若槻環濠は前回紹介した「稗田環濠」の近くにあり、折角なのでここも訪問してみると良いでしょう。ただ稗田環濠で述べた通り、道が狭いので自転車で疾走してみるのがちょうど訪問に良い。

自転車で走っていると田園地帯の中に森が鬱蒼と生えた目立つ区画があります。あそこが若槻環濠の一部です。

若槻環濠は稗田環濠と比較すると遺構の残りはあまり良くないのですが、南西端の天満神社の一角は比較的かつての環濠の遺構が残っていますl

あるいはこの辺りがかつての環濠の下の姿といってもいいのではないでしょうか。もちろん堀はもっと深かったでしょうが…

高い土塁が残されており、紛れもない「城」の遺構です。

天満神社

神社の裏手の土居からみた周辺部

外と内側で土居を高くしている構造はまさしくかつての環濠集落そのものでしょう。

 

 

基本的に天満神社以外の部分は僅かに水路が往時を偲べるもので、他はかなり地形改変が著しいものでした。

かつての環濠集落部は今も住宅街となって、人の営みが続けられています。

それにしても道が狭く、地元民以外だと足が竦んでしまうレベルです。

この向こうは大和郡山の市街地となり、住宅街やマンションが立ち並んでいます。若槻環濠はまさに開発された住宅街と田園地帯との境界線に位置しているのです。

 

若槻環濠はかつては鎌倉時代の頃はあちこちに農家が散在する散村でありました。しかし、室町時代に入り、戦乱の激化と共に自衛の必要に迫られた人々は室町時代後期の文正元年(1466)頃に機能を集約させて自分達の家を守るための環濠を形成し、それ以後戦国時代が終わる文禄4年(1595)には東西に長い環濠として完成したことが史料上でも分かっています。

 

〇アクセス


近鉄大和郡山駅から自転車で約15分

 

「若槻環濠に狼煙が一本…」