発達障がいの元手相鑑定士BBAかおるちゃん。です。
2日前くらいから、ちょっと引きずってることがありました。
それは、何かというと…
前者後者問題ぃぃぃぃぃ!!!!
前者後者は心屋仁之助さんが提唱しているもので、「人には生まれつき、大きく分けて2つの認識パターンを持っている人間がいる」っていうようなものです。
→詳細はコチラ
最初に言っておきますが、この論が正しいか正しくないかは問題ではなく、自分の人生を楽にするのに利用するかしないか、それだけの問題です。(論点ずらすなよw)
私は、この理論に救われた部分が大きいので、自分の人生を考えるときに採用しています。
この理論で言うと、私は前者です。
(マルチタイプ、割となんでもサラっとできる、でもぶっ飛べないw)
前者が「相手のことをわかる」って言うときは、その人のバックグラウンドやらそこで作られた思考回路や人間関係やら、現在の状況すべてをひっくるめて知ること、を示しています。
よって、前者が「わかってほしい」と言うときは、「私のバックグラウンドや思考回路、人間関係をすべて把握してください」っていうことになるんですね。
なぜなら、前者は自分を規定(定義)する場合も、このような関係性の中で定義するからです。
つまり、前者は自分のことを「単体では存在しておらず、他者との関係性の中で形づくられているものだ」と考えているんですね。(無意識です)
図にするとこんな感じらしいです。
でも、前者が求めてる「わかる」っていうのは、後者には無理らしいんですよ。どうやら。
なぜなら、後者は基本的に「自分のことを中心に物を考える人々」だからです。
(いいとか悪いとかの二次言論にもっていかないように)
よって、相手を見るときも「自分からみた相手」のことしかわかりません。
相手がどのような関係性を持っていて、どういう思考回路かっていうのは、後者の人には見えません。
ちなみにこの2つの図は、むかえさんという方(言語化できる後者)のブログから無断拝借しました。
→詳しく知りたい方はコチラを
前者から見ると後者は、すげぇ自己中に見えるんですね。
自己中とは、自分のことしか考えてないように見える、という意味です。
(いいとか悪いとかは言ってない。そんなのどっちでもないし、どっちでもある)
ここまでが、前者後者論のキモです。
なんとなくおわかりになりましたでしょうか?
で、私の場合、母がド後者なんですよw
そりゃまぁヒドイ後者でしてw
(本人は、後者なのが嫌で前者ぶってますがw後者です)
よってですね、私は長い間(今も)「自分のことは理解してもらえない」っていう思いを抱えていたんです。
わかってもらえないんですよ、ほんとに。
私が観えてる世界が、母には見えないので、仕方ないですが。
小さい頃はそんなことはわからないので、わかってもらえないことがもう悲しくて悲しくて仕方なかったです。
よく拗ねてました。
「わかってもらえない現象」が起こると、布団に引きこもって、1人で泣いてました。(今も)
で、なんで悲しかったかって言うと、「前者の愛=相手のことをわかること」だからなんですよ。
つまり、「わかってもらえてない」は「愛されてない」になるんですね。
そりゃそうですよね。
自分の愛の形がそれなんですから。
人は、自分の思考で相手のことも理解しようとしますから。
私に愛された人たちはわかると思うんですけど、私は相手のことをクッソ把握しています。
把握しようと思って把握したものだけじゃなくて、自然にそれこそ無意識に相手のことを把握してしまうのです。
で、それが愛だと思ってました。
相手を理解するのが、愛だと。
だから、後者は「何にもわかってない」と思っていました。
でも、それは間違ってたなぁと思ったのです。
いや、前から知識としてはわかっていたんですが、今回腑に落ちたのです。
(間違いを素直に認められるのは、前者の特徴でもあります)
腑に落ちたっていうか、諦めたっていうか。
1回、絶望しました。
「あぁ、私の望みは叶わないんだ」と。
「私の望みを叶えようとすると、相手の可能性をつぶすんだ」と。
何かを諦めるときって、極限まで求めて、突き抜けて諦めることが必要なんですよ。
で、わかりました。
体感に落ちました。
理解することだけが愛なわけじゃない。
理解できなくても、愛しいという感覚はある。
猫の行動や思考は理解できないけど、なぜか愛しい。
私には子どもがいないから、推測でしかないけど、子どもの行動は理解できなくても、そこに愛はある。
そうか、私は愛されていたんだな、と思いました。
(陰陽和合的なことが起こったっぽい。)
よくわからんが、そこに愛はあったんだな、と思いましたw
後者の人は愛が深いと思う。
器がでかい。
すぐ忘れるからかもしれないけど。
見えてないかもしれないけど。
この話で重要なのは、「どっちが優れてるとか劣ってるとかそういう話じゃなくて、それぞれの視点でそれぞれが存在できて、認めあえてることだけが大事」ということです。
そのために、心屋さんは前者後者論を作ったんじゃないか、と思うんですね。
(彼の奥様はド後者です。心屋さんは前者)
前者の人は、理解不可能なものを許容するのが苦手だと思うんですね、個人的に。
だから、私のこんな気持ちは私だけじゃなくて、みんな持ってるんじゃないか、って思ったんですよ。
自分は世界から愛されているんだ、っていうことを知るのが、私はこの世で一番大切なことだと思ってます。その確信さえあれば、人はなんだってできると思います。
すべての人が、自分の可能性を発揮できる世界があるといいなぁと思います。
もちろん、自分も含めて。
※ってか、驚くべきことが2個起こった。(メモ)
・わかんないっていう人に懇切丁寧に説明することが嫌じゃなくなった(今まではマジで無理だった。自分で考えろこのアホがと思ってた)
・後者の人に「あーーーそりゃ大変だったねーつらいねーわかるわーーー」って言ってあげられる気がした(今まではマジでイミフだったので、言ってあげられなかった)
理解するってすげぇ。
Remember Me!


