青という名前 | スッカラカ~ンと♪いつも青空

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輝くいのち
その静かな喜び


どうして青さんなんですかと聞かれて~


美術系大学に行っておりました

卒業制作で

青い絵を描くことにしました


卒業後、瞑想のテクニックを授かってから

2度個展をしましたが

いずれも

空を書いていました

雲ひとつ無い空です


小さい頃

見つめていた

広がる青い空です


私は青い空です





私は

その絵を

ただこの内側で感じている心地よさが

流れ出ればいいと思って描いていました


その後

もっと

絵という物質を間に挟むのではなく

ダイレクトに人と通じないかと

指圧の道に足を踏み入れるのでした

この心地よさは

本当にダイレクトなものでした


病は

正されれば

自然に元にもどる

もともと本来は

健康そのものなもの

そこにこの心地よさも普通に宿っていると思いました

引き出せばよい


ところが

この指圧では

する側とされる側のいわゆる

患者と施術者というものがあり

どうしてもこれでは片手落ちだと考えたのです

(今思えば指導の仕方ひとつですが)


すでに

ハタヨガは初めて10年経っており

その当時の先生は

西洋医学の先生が匙を投げた難病を

自力でヨガで直された方でした


そう

自分で治せるのはこれだと思い

ヨガを指導するということもしてみました

ところが

プレム氏に教わった瞑想は

ドンドン深くなってきており

ヨガを単なる健康のためとしての

位置づけではどうにも

自分自身が納得できず

また深い指導も出来ずジレンマに陥りながらも


手足は

軽く

意のままに

動き出し

心は

どこか

はるか彼方

天界と繋がるかのような心地で


そのまま

青い絵から

舞踏の世界


肉体表現へと移って行ったのでした



舞台で作り上げられる空間は

今考えても

かなりクリアだったと思います


人生とは


人とは


その幸せとは



それを意図するものの存在を肌で感じながら

しばらく過ごしておりました


その間

密教も

合気道も

同時に学んでおりました




ある日


舞台の上で

目が覚めたのです



動けませんでした

あれだけ

流れるように動かされていたのに



意識は

またどこか

違うところに

移って行ったかのようでした



卒業です




バタバタと結婚をしました

それまでの人間関係

それまでの生き方

それまでの考えや感じ方など

すべて捨てて


ただ持っていたのは


その幸せのフィーリングでした


私は

初めから幸せだったし

ずっと幸せ

結婚して幸せになったわけでも

こどもを授かって幸せになったわけでもなく

この変わらぬ幸せだけがありました



そんな風に生きてきました

去年

クンダリーニエネルギーらしきものが暴れだし

忘れていた探求を思い出し

渇を思い出し

そして

無空庵さんとの出会いに繋がるのでした



たどり着いてびっくりですが

この心底からの浄化は

それがそのものから起こってきているといいますが

それそのものを

毎週照らし出していただくことで

まさに

この人生で

歩み続けておりました

すべての謎と

すべての答えが同時にそこに在るのでした


今は

もう

繋がるジグソーが

もう勢いを増していくばかりです(^0^)








それで

私の

ルーツでもある

青という名前をつけましたよ





(^0^)