発達障がいの元手相鑑定士BBAかおるちゃん。です。
ちょっと聞いてくださいよ~~~~!
昨日、母とひっさびさに話しました。
お盆に帰ったとき以来なんで、半月ぶりくらいですかね。
なんかね~~~~…めっちゃこじれてましたw
こじれすぎてて、ずっと苦笑してました、私。
あれが不安これが不安、あれが不満これが不満…お父さんがあれしてくれない、これしてくれない…エンドレスリピートですw
昔(ハマったら今でも)の私は、この思考で生きてたんだなぁと思うと、マジで母は辛いだろうなぁと思います。
最初は、「こうしたら、ああしたら?」って言ってみたんですけど、全部のご提案に「でも、けど」って言ってくるので、ダメだ、と思って、「そうだね、わかるよ、つらいよね」って適当に言ってみたら、号泣しておりました…。
うちの母、徐々に身体が動かなくなる進行性の病気でして。
え~と…なんだっけ…パーキンソン病っすね。
(カタカナで覚えられないw)
母は、もともと不安な人なんですけど、その不安な気持ちを動くことでずっとごまかしてきたんですね。
でも、いよいよ身体が動かなくなって、その不安が表面化してきたっていう感じなんですね。
(冷静な観察w)
「でも、ほんとに最近全然動けなくなってきて」って言う母に向かって、最後に私はこう言いました。
「それはあんたが死にたいって思ってるからでしょ」
母は泣きながら、「そうかもねぇ」と言っていました。
ヒドイと思いますか?
私は、思いません。
それくらい辛いんだってことを自覚するためには、はっきり言わないと気づかないからです。(さんざん優しい言葉かけましたからね)
周りのせいにし続けても、辛さは増すだけなので。
一時的に辛さが緩和されても、また何かのきっかけでぶり返しますから。
なんでそんなことがわかるんだ?って?
そりゃ、私がずっと死にたかった人だからですよw
(あ、笑い話です、今では。だから、笑いながら軽く読んでくださいw)
母の思考回路で生きてきて、私はマジで死にたくてしょうがなかったんです、ずっと。
死にたいっていうより、消えたい、ですけどね。
もうね、あのあったかい世界(どこw?)に戻りたいってずっと思ってました。
未来に希望なんてかけらもなく、「こんなにつらいまま生きるなんて、超つらみ~」って思ってたので、未来の想像とかは、したことなかったです。
何歳で結婚して~とか語ってる人は、自分とは別世界の人だと思ってました。
夢とか持てるわけないっすよw
あ、一応言っておきますけど、うちの家庭は中の上の家庭です。
お金に苦労したこともありませんし、普通に母は団体職員を40年以上やったバリキャリですし、父も会社員でバリバリの営業でした。
愛情も深い家庭だと思います。
ネグレクトとかされたわけでもないですし。
だから、私が死にたいって思ったのは、母や父の問題ではなく、私の問題なんですよw
そこんとこは強く主張したいと思います。
母や父が悪いわけでもないですし、いい家庭で育ったなぁとは思います。
あと、環境と本人が抱く気持ちには関連性がないんだな、ということも付け加えておきたいと思います。
ほんでね!ほんでね!
