実際
自らの神聖さに気づいていく道は
いろいろあるかもしれません
チャネリングや
アチューメントなど
エネルギーワークなどを通して
その一端を垣間見て
それが
唯一のものと信じてしまうかもしれません
共鳴をとおして
「在る」という存在を間じかに
理解していくことは
まさに
まだまだ
余計なものをそぎ落としていくのだなという感じです
神聖な存在に
私たちはなるものでもなんでもありません
私たちは
まさに神のエッセンスを一滴知っている存在でもあり
そのことを否定はしませんが
まさに
在るものとして
在るということは
さらに
注意深く
在らなければなりません