロッパ語族の言語は、広い空間で発達したから俯瞰的視点。一方、日本は主観的視点。という話をめっちゃ思い出した。
チャンバラ的なことをやるんだけど
日本ジャナイ感が半端ない。
障害物がたくさんあって、見通しは悪いんだけど
「場」全体が広大すぎる。
なんといったらいいのだろう、
実際に使える空間の広さではなくて
「地」とか「基」とかの広さがちがう。
日本の「広い」とあっちの「広い」が「レベチ」って感じ。
あと、さっきもいったように
「ぽいものを集めたなにか」
なんだけど、
その集め方が極端というか、
「どばっ」という感じ。
なんか、パラパラ…が日本ぽいのに、1キロ袋全部一気にぶちまけました みたいな。
オブジェクト配置も、ああいう壮観な配置はしないと思うんだよね。
そういう意味で面白かった。
あと、
アクションはさすがに迫力があった。
(チャンバラぽいものは違和感で集中できなかったけど)
ストーリーは…
もはや何か考えちゃいけないんだろうな。
ストーリーをはじめ、全体を通して
色んな意味で突っ込みどころしかないといえばそんなかんじの映画だった。
「フィクションの暴力」の迫力に全振りした映画であり、この陳腐さが一種の売りだと思う。
あまり格闘とかわからない私からすると
「なんか、
壮大な顔ぶれが
壮大なお金をかけて、
壮大な場所で
しょうもないことしてるわ~
演技だとしても超痛そう」
「なんか…俳優って大変な仕事だな。
痛そうだし。
それでもって、めっちゃ走るやん、
無意味に。」
みたいな感想を持ってしまう。。。
ちなみに生成AIがもっともっと進化したら、
撮影しなくても、これにかなり近いものができたりするんだろうか?
感情の機微とか大事なせりふの回しが重要な映画においては人間の俳優さんにやってもらいたい気がするけど(AIに実現可能かはおいておいて)
こういうアクションに全振りの映画は、安全面やコスト面を考えても、結構早くAIに置き換わっていったりするのでは?と思ったりした。