ブラウンシュヴァイク公・・・というと日本人で『銀河英雄伝説』を愛読する人なら確実に

某門閥貴族連合の盟主オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵(以下『オットー』と呼称)するであろう。今回取り上げるのはそれとは全くの別人で、史実に存在したブラウンシュヴァイク公である

カール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブランシュヴァイク公である(以下『フェルディナント』と呼称)

予め申し上げておくとフェルディナントはオットーとは違い、歴戦の戦いに加わった名将である。殆ど能力的には見るべきものがほとんどない、貴族連合の盟主とは大違いである。ただ、役回りがまさにオットーと瓜二つの運命を辿ってしまったのが皮肉な相似形を成してしまっただけである。

人は誰しも生まれる時代を選べないものなのだ。

 

〇大王の甥として…

フェルディナントは現在のドイツ中部の諸侯であるブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯であり、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公爵の家に生まれた。この家はプロイセン王家と縁戚であり、フェルディナントの母方の伯父はあのフリードリヒ2世(大王)、そして義兄は英国国王ジョージ3世というまさに名門の中の名門の家系である。プロイセン王家とは縁戚関係でもあり、その軍事に従軍してフェルディナントも優秀な軍人として育てられたのである。貴族と言うと古今東西『豪奢な舞踏会と宮廷政治に明け暮れ、安全な場所から戦争の高みの見物をする輩』

のように語られがちであるが、プロイセンの貴族は違う。そもそもプロイセンと言う国自体が戦争によって誕生した軍事大国であり、常に尚武の気風を兼ね備えた存在なのである。「プロイセンは大砲の弾から孵化した」とは彼らの宿敵となるナポレオンの言葉である。フェルディナントも伯父のフリードリヒ大王に師事して、数々の戦争に従軍。余りにも戦争に熱中するあまり、実父から勘当寸前の扱いを受けている。

それでも1773年には父の後を継いで、所領の改革を行い、繁栄に導いた名君でもあった。フリードリヒ大王は甥をこう表現して賞賛している。

「プロイセン軍最高の元帥」

フェルディナントの絶頂期は1787年である。この年、大王亡きあとに後を継いだフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の妹が嫁いでいるオラニエ公(現在のオランダ王家)が内戦で苦境にあえいでいるネーデルラントに出兵して、王妹夫婦を救出。ネーデルラントの反乱サイドを降伏に追い込み、勝利に導いた。フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は妹を救ったフェルディナントを称賛し、凱旋する彼の為に、首都ベルリンに凱旋門を築かせた。

それこそがあの有名なブランデンブルク門である。

まさにこの頃がブラウンシュヴァイク公にとってのまさに名声と称賛に満ち溢れた人生の絶頂にあった。

 

〇新時代の英雄と転落

だがその2年後、それまでの欧州世界を一変させる出来事がフランスで勃発、それは欧州全体の歴史だけでなく、フェルディナントにも大きく影響を与えることになる。

フランス革命の勃発である

絶対王政を打倒して、「自由」を喧伝するフランス革命政府の存在は欧州諸国にとっての脅威となる。やがてオーストリア、プロイセンはやがて革命への干渉を図ろうとする。一方のフランス革命政府もやがて「革命の輸出」という強硬論が台頭し、遂にフランス革命政府と欧州諸国との間でフランス革命戦争が勃発。主力であるオーストリア・プロイセン両国は同盟関係を築き上げ、連合軍の最高司令官に任命されたのがフェルディナントであった。連合軍は当初は快進撃に快進撃を続けた。何しろプロイセンは数々の戦争で鍛えらえた強兵の国、一方のフランスも軍事大国であるが、この頃は革命の影響で貴族出身の将校の多くが亡命もしくは戦意が無く、しかも兵士は素人の民間人であったのである(『パン屋のおやじ』)、まさに進撃に続く進撃で革命政府に風前のともしびとなった。だがここでフェルディナントは政治的にとんでもない失策をしてしまう。フランス国民に対する威嚇として「フランス王家に危害が加えられたら、パリは死の街になるだろう」という脅迫の文書

『ブラウンシュヴァイクの宣言』を出してしまったのである。これを起草したのは革命を敵視するフランスの亡命貴族であり、だからこそ露骨な文章となってしまったのであるが、フェルディナントはこれにサインをしてしまった。これによって、革命政府は官民あげての徹底抗戦とフランス王家の打倒を叫ぶようになり、逆効果となってしまったのである。

そしてヴァルミーの戦いで両軍は激突する。だが既に進撃に次ぐ進撃で連合軍は補給物資に難を抱えており、一方の革命軍は素人ながら戦意旺盛な国民兵となっていた。最早軍事的にこれ以上の進撃は不可能と判断したフェルディナントは遂に戦闘中止と後退を命令した。この戦いは巷間言われるような大敗北であったわけではない。既に老境にさしかかった老公爵としては、これ以上の戦闘継続の無意味という戦略的見地からみた後退にすぎない。しかし世界史的には重要な意味を与えてしまったのである。

