鹿児島市の観光スポット/小松帯刀像~錦江湾 | 365日のファンタジー

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鹿児島市の中心部にある宝山ホール

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お姉さま方から盛大な歓迎を受けました

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宝山ホールの敷地内にあるの小松帯刀像

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錦江湾

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日本百景にも選定されています

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雄大な桜島


鹿児島市の中心部にある鹿児島中央公会堂。その隣りには、宝山ホール(鹿児島文化センター)があります。
その宝山ホールの敷地内にあるのが小松帯刀像。

小松帯刀は1835(天保6)年、喜入領主肝付家の三男として生まれ、20歳で吉利(日吉町)の領主小松家の養子となり、小松帯刀と名を改めました。子供の頃から学問や武芸にすぐれ、27歳で家老となり、西郷隆盛や大久保利通などを重要な役目につけました。寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争を乗り切り、薩長同盟を結ぶなど明治維新に向けて活躍しました。維新後も外交官など要職につきましたが、34歳で亡くなりました。
 この小松帯刀像は、慶応3年(1867年)に、15代将軍慶喜が、二条城に諸大名を集めて、政治の権力を朝廷に返還(大政奉還)すべきがどうかを問うたとき、薩摩藩の城代家老であった小松帯刀が「大政を奉還すべき」として他藩にさきがけて記帳したときの様子をイメージして造られたもので、三公像(島津斉彬、島津久光、島津忠義)の建つ、照国神社を向いて建立されています。


そして、鹿児島と言えば錦江湾。

日本百景にも選定されている美しい景色です。

ここから望む桜島は雄大で壮観です。