ビービービーのブログ -9ページ目

ビービービーのブログ

気になるニュース

大阪の太子町から約1時間、奈良市にある平城宮跡に到着しました。

ここから若草山の山焼きを見ることにしました。

本当なら、若草山に登って、鹿せんべい飛ばし大会にも出ようかと思いましたが、いろんなかたのブログなどでど混雑するとの情報もあり、やめておきました。
どうも人ごみは苦手なもので。(得意な人ってあんまりいないですよね)


ビービービーのブログ
平城宮跡は、このような広大な敷地が残されていて、発掘調査の建物や復元の建造物・基壇跡などを除いて、基本的にはなんにもない野原が広がっているという感じです。
この日も家族連れが凧揚げなどで遊んでいました。写真には、朱雀門(復元)が遠くに映っています。


ビービービーのブログ
若草山はこのように見えていますよ。ズームで寄ってはいますが、結構近くに感じますね。


ビービービーのブログ
見やすいように明るさを調整していますが、こちらが大極殿(復元)です。2010年の平城遷都1300年祭にあわせて、この大極殿が完成しました。
昨年度はたくさんの人が訪れていましたが、今年はお祭りも終了したので、まあかなり落ち着いていしまいましたね。
現在も中に入場することができます。無料です。ただし夕方5時までですね。



ビービービーのブログ

ビービービーのブログ
基壇の上のいい場所では、このように山焼きを今かと待ち構えたカメラマンたちが、たくさん撮影に来ていました。
僕は、諸事情あって三脚が持ってこれなかったので、少し離れた場所の基壇の上にカメラを置いて、リモコンスイッチで撮影することにしました。


ビービービーのブログ
この場所で1時間ほど待っていましたが、もう寒くて寒くて、肩に力が入ってしまいました。おかげでこの日はかなり疲れてしまいました。
まあじっとしていてもしょうがないので、ウロウロしながら夕焼けを撮影したりしていました。


ビービービーのブログ

ビービービーのブログ

ビービービーのブログ
予定より遅れること18時15分、まずは冬の花火大会です。これから燃やす若草山の野芝の斜面上に、花火が上がります。
花火の撮影には、とりあえず花火モードでカメラおまかせで取りましたが、ことごとく失敗しました。
次回からはやはりマニュアルで撮ったほうがいいみたいですね。


ビービービーのブログ
18時30分ごろ、花火も終わりいよいよ山に火が放たれました。燃え始めはこんな感じです。
ここからはカメラはマニュアルモードに切り替えています。シャッター速度30秒で、絞り値F4.0に設定しています。
まあこれでいいのかどうかよくわかりませんでした。なにせ初のマニュアル操作なので。


ビービービーのブログ




ビービービーのブログ
火はあっという間に広がって来ました。煙もかなり出てきて、こころなしか草が燃えるような匂いがしてきます。
なんだか見たことないような景色です。


ビービービーのブログ
炎はあっという間に、野芝全体に広がってしまいました。
若草山山麓にある東大寺は、江戸時代この野焼きを巡ってかなりもめたそうです。
なにせかなり寺域のそばまで、炎が迫ったことがあったそうですから。
今ではかなり安全な範囲でしか実施していないそうですが、まあ貴重な文化財ですから気を付けないといけませんね。

ということで、夜7時過ぎに山焼きは終わりました。すごい迫力です。
ちなみに、新聞などで若草山の野焼きと花火の写真が出ていましたが、それらは1時間ほどの多重露光で撮影されていますので、花火と野焼きは同時には実施されていませんからご注意を。





さて、今回大阪府太子町を訪れたのですが、前々から疑問に思っていた「2つの飛鳥」が存在する理由が知りたくて、近つ飛鳥博物館やその周辺を見に行きました。
2つの飛鳥がどのように関連しあっているのか、現地を見ればわかるような気がしました。
というのも、明日香村では近つ飛鳥に関する情報は、全くといっていいほど入ってきません。
近つ飛鳥のほうがかなりマイナーなイメージですね。ご存じない人も多かったのでは無いでしょうか。

ただし結果からいいますと、残念ながら結論らしきものには至りませんでした。疑問が更に掘り下げられただけという感じです。

とりあえず、近つ飛鳥から明日香村へのルートを、地形図と重ねて見てみましょう。

ビービービーのブログ
明日香村は奈良盆地の南西に位置していますが、その西側には二上山や葛城山などがある金剛山地が南北に走っています。太子町はその更に西側に位置していますので、峠道を越えて行き来することになります。
大阪には聖徳太子が建立した四天王寺があり、飛鳥や斑鳩から四天王寺へ向かうために、太子町の近くにある竹内峠を越えたと言われています。
距離はおよそ20km。徒歩での移動だと丸一日かかる距離です。標高差も峠が300m程度なので、それほどでもありません。

