嬉しい未来 | 「不登校・ひきこもり」と向きあった日々

「不登校・ひきこもり」と向きあった日々

私たちは不登校・ひきこもりを体験した子どもたちをもつ保護者の集まりです。
「先の見えない不安や苦しさ」「相談できない孤独」「わかってもらえない悲しさ」 このような中で自分と向きあってきた日々をつづります。

あのころから、もう15年も経っ

たんだなあ・・・

 

 

 

息子が、将来はこうなりたいと想

い描いたことがなかなか上手くい

かず、自室で引きこもることが多

くなっていったあのころ・・・

 

やがて、息子は夫と私の留守中に

自分のパソコンを持って家出して

知人宅で引きこもり生活を始めた。

 

夫と私は、どうすることが良いの

か分からず途方に暮れた。私は何

も手につかず友人、知人、親戚に

相談するものの何の手立ても浮か

ばずに、あっという間に1年が過

ぎてしまった。

 

そのころに、義兄がくれた1枚の

チラシから谷口英子先生に繋がり、

夫と共にカウンセリングを受けた。

 

我が家のように、息子の年齢が高

く家に居ない状況でも相談を受け

ていただける所があることが嬉し

くて、喜び勇んで出向いたことを

覚えている。

 

 

 

早速、息子の状況説明をすると、

「年齢が高いので、時間はかなり

掛かると思います。同じような

年齢の方で4年掛かった例があり

ます」と最初に言われ、長期戦の

覚悟を決めた。

 

次に「離れているので手紙を書き

ましょう。一方通行でも良いから

出し続けてください」と助言を頂

いた。

 

封書だと開けない可能性もあるの

で、途中から葉書の絵手紙にした。

内容はこちらの家族、親戚などの

近況報告や息子の健康を願ってい

ることを、伝え続けた。

 

そして、私は「母親として離れて

いても息子に何かしてあげられる

ことはないでしょうか?」と尋ね

ると「ホ・オポノポノ」を教えて

くださった。

 

「ありがとう。ごめんなさい。

 許してください。愛しています」

 

と相手を想い唱えるもので、過去

の記憶をクリーニングするハワイ

の秘法だそうです。翌朝から毎日

朝陽に向かい息子を想い唱えた。

 

あと、祖父母や親戚からの届き物

や出掛けた際の土産なども送った。

これらにも、必ず絵手紙を添えて

想いを伝えた。

 

 

 

息子は年齢のこともあり、すぐに

会えるとは考えられなかったので、

私自身の心が折れないようにする

為、ワークショップにも参加した。

 

そこでは、沢山の学びと気づきが

あって私自身の思考が、少しずつ

少しずつではあったが変化して行

った。

 

いろいろな教えを実行した甲斐が

あって、息子が家出してから約3

年後に、谷口先生に出会ってから

約2年で、息子と再会することが

出来た。

 

 

 

その後、息子に会えることは当た

り前ではないので喜びを強く感じ

感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

息子が来て帰る時は「来てくれて、

ありがとう」と自然に言葉が出て

いた。

 

 

 

再会してから2年が過ぎたころに、

息子は派遣社員として働き始めた。

警備会社のコンピューター処理の

仕事だった。

 

スーツを着て満員電車に乗り出勤

しているなんて予想外だった。

 

上の方から「正社員にならないか」

と声掛けされたそうそうですが、

息子は1年後「この仕事は辞める」

と言った。

 

夫と私は「正社員」という響きに

心が揺れたが何も言わずに、息子

の仕事に対する決断を尊重した。

 

すると今度は、映像関係のウエブ

会社の派遣社員として働き始めた。

ここは私服で働く職場だった。

 

息子は以前から、コンピューター

の映像に興味があったし、学生の

時に「俺はスーツを着て仕事はし

たくない」と言っていたのを、思

い出して「なるほど〜」と想った。

 

こちらの会社でも、正社員になる

ことが出来、役職にも就くことが

出来た。

 

しかし、今は違う映像関係の会社

に転職して、委託契約という形を

希望し、自由な勤務体系で仕事を

しております。

 

 

 

自分の希望する仕事の仕方へと、

どんどんと変化させて行く行動力

には驚かされ続けている。

 

15年前には、想像出来なかった

嬉しい未来だった。

 

 

by   かすみ草

 

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