分からないの | 「不登校・ひきこもり」と向きあった日々

「不登校・ひきこもり」と向きあった日々

私たちは不登校・ひきこもりを体験した子どもたちをもつ保護者の集まりです。
「先の見えない不安や苦しさ」「相談できない孤独」「わかってもらえない悲しさ」 このような中で自分と向きあってきた日々をつづります。

先日、認知症で

特別養護老人ホームに入居中の母に

面会に行った



母は痩せ細り、車椅子に乗って面会室に

連れてこられた


目の焦点があわない



姉と「こんにちは。私達が誰だかわかる?」

と訊ねても

「分からないの」と

蚊の鳴くような声で一言



そうか、それじゃあと思い質問を変える



「今日の朝ごはんは美味しかった?」



これにも「分からないの」



何の問いかけにも全て「分からないの」



あんなに記憶力の良かった母が

もう記憶することは出来ないのか、

と悲しくなった



この時、ふと谷口英子先生が

おっしゃっていたことを思い出した



「分からない、も立派な答えです」



息子が不登校になった当初、

何で学校へ行けないのか?

何で朝起きれないのか?

私は息子に問いただした



その時、息子は不安そうな顔で

「自分でも分からない」

と言った



その時は


本人が分からないことを

こっちは尚更分からないじゃないの


と思ったけれど、


後々、谷口先生にお世話になってから

息子のあの言葉は

本人も本当に分らなくて困っていることを

精一杯、素直に伝えてくれていたんだな、

と分かった



あの頃、息子を心配し続けてくれた母が

あの頃の息子と同じ様に

私達に「分からないの」と

精一杯の答えをくれている



その顔はやはり息子と同じ

不安でいっぱいの表情をしていた



分からない、ということは

こんなにも不安で仕方ないんだな



以前私は、

認知症の人は完全に認知出来なくなった方が

その過程を辿っている時より

幸せなのだろうと思っていた



でも、それは違うことが

凄くよく分かった



いまだに面会室は

アクリル板や大きな机で仕切られ、

手を握ることも、

抱きしめてあげることも出来ないことが

もどかしかった



それでも母の気持ちを

受け止めることは出来る



姉と二人で

「分からないのは困っちゃうよね〜」と

ひたすら受け止めていると


「そうなのよ」と受け止めてもらえた喜びを

微かながら滲ませてくれた



「分からない」も大切な答えなんだな、

と実感した出来事だった



by  カフェラテ


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