真実はすべてに宿り | スッカラカ~ンと♪いつも青空

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輝くいのち
その静かな喜び

真実は

すべてに宿り

その真実を知るのに

この人から

あるいは

この方法からしか

あり得ない


そのようなことはありません


また

いのちの理解から

このようにも

思うのです



愛であることと

愛することは違う




たとえ

太陽のように


その愛をふりまくような存在だとしても



時には

厳しいこともあるだろう



その厳しさは

けっして相手の思うとおりの行為ではない

そのような形で(厳しいものとして)現れるかもしれないということ




愛することというのは


何もかも貴方の思うとおりということではないのです





愛は

そんな風に


ちっぽけなものではないということです



どんな厳しいことであっても



貴方の想像の愛ではない




いのちの体験は



どんな想像も超えている



それと同じように


愛も

想像をはるかに超えている




体験によって知りえた

また深めていく理解は



あなたの浅はかな行為

意見を



ふと



振り返ることもあるのだろうか













昨日


今日と


やたら





気にかかり




出てくる青の思いです








プレム氏にイニシエーションを受け

このいのちの体験のその深い知恵を与えられて


それでは「わたしは神!!」でしょう。。と話す友人

(即座にあなただけではない。。その体験はいのちであって

すべての人のもの。。わたしたちすべて。。神でしょう!!と話しました)


それほどに強烈な体験は。。。

その体験から抜け出ることが

本当に難しくなる




プレム氏の存在や

そのメソッドすべてを否定するものではありませんが


受け手である私たちは

それでも理解というものを深めていく必要はあると思います





青は


友人をプレム氏に引き合わせるべく

講演会に連れていくこともありますが




真理

真実はひとつで



そこに向かう時というのは


何か

人や方法にこだわることはありません



どんな手法であっても

また

だれであっても


それを深く理解している人に

必要があれば

必要のある角度

視点で

友人を紹介することもあるかもしれません






このことにおいて



プレム氏しか知らないという人は

プレム氏のところでは

それでいいかもしれません



しかし

青は

なぜか



プレム氏のところで

すでに

密教師匠を見出し(その当時、師匠は

青の中ではプレム氏と同等の存在でした)

その真実を

ただ深く理解したい


それだけだったのです





今も

そうです











その態度は変わることはありません




ミーハーのように


舞い上がり

あがめてしまうようなことがありません



いのちの体験とは

自分自身の真実の体験であり


それは

だれかに与えられたものではないからです








そして

そのいのち

自分自身であるということは


その人生を

このわたしが生きることに他ならない


あなたのいのちの理解や

意見を生きることではないのです



人生というのは

この日常生活すべてです



一息

一息の中に

息づくすべてです


そこに集う家族にとって

常にベストなことが起きています



そのベストなことというのは


貴方の思う通り

というわけではない



ということです






















ここまで書いていて


この久しぶりな感じ。。

だれに向かって書いているのか

 
この記事は

古い友人にむけています



彼は

プレム氏を私に紹介してくれた人で

少し前に

義父が同居していた時に

連絡をいれたところ





このいのちの体験から


あなたの出来ることは

まだあるでしょう。。と

ずいぶんと意見されてしまいました





それは


出来るかもしれません


しかし

しないかもしれない



この「しない」というのを


彼には

理解出来ないようです




このことは

たぶん


難しいだろうな^^;









(^0^)