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気になるニュース

少し前のことになりますが、お休みにかなりあちこちに徘徊しておりました。
少しずつではありますが、ブログも間が空きすぎたこともありますし、記事にしてみようかと思います。

まずは姫路とその周辺に出かけた時の様子から。行った順どおりではありませんが。
姫路といえば、プニちゃん の本拠地でしたっけ。大阪府太子町に行った時にも、次は姫路のとなり?の兵庫県太子町だと思っていました。

兵庫県太子町は、その名の通り聖徳太子こと厩戸皇子に由来した名前を持つ町ですね。推古天皇から頂いたという土地に、自らの住まいと伽藍を造ったそうです。当時は奈良の斑鳩宮に住んでいたので、さらにそこから播磨の国へと移住したということなんですね。

位置関係を見てみると。


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ちょっと文字が重なって見辛いですね。すいません。
明日香村と斑鳩町でも離れているように感じましたが、兵庫県太子町は比較にならないくらい遠いですね。
なぜ推古天皇は、明日香から遠く離れた播磨の国の土地を、聖徳太子に賜ったのでしょうか。
それとも広く仏教の布教を行いたい、聖徳太子のたっての希望だったのでしょうか。住まいまで斑鳩町から移ってきたらしいですので。

ということで、車で2時間半くらいで、兵庫の太子町に到着しました。


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こちらが、その太子町にある斑鳩寺です。奈良の斑鳩にある法隆寺の別名も、斑鳩寺だったと聞いたような気がします。ちょっとごっちゃになりそうな名前ですね。
ややこしいことに、兵庫の太子町の一部も、かつては斑鳩町と呼ばれていたそうです。
両脇には金剛力士像が見えていますが、なにやら普通と違う雰囲気が漂っています。


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金剛力士像は、ちょっとユーモラスな造形に見えます。一応筋肉質で勇ましい表情こそしていますが。
大きなわらの草履などが、奉納されたように掛けられています。


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斑鳩寺の象徴、三重塔です。朱のいろが塗り直されているようですが、作られたのは戦国時代ごろのようで、かなり古い建物です。ざっと見渡すかぎり、拝観料などはなくても見られるみたいですね。

ということで、明日に続きます。
住吉大社の続きです。

住吉大社には4つの本殿がありますが、そのうちの三つは住吉三神で、後一つが神功皇后の社です。
神功皇后はこの地に住吉神をまつった本人ですが、いまではその住吉大神の一人となっているわけです。



こちらは第一本宮で底筒男命(そこつつのをのみこと)を祭っています。
正面の部分の柱が、左右3本ずつ計6本あります。


こちらは第二本宮で中筒男命(なかつつのをのみこと)を祭っています。
正面の部分の柱が、左右2本ずつ計4本で、第一本宮よりも小さいお社であることがわかると思います。


上がこちらは第三本宮で表筒男命(うはつつのをのみこと)を祭っています。
その下が第四本宮で神功皇后を祭っています。この両本宮は左右に並んで建っています。どちらも正面の部分の柱が左右2本ずつ計4本あります。
つまり、第一本宮だけが大きく、ほかはほぼ同じ大きさの社になっています。

これはいったいなぜなんでしょう。住吉三神の中でも底筒男命が特別な神様だったのでしょうか。あるいは、神社の入り口から一番遠いので、申し訳ないということで一番大きくしたのでしょうか。

いろいろと推測していることはありますが、それは後々に置いておきたいと思います。


さて、住吉大社にはたくさんの境内摂社などがありますが、そのうちの最も大きいものが写真の大海神社(おおわたつみ)です。本宮に次ぐ大きさの社をもち、また住吉大社の代々の宮司家である津守氏の氏神といわれています。

津守氏の氏神が、わたつみ。。。
元々住吉神と綿津見神は同じときと場所で生まれていて、同じ海の神様として知られています。
やはり、住吉神と綿津見神は、同一の神様であったと思えてなりません。
つまり、住吉大社も神功皇后が創建したと言われる時代には、綿津見神社ではなかったのかなと、その後この地の地名を持って住吉神と名前が変わったのではないかなと想像しています。

奈良の春日大社が、鹿島神宮のタケミカヅチを勧請して創建されたときに、鹿島の名を残さず春日の名前を冠したのと、少し事情が似ているんじゃないかと思っています。
この春日という名前も謎めいていますが。

これらの事情は、神功皇后を追う上で、とても重要なファクターになりそうな気がしています。

ということで、本来なら昨日この記事を更新するつもりでしたが、更新の途中で寝落ちしてしまい、一日遅れてしまいました。失礼しました。


えー、少々間が空き気味のブログでしたが、よく考えれば過去の素材も含めていくつかネタがありそうでした。特にここのところプライベートの時間を割いて調べている、神功皇后についてもいくつか関連する場所で、昔の写真が残っていました。
そこで僕なりの考えも披露しつつ、新しい記事を追加しておきたいと思います。

ブログテーマも(神功皇后)と(聖徳太子)を追加してみました。後で自分で見返したときに便利なようにというつもりですが、テーマを追加するほど記事が書けるのかどうかという不安もあります。


さて、住吉神社の総本社は大阪の住吉大社ですが、全国に伝わる住吉神社の由緒などでは、下関や博多および壱岐の住吉神社の方が古いと言われています。
それは、神功皇后が住吉伸をまつる順番が、大阪は帰還時であった(つまり戻ってくる順番が一番最後になるのが大阪であった)ためと言われています。

ただし、住吉という名前は大阪湾の住之江(すみのえ)が元になっていると思われ、また住吉と書いてすみのえと読ませていたことから、住吉大社を本社として住吉の名前が全国に伝わったと思われます。
つまり、古い住吉神社のいくつかは、違う名前の神社であったことも考えられると、個人的には思っています。



 地理的な位置関係は別記事にしますのですっ飛ばしまして、こちらが住吉大社です。路面電車の軌道が見える、下町っぽい風情の町中にあるんですね。


境内に向かう太鼓橋は、かなり急角度ですが、両脇に普通の橋がありますので、上りにくければそちらから行くこともできます。


住吉大社は回廊の内側に本殿があり、その外側にも大きな摂社や末社が数多くあります。写真は回廊の内側から門の外をのぞいたところ。


さて、こちらが住吉大社の本殿です。
住吉大社がほかの住吉神社と違う大きな特徴として、独立した本殿が4棟もあることです
同じ三大住吉の下関の住吉神社では、五つの本殿が連なって一つになっていますし、博多の住吉神社は5つの神様が一つの社殿に入っています。


ちょっと見えにくいのですが、住吉大社本殿をグーグルマップ上でみたところです。
左側だけ2棟たっていて、真ん中と右側は一棟ずつ並んでいるのがわかりますでしょうか。
この配列にもなにか意味があるらしいのですが。

すいません、かなり中途半端ですが、続きは明日にいたします。少々疲れておりまして。