壇上の壇は、教壇の壇ですよね。弘法大師の理想の修業の場みたいなところでしょうか。
金堂です。壇上伽藍の堂や塔の多くは、江戸末期の大火によって焼失した物が多く、現存する建物は近年再建されたものが多いようです。この金堂も戦前の昭和7年再建で、鉄筋コンクリートで出来ています。
高野山の象徴、根本大塔です。見ての通り多宝塔の様式ですが、高さ48mという大きな塔です。近世以前の仏塔で日本で2番目に高い興福寺の五重塔が約50mなので、その高さが伺い知れると思います。
ちなみにこちらも、昭和の戦前の再建で鉄筋コンクリート造り。
昭和初期の鉄筋コンクリート建築の多くは、立て替えなどでなくなっている物が多いと思います。こういう宗教施設は長らく保存される物が多いので、古い鉄筋コンクリート建築としては貴重になりつつあるのかもしれません。
次世代の文化財になりうるのかもしれませんね。
この根本大塔は、空海がこだわった塔だったらしく、この壇上伽藍の思想の中心部分だそうです。建立当時からこの大きさだったんでしょうか。
伽藍の周囲には、このような樹林に囲まれています。もう一つの聖地「奥の院」とともに、高野山の独特の雰囲気を作り出しています。
江戸末期の再建である、御影堂(みえどう)です。弘法大師の御影像が奉安されていることから、この名前がついたそうです。
ガイドによると、高野山の最重要の聖域だそうで、過去には限られた人だけ入ることを許される場所だったそうですが、現在は年に一晩だけ一般参拝を許しているそうです。
上が准胝堂で下が孔雀堂。准胝堂が明治時代の再建らしいのですが、孔雀堂は昭和57年の再建だそうです。実際見てみましたが、古びた感じはどちらもそう変わりがなく思えました。
ちなみに孔雀堂の中には、快慶作と伝えられる孔雀明王像が安置されているそうです。
壇上には三つの多宝塔が建立されているのですが、この西塔は江戸時代末期に作られた物で、もっとも古い塔ということになります。高野山にある仏塔は、どうやら多宝塔が基本みたいですね。
他の場所でも、仏塔は多宝塔しか見つけられませんでした。
こちらは山王院です。地元にいた山の神様を祭る場所だそうです。
空海が高野山を開山する際には、この地由来の神様に許しを得る手続きがあったみたいです。
そのような伝承を知るのも、とても興味深く感じます。
壇上伽藍の建造物として、唯一国宝に指定されている「不動堂」です。正面から見た時の屋根の形は、なんだか素敵です。高野山にはもう一つ、国宝の建築物がありますが、それはのちほど。
今から700年ほど前に立てられており、高野山では最古の建造物ということになります。桧皮ぶきなんでしょうか、薄く緑色になっているところが、年代を感じさせたりします。
ちなみに、中に安置されていた八大童子立像は運慶一門の作とされていて、こちらも国宝に指定されています。現在は霊宝館に収納されているそうです。
さらに伽藍の東側へと歩いて行きます。
愛染堂は、この堂の本尊である愛染明王像を安置していることから名付けられています。
これらの仏像は、基本非公開のようですね。孔雀堂もそうでした。
時期によっては、特別公開など開帳されることもあるみたいです。普段は堂の前で参拝しましょう。
大会堂(だいえどう)は鳥羽法王を追悼するために建立されたようですが、その後学堂→集会所と役割が変わって、大会堂となったようです。
お坊さんの会議室的な感じでしょうか。いまはそういう使われ方はしていないんでしょうけど。
東塔です。これで壇上伽藍の仏塔が三つとも出てきましたが、いずれも多宝塔でした。
西塔と東塔は、他のお寺で見られるような規模の仏塔でしたので、根本大塔の大きさが際立つ感じでした。
東塔の下あたりが駐車場になっていて、いまこの辺りのカエデが一番見頃ですね。バスガイドさんも写真を映していました。
壇上伽藍から金剛峰寺の主殿へ向かう道は、「蛇腹の道」と名付けられていました。どうでしょう、蛇腹っぽいかなあ。
今は紅葉の時季ですが、新緑や深緑の時期もキレイでしょうね。
ということで、次の金剛峰寺主殿付近でラストです。
























