住吉大社には4つの本殿がありますが、そのうちの三つは住吉三神で、後一つが神功皇后の社です。
神功皇后はこの地に住吉神をまつった本人ですが、いまではその住吉大神の一人となっているわけです。

こちらは第一本宮で底筒男命(そこつつのをのみこと)を祭っています。
正面の部分の柱が、左右3本ずつ計6本あります。

こちらは第二本宮で中筒男命(なかつつのをのみこと)を祭っています。
正面の部分の柱が、左右2本ずつ計4本で、第一本宮よりも小さいお社であることがわかると思います。


上がこちらは第三本宮で表筒男命(うはつつのをのみこと)を祭っています。
その下が第四本宮で神功皇后を祭っています。この両本宮は左右に並んで建っています。どちらも正面の部分の柱が左右2本ずつ計4本あります。
つまり、第一本宮だけが大きく、ほかはほぼ同じ大きさの社になっています。
これはいったいなぜなんでしょう。住吉三神の中でも底筒男命が特別な神様だったのでしょうか。あるいは、神社の入り口から一番遠いので、申し訳ないということで一番大きくしたのでしょうか。
いろいろと推測していることはありますが、それは後々に置いておきたいと思います。

さて、住吉大社にはたくさんの境内摂社などがありますが、そのうちの最も大きいものが写真の大海神社(おおわたつみ)です。本宮に次ぐ大きさの社をもち、また住吉大社の代々の宮司家である津守氏の氏神といわれています。
津守氏の氏神が、わたつみ。。。
元々住吉神と綿津見神は同じときと場所で生まれていて、同じ海の神様として知られています。
やはり、住吉神と綿津見神は、同一の神様であったと思えてなりません。
つまり、住吉大社も神功皇后が創建したと言われる時代には、綿津見神社ではなかったのかなと、その後この地の地名を持って住吉神と名前が変わったのではないかなと想像しています。
奈良の春日大社が、鹿島神宮のタケミカヅチを勧請して創建されたときに、鹿島の名を残さず春日の名前を冠したのと、少し事情が似ているんじゃないかと思っています。
この春日という名前も謎めいていますが。
これらの事情は、神功皇后を追う上で、とても重要なファクターになりそうな気がしています。
ということで、本来なら昨日この記事を更新するつもりでしたが、更新の途中で寝落ちしてしまい、一日遅れてしまいました。失礼しました。