近つ飛鳥博物館の最初の展示室には、飛鳥の地名にかかるお話として、古事記の一文が引用されていました。
おおまかに言うと以下のとおりです。

「 伊邪本和気命(履中天皇)は難波宮での大嘗祭に際して、酒を飲んで酔っ払って寝てしまった。
そこへ実の弟である住吉仲皇子が図って宮に火をつけ、伊邪本和気命を殺そうとした。
すんでの所で、阿知直(東漢氏の始祖)が伊邪本和気命を救い出し、多遅比野(羽曳野市)へと逃れた。
 伊邪本和気命一行はそのまま石上神宮にたどり着いた。そこへもう一人の弟である水歯別命(反正天皇)が訪れたが、伊邪本和気命は水歯別命に対して、もし住吉仲皇子と同じ心を持っていないのなら、住吉仲皇子を殺すよう告げた。
 水歯別命は住吉仲皇子に使えている隼人の曾婆加里を騙し、大臣に召し上げることを条件に住吉仲皇子を殺すよう命令した。曾婆加里は厠で住吉仲皇子を殺害した。
 水歯別命は自らの主君を殺害した曾婆加里を恐れ、曾婆加里にお酒を飲ませたうえ、今度は水歯別命が曾婆加里を殺害した。
そして、明日になってから伊邪本和気命が待つ宮へと向かうことにした。その地を近つ飛鳥と名付けた。
その宮へと向かう途中、禊を行った。そのため禊を終えてから明日になって宮へと向かうことにした。その地を遠つ飛鳥と名付けた。(現在の明日香村)」

という感じですね。
近いと遠いは、難波宮から見てのことだそうです。
(2月2日追記:難波宮から見て近いのが太子町・羽曳野市飛鳥で「近つ飛鳥」、難波宮からみて遠いのが、明日香村の遠つ飛鳥です)

古事記の説によれば、アスカのアスは、明日ということになります。万葉集での原文表記でも、明日香と書かれていますので、やはり明日香には明日という意味が含まれているのでしょうか。

ビービービーのブログ
石上神宮。明日香とは、ここで待つ履中天皇に会いに行く水歯別命の、ためらいの明日という意味だったのでしょうか。


明日香に2年ほどおりますが、この古事記の説を引用した案内などは見たことがありません。
あくまでも近つ飛鳥側からの視点なのかもしれませんが、ちょっと面白いですね。

近つ飛鳥周辺には聖徳太子の御陵をふくめ、推古天皇や用明天皇の御陵などもあり、いずれも蘇我氏との関連がある人物です。
もともとこの地域は蘇我氏の本拠地とも言われているので、明日香村でなくて近つ飛鳥に葬られたということでしょうか。

やはり飛鳥とは、蘇我氏の都という意味もあるような気がします。

そうなると、なぜ飛ぶ鳥なんでしょうね。

当時の蘇我氏が、飛ぶ鳥を落とす勢いだったから?

飛ぶ鳥を落とす勢いという表現自体が、いつの頃からなのかわからないので、違いますよね。うーん。



聖徳太子が葬られていると言われる、叡福寺に行けば何かわかるかなと思い、早速そちらへ向かいました。


ビービービーのブログ
叡福寺のちかくには、「太子・和みの広場」という公園が整備されていました。近所の子供達がボール遊びをするような、とても小さな公園です。


ビービービーのブログ
公園内には、叡福寺に伝わる聖徳太子絵伝がプリントされた石碑が配置していました。全部で7つありますね。


ビービービーのブログ
境内はかなり広い敷地に、大小のお堂が配置されています。写真はご存知弘法大師の大師堂です。
空海は聖徳太子ゆかりのお寺ということで、こちらにも来ていたそうです。
太子と大師。飛鳥時代と平安時代の仏教の先駆者同士。なにか通じるものがあるのでしょうか。


ビービービーのブログ
こちらの門の反対側に、聖徳太子が眠る太子廟といわれる円墳があります。
皇室にかかる古墳の前には、普通鳥居などがあるのですが、こちらは仏式ということなのか、鳥居はありませんでした。