私、潜在的にずっと死にたかったから、5歳くらいから「悟りたい!」って思ってたんだよねw
悟ったら死ねると思い込んでた節がある。
なんでか知らんが。
ばあちゃんっ子なので、5歳のときには般若心経が読めたんだよね。
そのころには、尼さんになりたいとか言ってたらしいしw
(尼さんって何かわかってんのか?って感じだけどw)
ってことで、30年くらい、悟りについて考えて来たんですよ。
っていうか、ぶっちゃけそのことしかにしか興味がなかった。
死にたかったんですねぇwww
(誰にも言ったことなかったけど。だって、そんなこと考えてるなんて、頭おかしいじゃんw)
ちなみに、自殺未遂とかしたことないです。
死んだら迷惑かけるから。
どうやったら消えられるんだろうって思ってましたw
魔法使えねぇかなぁとか思ってましたw
ってことで、今日の話。
前段が重い&長いで疲れたら休んでください。
こっからさらにイミフになります、今日のブログw
悟りって、仏陀が瞑想の結果至ったこの世の真理(仕組み)のことなんですけどね。
なんとね、この「悟り」って言葉にした瞬間に「悟り」じゃなくなるんですね。
(だから、禅の世界では「不立文字」とか言って、文字にしないっていう方策を取ってますね)
なんでかを説明します。
って言っても、これを完璧に説明するには、論文レベルで書かないと無理なので、適当に説明しますw
(でっきるかな♪w)
超簡単に言うと………やべぇ、簡単に説明できねぇ!!!w
落ち着け、とりあえず、落ち着くんだ、私w
えと、そうだな。
言葉って、人によってイメージが違うって話は前にしました。
仏陀が観た「悟り」の世界って、1つですよね。(アタリマエだ)
同じイメージを、言語で共有しようとした瞬間に、その人それぞれが「悟り」っていう言葉の上にイメージを載せるんです。
そのイメージはその人固有のもので、それぞれバラバラです。
この時点で、言語によって「仏陀が観た悟りの世界」を完全に共有することが不可能だということがわかると思います。
わかる?例えば、仏陀が「悟りの世界はピンクだった」って言ったとするじゃん。
(言わないと思うがw)
で、その「ピンク」のイメージは人によって違うじゃんね、ってこと。
白っぽいピンクの人も居れば、ショッキングピンクの人もいる。
似たようなピンクを思い浮かべたとしても、光の加減とか透過とかまで全く一致することって難しい。
じゃあ、絵に描いたらどうよ?って思うかもしれないけど、色の識別って脳みそでやるから、脳みそで違う色に処理されちゃったら、もうどうにもならんw
そしてさらに言うなら、同じ色を認識したっていう確認はどうやってやるんですか?っていう話になってくる。
ほら、完全一致無理やろ?
(脳みそ使ってる限りは完全一致は無理です)
じゃあ、どうすりゃいいんだよ?ってことなんですけどね。
そう、「悟り」を体感的に得ようとしたら、イメージするしかないんですよ。
しかも、そのイメージは、全員が一致できるイメージでないといけない。
…やべぇ、これじゃそのイメージがわからない人は悟れないって感じになってる!
違う!違うんだ!
仏陀は超おもろいことを言っています。
ホントは誰もが悟ってる
って。
仏性ってやつですね。
人の中には仏性がある、ってやつ。
でも、私、悟ってないし~とか言う人はどうやったらいいのかって言うと…
ここ!今日イチ大事なところ!
感情を感じる→右脳を使う→イメージする力を使う
そうです。
つまり、言葉で考えることをやめて、感情を感じるんですよ。
考えてる間は感情を感じることは、機能的に不可能なので、思考を止めます。
止める方法は、感情を感じること。つまり体感を感じること。(瞑想とかね)
よく、スピリチュアル的な話で言われる「直観に従ったらいい」とか「ワクワクに従ったらいい」ってのは、「自分の中の仏性を目覚めさせるには、思考を止めて感情に従いましょう」ってことなんですね。
まとめます。
悟りは言語では無理。
悟りは言語ではなくイメージ。
誰でも実は悟ってる。
悟りを実感するためには思考を止める。
思考を止めるためには体感を感じる。
っす。
あ~~~~もう、今日の話、マニアックすぎ~~~~~!!!
ごめんw
書きたかってん、どうしても。
ということで、「悟り」に近づこうと思う人は、瞑想とかしてみるといいんじゃねw?
↑
適当w
悟るとこの世の成り立ちがわかるよ。
↑
私はここにしか興味がないから、悟ったらどうなるかってのはどうでもいいんだけどさw
この世の成り立ちがわかると、この世で起こることを故意に創れる気分になったり(気のせ
い)、感情にとらわれにくくなるから、辛さが減るらしいよ。しあわせになるっぽいよ。
私、悟ってないからわからんけどw
悟りの原理っぽいことは理解してる方だとは思うが。
悟りを使えてないから、悟ってない。
(「わかること」と「使えること」「できること」は同義です)
どうでもいいけど、仏教系の人の顔ってすげぇシンプルだな。
ダライ・ラマも仏陀も。
キリスト系はなんか複雑な顔なんだよなぁ、みんな。
キリストもモーセも。毛がモサモサしてるからかw?
おわり。