「国民兵で構成された革命軍が絶対王政の軍隊に打ち勝った」

としてフランス人の戦意を高揚させたのである。かくしてこの戦勝から革命軍は強大化していき、やがては欧州全土を席巻する「大陸軍」へと成長していく。そしてこの「敗戦」によってフェルディナントは解任されるという不名誉を負ってしまう。

 

それから10年近く、プロイセンは革命戦争から離脱して、中立を表明。数々の戦いに加わらず、「平和」を享受していた。だがこの10年の間に世界は大きく一変しようとしてた。フランス革命はやがて一人の「新時代の英雄」を生み出した。

ナポレオン・ボナパルト・・・貴族とは名ばかりの貧家に生まれ、そして戦場での活躍から遂には最高権力者へと上り詰めた男

彼の下でフランス軍は優秀な将帥で占められ、そして精鋭の軍隊へと生まれ変わりつつあった。一方、プロイセン軍はフリードリヒ大王の時代からの旧態依然たる体制から脱却できず、しかも将官の多くはその栄光を忘れらず、変化を拒む守旧派と化していた。そしてフェルディナントはまたしても貧乏籤をひかされてしまう。

 1806年、強大化するフランスに遂にプロイセンは宣戦布告し、遂に新旧2つの軍事大国が衝突する。だがこの時、プロイセン軍は構造的な欠陥を抱えていた。最高指揮官の不在である。

プロイセン全軍を指揮する人間がいないのである。正確には形式的には存在していた。他ならぬプロイセン国王フリードリヒ大王・ヴィルヘルム3世であるが、彼はフリードリヒ大王と違い、家庭においては非の打ちどころのない人間であったが、軍事にはまるっきりの素人であり、とても軍を指揮できるような才幹などなかった。かくして実質的な最高司令官として再びフェルディナントが実質的な司令官を務めることになるのであるが、ここでも指揮系統で大きな問題があった。彼はあくまでも立場上は他の将官たちの中の第一人者に過ぎず、他の将官に対する絶対的指揮権を確立できないまま戦争へと突入したのである。かくして「戦意過剰、戦略過小」プロイセン貴族は勝手気ままにバラバラに行動し、ナポレオンの近代的軍隊と戦うことになる。

イエナ・アウエルシュタットの戦い

この戦いでは特殊なことに両軍首脳部が相手の主力の位置を誤認したことから、それぞれが相手の主力軍と別働隊の存在を勘違いしてしまったことから始まった。結果、皇帝ナポレオンの主力である大陸軍はイエナの地でプロイセン別働隊と会戦し、順当に勝利を収めた。一方のプロイセン主力軍を率いるフェルディナントは逆に大陸軍の大陸軍の一軍団と戦闘を開始する。プロイセン軍は6万2千、一方の相手の軍団は2万7千と戦力比は2倍であった。2倍の戦力差のある軍隊が正面から戦う、普通ならば勝利して当然であったが相手が悪すぎた。この軍団を指揮しているのは不敗のダヴ―元帥であったのだ。冷静沈着に戦う尋常ならざるこの将軍に指揮された軍団は粘り強く戦い、容易に陣形を崩せないままズルズル戦いが続く。そしてこの時、前線で戦場を視察していたブラウンシュヴァイク公の顔面に銃弾が直撃。両目を抉られる重傷を負った公爵は指揮不能となり、後方へ搬送されてしまったのである。指揮官が不在となったプロイセン軍は遂に指揮命令系統が崩壊、かくして軍事大国プロイセンはイエナ・アウエルシュタットの戦いで完敗・惨敗・大敗を喫して、その強大な軍隊は雲散霧消してしまったのである。フェルディナントは瀕死の重傷を負ったまま、中立国のデンマークまで逃れ、11月10日に息を引き取った。かつてフリードリヒ大王の下で戦勝を重ね、歴戦の名将としての名声をほしいままにした名門貴族の軍人が新時代の英雄の前に「敗軍の将」として悲惨な転落を遂げたのであった。

 

ティルジットの和約によりブラウンシュヴァイク公の所領は没収されてしまう。しかしフェルディナントの四男であるフリードリヒ・ヴィルヘルムは父祖伝来の所領を取り戻すためにドイツでゲリラ戦を転戦。黒公爵という異名を手に父の仇敵・ナポレオンの没落に邁進していく。そしてナポレオンの没落後、見事にブラウンシュヴァイク公国は再興され、第一次世界大戦まで続くことになる。そして現在もブラウンシュヴァイクの名はドイツ中部の都市として残っている。

その生涯を表するなら、オットーとの評に被るこの言葉が似合うかもしれない。

「その意味で言うと公爵もむしろ被害者なのかもしれんな。フリードリヒ大王の時代に軍歴を終えていたら、名将としての名声をほしいままにしていたのにな。不運な人だ」

 

 

間もなく『銀河英雄伝説Die Neue These』第2章「星乱」編が劇場公開されます。第2部のキーパーソンとして登場するオットーさんには個人的にドイツ旅行行った時にお世話になった恩義(?)がありましたので、今回同じブラウンシュヴァイク公を書かせてもらいました。オットーさんは恩義があるのでできれば擁護してあげたい。(その分、甥っ子や副盟主はぶっ叩く予定)