バザラスからのアジアン紀行 -8ページ目

近所花見 その4

先月の3月28日(土)、

 

自宅から徒歩30分の

石神井公園に、

 

花見に行きました。

 

花を観て、花に観られる。

 

人は生きて、生かされている。

 

そんな話をこのシリーズで

述べてきました。

 

そんな視点に立てば、

 

仏教で言う自力本願とか

他力本願とかの区別は

無意味になります。

 

その考えは、人間中心に軸足を

置いた時に生まれる捉え方です。

 

主観と客観の観点から言えば、

 

主観で判断する客観に

なるからです。

 

主観より客観の観点の方が、

真理を証明するには評価に

値するとされてきましたが、

 

人間中心主義では、その客観は

あくまで主観が判断しています。

 

古(いにしえ)の賢人は、物事の本質を

射抜くには、忘我・無我が不可欠と

喝破してきました。

 

人新世と言われてている

今の時代では、

 

人間中心主義的主観による

客観性も、有効性を失いつつ

あります。

 

人類が主観を脱ぎ捨てて、

真理的客観に目覚める

時代に突入していると

感じます。

 

近所花見 その3

先月の3月28日(土)、

 

近所の石神井公園に、

 

花見に行って来た。

 

徒歩約30分で、

 

この景色。

 

桜の下は宴会で賑わって

た。

 

でも、人気の無い場所も

あって、良い感じ。

 

石神井って、馴染みの無い人には

結構読み辛い地名。

 

石神井(しゃくじい)って読みます。

 

さて、昨日の続きです。

 

人間は、人間社会とそれを

包含する自然環境によって

生かされている、と述べま

した。

 

自分一人では、生まれてくることも

出来ないし、

 

また、生まれてきても自然環境が

無ければ、呼吸すらままならない

でしょう。

 

自然の呼吸と、人間の呼吸は連動

しています。

 

自然の呼吸が止まれば、人間の

呼吸も止まる。

 

全ての命はひとつながり。

 

人間社会にだけに囚われていれば、

そのことに気が付かないでしょう。

 

つづく。

近所花見 その2

先月の3月28日(土)、

 

近所の石神井公園に、

 

花見に行って来た。

 

日頃は、人出の少ない

石神井公園だが、

 

この日は、花見客で賑わっていた。

 

春霞が掛かった淡い青空と、

 

淡いピンク色の桜花との

コントラスト。

 

ボートでの花見客も多かった。

 

本物のスワンなら、絵になるところ

だが(笑)。

 

昨日は、人は花を観ているが、

花も人を観ていると述べた。

 

人の心に、これまで観てきた

花々が刻まれているように、

 

花々の心にも人の歩みが

刻まれている。

 

人は、花々もその一部である

自然と共に生きている。

 

いや、生かされている。

 

人間を生かしている環境は、

 

人間社会と、それを包含する

地球自然環境の二重構造に

なっている。

 

つづく。

近所花見 その1

先月の3月28日(土)、

 

近所に花見に行って来た。

 

空は快晴だったが、

 

春霞が掛かって、真っ青では

なかった。

 

自宅は練馬区だが、畑も点在している。

 

これは、桃の花だろうか?

 

春が来たよと綻んでいる。

 

人は、花を観ていると思っているが、

 

花も人を観ている。

 

花だけに限らず、

 

万物に人は観られている。

 

人は、自分が生きていると

思っているが、

 

実は、生かされていると言った方が

正解と言う意味で、万物に観られて

いるのだ。

 

つづく。

通勤路

毎週火曜日と木曜日の通勤路。

 

この日は、3月10日。

 

WBC侍ジャパンVSチェコの日。

 

多くの野球ファンが押し掛けた

のだが!!

 

試合当日寸前に、大谷選手欠場の

ニュース。

 

皆さんガッカリだったでしょうね。

 

俺は、そんなことつゆ知らず、

 

帰路に急いだのでした。

 

毎週火曜日と木曜日の

バイトも、3月末で終了。

 

2年8ヶ月間のバイトでした。

 

バイトは、高校の設備管理。

 

物作り専門の高校です。

 

卒業式も終わって、

卒業生は、新天地に

旅立ちました。

 

俺も、旅立たねば(笑)。

 

この記事がUPされる頃には、

 

新たなバイト先で汗をかいている

ことでしょう。

 

たぶん(笑)。