深い理解がないと、

すぐ好きや嫌いだという。


批判してから自分の無知さを痛感し、

反省する。

そこから真の理解というチャンスが生まれる。


私は所詮ただの人なので、

全知全能ではないから、

いろいろ疑う。


疑いながら思考して模索する。

理解するために、

愛するために、

だから簡単に愛してるとかいうのはやっぱり無責任だ。


愛するとこじつけて、

疑わないというのは思考の放棄だ。

一番無関心、冷たいことだと思う。




いいお風呂ですなぁ。

本当に感心しましたよ。

やっぱりお風呂は気持ちいいですよね。

勝手に入ってすみません。

そしてありがとうございます。


地味な翻訳作業を続けると、


自分元々持っている言葉を忘れてしまう。


話すとき、物を書くとき、


「あれ、私もともとこんな話し方するんだっけ」と一瞬思い返す。


あんまり覚えてない。


自分はどういう話し方をしていたか。


人間は意外と自分のくせを気付かないものだから、


人を観察するばっかりで、


他者との距離を測って、


どこまで深く付き合えるかを期待したりする。


でも、本当の自分というものは結局把握できなくなる。


自分との会話は、


書く行為によって深化できると思う。


怠ってはいけない。


読者の目を気にして合わせすぎるのも却って見失ってしまう。


今は書き続けると決意する。