法隆寺の寺域に近づくにつれ、このような土がべの通りになってきます。ぐっと雰囲気が変わりますね。
東院伽藍へ向かう途中のお寺の屋根に、こんどは何やら桃の実のような鬼瓦?がありました。
さて、僕は桃の実と見ましたが、果たして何に見えますか?
東院伽藍への門には、かなり人が並んで待っているみたいなので、先に中宮寺へと寄ってからにすることにしました。
中宮寺に向かう途中にある、国宝の鐘楼です。大きくて立派な鐘楼ですが、すべて壁で覆われているので、鐘の姿が外からは見られません。この写真の反対側に、鐘楼の中に入る入口があります。
中宮寺の入り口です。東院伽藍に隣接する場所にありますが、もともとはもっと東の方向にあったものが、後に移設されたらしいです。
此処から先に入るのに、また別に拝観料が必要ですのでご注意を。
中宮寺の庭園です。法隆寺全体には、松の木が好んで植えられているようですね。
中宮寺は、用明天皇の皇后で聖徳太子の母でもある穴穂部間人皇后が発願して作られた寺と言われています。別の説では、間人皇后の宮跡に聖徳太子が寺を作ったとも言われています。何れにしても7世紀まで遡る、法隆寺と同時代の古い寺です。
中宮寺には、かの有名な天寿国繍帳(現在は奈良国立博物館寄託)や木造菩薩半跏像などの寺宝で有名です。天寿国繍帳はレプリカですが、木造菩薩半跏像については実物を見ることができます。
ここが中宮寺の本堂です。寺宝の保護のため、このような新しいコンクリート作りになっています。
さて、木造菩薩半跏像ですが、今回で見るのが2度目です。黒く輝く仏像はクスノキ材を使用しているため、おそらくは国内で作られたものでは無いかと思います。
半跏像といえば、京都にある広隆寺の弥勒菩薩半跏像を思い出します。組んだ膝に肘をあてて、その手に顎を載せた有名なポーズですが、広隆寺の場合は大陸伝来か国内の生産なのかで論争があるみたいです。
広隆寺の仏像似つかわれていた材料のうち、一部がクスノキ材であったことから、国内で作られている可能性が高くなったというニュースも聞いたことがあります。
どちらの半跏像も、切ない美しさをたたえた素晴らしい仏像でした。
斑鳩の最後は、夢殿へと向かいました。