世界的に権威のある賞を受賞した小説…ということで、
新聞に載ってた書評で関心を持ち、
ポチって、
しばらく机に放置していたけど、今日、読んだ。
この小説が受賞したのは、英訳版。
どう訳したのだろう…と
The Night of Baba Yagaの「試し読み」を見てみた。
Eighteen-year-old Shoko, pretty and silent as a doll, has no friends, wears strangely old-fashioned clothes, and is naive in all matters of life
だよねー。
この本の英訳が海外で評価されたのはとても素晴らしいことだけれど、
日本語であるが、この本の重要な要素だと思う。
尚
正
政
柳
日本人である私たちが、
こうした漢字からどういう響きを想像したか。
これってわりと大事なことだと思うんだけど、
英語ではそれは表現し得ないと思う。
それと、最初、読みにくいな、情報が足りなくて情景が想像しづらいな、と思った。
だけど、それも必要なことだったと後でわかる。
文字として書かれた内容から、自分が勝手に想像したこと。
それが覆され、
え、そうなん?と思う。
んんん? となる。
そういう仕掛け。
「巧い」ということかもしれない。
でも、同時に。
それは「現実」では起こらないトリックだ。
私たちは、現実では、聞いて、見て、判断するよね とも思う。
聞こえてきたもの、目に入ってきたものをもとに、生きている。
それが本当かどうかは関係なく。
そして、その見て聞いたものからの判断が、
いかに適当で誤ったものであることか。
この小説の「中の人たち」が「勝手に誤解して、だまされていること」って、
たくさんあって。
そのような誤解は、
現実世界ににもたくさんあって、
それをえぐってくるのが、この小説のいいところ。
だからこそ、
漢字のトリックは
「よくできてるけど、なくてもいいんじゃね?」
と思った、私は。
あと、1ページ目、赤色って書いてあったらいいじゃないかって思った。私は。
さっきもいったように、
私たちは、現実で、見て、聞いて、浅はかにもそこから判断する。その理解がいかに薄っぺらいか。
このときの tangibleな「世界」に対する「視覚・聴覚」と、
小説としての文字情報に対する「視覚・聴覚」はどうしても異質であって、
その異質さを強調してしまうトリックは、
作者が主張したいことに対して適当だったんだろうか、と。
見て触れるからこそ、勝手に判断する。
その奥の本質を見ようとしない。
そこの浅はかさに光を当てるのだとしたら、
文字から情景を想像する段階における
「頭を使う」トリックは必要ないんじゃないか。
Nのネックレスとか、いらないんじゃないか。
実際、
漢字のトリックが通用しない英語版が賞を獲得してる。
それって、
もしかしたら、
英語であることで、
読者がよりダイレクトに、
「この小説の世界の中で起こっていたこと」にスムーズに入っていけたからじゃない?
だからこそ「人間の浅はかさ」が、より効果的に浮き彫りになったからじゃない?
まあ、多分、このあたりは、違う意見、様々な評価があるのだろう。
私自身に、小説を読む才能があるとは、全く思ってない。誰でも小説を読む権利があるだけ。
※※※
この小説の特徴である「暴力」について。
作者は、暴力なしに、この話が書けなかったと言っている。
面白いなと思ったのは、
「暴力」と「武道」が区別されていて、
その上で、主人公が、暴力を、明確に「選択して」いるところ。
力をコントロールして使うのが武道であるならば、そうじゃなくて、ただ、赴くままにふるうのが暴力。
そして、彼女はコントロールされない暴力を必要としている。
目的と切り離された単なる暴力。
…残念ながら人間にはそういうところがあるのだろうなとも思う。暴力を必要とする側面が。
反戦とは何か。
昔、「喧嘩をしないことが、反戦につながる」みたいなことを小学校で習った。みんな仲良くして話し合いで解決しましょうね。
…そんなわけない。
暴力を封ずることもとても大事だけれど、
暴力性が人間の特性なのだとしたら
暴力を戦争につなげないことも、また、大事なんだろうなと思う。
「暴力」と「戦争」の間には、線引きがあるはずで。
それは、たとえば、
「組織」や「目的」といった要素が関わっているかいないかではないだろうか。
戦争は組織や目的がないとできないけど、
暴力はもっと根源的で動物的なものだと思う。
ちなみに「母性愛」とかって、けっこう暴力だよな。
正当化された暴力=戦争、といってもいいのかもしれない。
主人公は「暴力が好きだ」という。
彼女は暴力に長け、暴力で生き抜いている。
そして彼女は、鬼婆になりたかった。
鬼婆は、悪くも良くもない。
強い力を持っていて、