ビービービーのブログ
太子廟近くからみた境内全体です。大阪府ですが、奈良との境にあるいうこともあってか、奈良のお寺の雰囲気に近いものが感じられました。


ビービービーのブログ
叡福寺で最も大きなお堂、金堂です。うんうん、なんだか奈良っぽい。



ビービービーのブログ
豊臣秀頼寄進によるといわれる、 聖霊殿です。国の重文に指定されています。



ビービービーのブログ
こちらも国の重文に指定されている、多宝塔です。屋根になにやら線が垂れてきていますが、これは避雷針のようですね。



ビービービーのブログ


ビービービーのブログ
ああ、やはりそのようです。ちゃんと地下に埋設されているみたいですね。
まあ、法輪寺の三重塔のようなこともありますから、避雷針は重要ですね。もっとも怖いのは雷だけではありませんけど。

叡福寺を廻ってみても、聖徳太子がここで何かをしたという謂れはない様に思えました。
やはり蘇我氏との血縁の関係で、ここに葬られたということでしょうか。飛鳥と四天王寺を行き来する通り道に、自分の血筋に関係する土地であったことを意識したかどうか、想像するほかありませんが。

それにしても、飛鳥に関することが少しわからなくなってきました。機会があれば、もう少し近つ飛鳥を訪れてみて、いろいろ感じてみたり調べてみたりしたいと思います。


 
飛鳥といえば、奈良県明日香村周辺を指す地名ですが、もう一箇所飛鳥と呼ばれる場所があるのをご存知でしょうか。
通称「近つ飛鳥」と呼ばれている、大阪府羽曳野市飛鳥と大阪府南河内郡太子町付近が、そのもう一つの飛鳥です。

この周辺は、敏達天皇・推古天皇・聖徳太子など、まさに飛鳥時代の天皇や皇族の陵墓がたくさんあります。
それらの発掘物などを中心に収集し収蔵しているのが、大阪府立近つ飛鳥博物館です。
(追記:皇族の陵墓に比定されている古墳は、発掘対象外ですので、それ以外の古墳などの発掘物が対象です。説明不足ですいません)


ビービービーのブログ
駐車場から博物館の建物を見たところです。
右から左に傾斜が付けられていますが、この建物の斜面に階段があり、その階段を登って屋上から建物内部に降りていく構造になっています。
このユニークな建物を設計したのは、著名な建築家である安藤忠雄さんです。安藤忠雄さんの建物といえば、コンクリート打ちっ放しというイメージがありますが、この建物もまさにそうですね。


ビービービーのブログ
これがその階段入口。ここはまだ細長い構造ですね。


ビービービーのブログ
細い階段を折り返したさきには、このような広々とした石段があります。この下に博物館内部が存在しているわけです。
こういうコンクリートや石段を見ていると、自分はなぜか懐かしいような感覚が広がってきます。


ビービービーのブログ
こちらがエレベーターの入り口です。ここは屋上なので、1階までエレベーターで降りて博物館に入ります。


ビービービーのブログ
受付で確認したところ、館内は一部を覗いて撮影可能とのことでした。(石棺などの文化財は、それとわかるような撮影は不可です。入り口の受付で、詳しい図面と説明がありました)
展示内容は、主に飛鳥時代の古墳から出土した発掘物が中心です。かなり充実した内容と説明で、たっぷり見ることができました。


ビービービーのブログ
写真ではわかりにくいかもしれませんが、この広い吹き抜けの展示室は、形が前方後円墳になっています。その周りを取り囲むように、埴輪などが展示しています。実際の古墳も、周囲に円筒埴輪などを配置していますので、そのへんを取り入れた設計なのかなと思いました。


ビービービーのブログ
前方後円墳型の展示室の中央には、仁徳天皇陵と言われている大仙陵古墳の模型があります。周囲には百舌鳥古墳群の配列を再現しています。
あ、こんな所にも円墳がとか、一人盛り上がって見ていました。


ビービービーのブログ
同じ太子町にある、鹿谷寺跡の石塔の複製が、建物の中央に作られていました。モダンな建物の吹き抜けに、石塔が妙に合っているような気がします。


ビービービーのブログ
ちなみに、階段しか無い屋上の入口とは別に、バリアフリー対策として別のところに入り口が設けていました。
こちらからだと、直接一階の受付にアクセスできるみたいです。


ビービービーのブログ
こちらがその専用の入口ですね。
車椅子などの方はこちらから入場できますが、あのドデカイ階段を見ることができないのは、ちょっと残念な気もしましたが、



ビービービーのブログ
さらに奥の通路を通り抜けた先には、



ビービービーのブログ
例の階段の下へと出てきました。
車椅子でも、こちらの方から階段部分を眺めることができるんですね。
なるほど、これは参りました。

もう一つの飛鳥については、博物館で見てきたことなどを踏まえて、別記事で感想等を書いてみたいと思います。
では。