今日は
佐保田ヨーガの日~~
京都真福寺へ行ってまいりました~~
先生だらけの
先生のための研修会だというだけあり。。
なかなかに
難しい言葉が飛び交っておりました~~
お昼を挟んで
先生に
伺いに詰め寄ると
その意味は
「ヨーガ・スートラ」の一番最初に書いてあるということでした
「解説 ヨーガ・スートラ」佐保田鶴治
1・1 これよりヨーガの解説をしよう
この本を持っている人は
この最初に出てくる一文に何の不思議も感じなかっただろうか
1・1 これよりヨーガの説明をしよう
これで
1・1なのだ!!!!
ふ~~~む
それで
問題の
1・2 ヨーガとは心のはたらきを止滅することである
このことを
チッタ ブリッティ ニローダハ
というらしい。。。
この1・2 に精通することが
すべての始まりで
終わりだろうと思います
不動心ですね~~
どうしてこのようなお話になったのかといいますと
お一人の生徒さんが
いつもその先生のそばにくっついてこられるそうで。。
その方は
独身で
財力もあり
自然の豊かなところにお住いだそうですが
どうにも
こころが落ち着かず
ヨーガに出会い
佐保田ヨーガを長くされている先生との出会いもあるにはあるが
その心の寂しさはとても厳しく
どうやら
逃げまくっておられる様子だそうで。。
実際。。
そばに居ると振り回されていますということでした
しかしながら
そのことを
そのままに受け入れることも
ヨーガに出会っているから
「そうだな~」っとそのままに肯定できますね
ということでした
その時に
その言葉
チッタ(こころ) ブリッティ(動き) ニローダハ(止める)
これに精通することの重要性を話しておられたのです
その先生に薦められて
「解説ヨーガ・スートラ」の解説
佐保田先生による講和の本を
今日はゲットしてきました~~
この本をまとめられた石田祐雄先生の序文に
なぜヨーガスートラ
この聖典の理解に役立つ講述の会が開かれたのか!!
それはほんもののヨーガの講話と実習の指導がそこにあって
この正しいヨーガを深く理解するということは
やはりこの聖典の理解が必須なのだというお話しなんです
言葉というものは
すぐにも概念となって
頭で理解するものとなってもきましょう
しかし
実習をすることで
その理解は
その言葉にはならないものを
ある時
ああそうなのだと
気がつくこともできるだろうか
ヨーガ・スートラは
4つの章に分かれてかかれており
最後の章は
「在る」ことの深き真髄
それのみ
そこのみ
それ自身である
そんなところでしょうか
スートラを理解せずして
それをヨーガと呼ぶなかれ~~ですよね
^^;