悪いこともするし、いいこともする。
鬼婆が何をするか、敵なのか味方なのかわからないのが、
鬼婆話のおもしろいところ。
きっと、それは「暴力」にも通じるのだろう。
ただし、暴力の本質に切り込みながらも、
この小説の中の暴力って、
…痛みのない暴力、質量のない暴力であると思う。もちろん暴力を受けた登場人物が痛がる描写はあれど。
要するに、漂白されて毒気をぬかれた「フィクションの暴力」であり、それは頭に置かなければならないような気がする。
ロンドンで行われた授賞式に出席した王谷さんは、スピーチで「リアルな暴力があふれる世界では、フィクションの暴力は生きていけない。この栄光を世界平和に役立てたい」と喜びを語った。同作は、暴力団会長の一人娘を護衛することになった女性主人公が、男性優位社会の抑圧に立ち向かう姿を描く。日本で2020年、英国では24年に刊行された。―読売新聞
※
「らしさ」もこの小説の大事なテーマだよね。
「そもそも、主人公について『こういう人物像が女性にあてはめられている』こと自体に裏切られた!」
と書いてるいくつかの書評を読んで
なるほどそうなのかと思った。
言われるまで、私はそんなふうには思わなかったから。
でも、たぶんだけど、評者が、男性だからそう思うんじゃないかなあ。
女性は、たぶんそこまで、女性という存在自体をカテゴライズして見てないとおもうな。多かれ少なかれ「女性らしくない部分」を持っていて、それを自覚している女性が多いと思うから。
そういった書評のいくつかは、
「いや、『弱い女性がいつでもどこでも常に虐げられている社会』というあなたのもともとの固定観念が特に強すぎただけでは」?と思ったりした。
(ああ、でも、このあたりは、私は気を付けて発言すべきところだと思う。「私個人」は結婚せずに、ホワイトカラーの職場で働いてきて、今までの異動においては前任も後任も、男性であることが多かったし、女性だから機会を制限されたという経験はしていない。
私は「一つの会社」しか経験してなくて、産休・育休もとってなくて。
だから、私が女性を代表するような発言はしてはいけないだろうと思う。
もし、女性である私が「ここに女性差別なんかない」みたいなことを言ってしまったとき、実際には差別されている女性がいたら、その人は、私のせいで非常に傷つくことになる。そして、それは男性が同じことを言うよりも、はるかに罪が重いことだと思う。)
だから、
ひょっとすると、何かの小説で
今までにない男性主人公が出てきたら、私もびっくりするのかもしれない。どんなのか想像つかないけど、想像つかないからこそ。
※
私自身は、あまり「○○らしさ」にとらわれずに人生やって来れている。ラッキーにも。
何かになりたいとも、そもそもなれるとも思ってないし、そこに対して不安にもならない。
むしろ比較対象がないって、とても気楽でいいなあと思っている。
これに関しては、別に「やせ我慢」とかではない自信があるな。
そして、なぜか、私に対して、そういうこと、つまり○○らしさを押し付けるようなことを言ってくる人は本当に少ないと思う。ありがたいことに。
(私が、何か言われていることに気づいていない可能性もあるけど…。あと友人が少ないからかもしれない。)
そんな私は、
他の人が結婚してもしなくても、家買っても買わなくても、子供がいてもいなくてもわりとどっちでもいい。
でも、だからこそ。
無関心だからこそ、私こそが「ラベル貼りたがり」なのかもなぁと思う。気を付けないとね。
実体をあんまり知らないからこそ「見たものをそのまま都合よく、認知負荷をかけずに解釈」して、その奥の本物を見ようとしていないのかも。
男と女がいて。二人の関係性が「夫婦」とわかると勝手に安心するところが、私にもあると思う。でも、関係性に「夫婦」って分類名がついてるだけで、その実態なんて本当にいろいろだ。
あるいは、英語の先生がいて、
カナダの人だ、とか、ニュージーランドの人だとわかると、その人のかなりのことをわかった気になってしまったりするけれど。
私が日本人であることは、私の何パーセントを説明しているんだろうね。極めて小さいはず。
(ただし、英語の授業において、私自身、自分を「日本人代表」としてとらえることはよくあるし、私がいかに色んな角度から見て少数派であろうとも、それでも「日本」で育ったバックグラウンドからは、逃げられてないと思う。)
「しゃらくせえ」と主人公は世の中に対して思う。英語ではなんて訳されたのだろう。
一度カタにはまったふりをしてしまえば、誰も本当は何なのか、どういう人間なのか気にかけない。本屋の店先を眺めたり、定食屋でテレビを見ていると最近さかんに「本当の自分」「自分探し」とかそんな言葉を目にする。しゃらくせえ。
今ここで生きている自分と尚子は偽物だが偽物じゃない。どこまでも自分自身だ。
まったくしゃらくせえ。