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木嶋佳苗の拘置所日記




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2014年02月28日

裁判員裁判について①

このテーマは重苦しいものになりそうなので、折を見て少しずつ書いていきます。
私の1審は、2012年1月10日から 4月13日までさいたま地裁で行われた。裁判員裁判の審理期間最長記録。100日の超長期になったことや、メディアや世間が狂乱したことや、していないことを罪として認定された判決よりも私が衝撃を受けたのは、裁判員の記者会見だった。
判決公判後に、20代の2人の男性裁判員が会見した。27才の男性だけ、実名を公表し、カメラの前に顔を晒した。びっくりした。ニートかネットカフェ難民かと思われる服装で裁判官の隣に座り続けた彼が、この時だけスーツを着ていたのだ。6人の裁判員の中で、ただ1人法廷で何度も居眠りをしていた彼が、実名で記者会見に臨むなんて信じ難かった。
私は、判決を報じた、いわゆる大新聞とスポーツ紙の記事を全て読んだ。どこの紙面にも、会見で彼が発した「達成感」という言葉が踊っていた。
あれから2年近く経った今でも、彼の発言を読み返しては、絶対に間違っている、と私は思う。大きな遺恨になっている。
27歳の彼は、裁判を通して最も印象に残ったのは、遺族の言葉だと言った。喪失感が大きいと感じた、と。そりゃあ、家族が亡くなれば喪失感があるのは当然でしょう。
死体写真を見た時に、事件のひどさや被害者の悲しみがわかった、とも言った。それと私に何の関係があるわけ?
彼は、審理の中で裁判官と裁判員が結束した、裁判の長さ、負担の大きさが達成感につながった、手口が似ていた為、3つまとめた審理で良かった、とまで言った。
検察の狙いが功を奏したわけです。状況証拠しかない大きな否認事件は、長期の一括真理にすれば、裁判員に仲間意識が生まれて、死刑にしなくちゃいけない使命感を持たせることができるという成功例を作った。検察と裁判所が手を組んで、被告人を有罪にするという信じられぬ構造で、前例ができてしまった。
精神を病み、休職していた彼は、極刑の評議が予測されている否認事件の裁判員を辞退すべきだった、とも思う。彼はその後も、様々なメディアで「達成感」を語っていることに驚愕した。そして、その発言に疑義を出さず、それが正しい捉え方のように報道し続けるメディアにも呆然とした。
私のように、逮捕直後から大々的に報道されてきた事件を、一般市民の裁判員が公正な裁きを下すことは不可能です。職業裁判官も人間ですから、完璧な公正は望めないのも現実ですが。
一般市民の裁判員は、報道を見ないよう指示されても、100日間、新聞もテレビも雑誌もネットも見ないなんて無理でしょう。言い付けを律儀に守ろうとしても、電車の中吊り広告に、私の名前が煽情的な見出しで載っているのだから、先入観なしに判断するなんてできるわけがない。
検察は、証拠で立証できないから「普通の価値観を持っていない悪女」という人格批判と、被害者と呼ばれる人や遺族にことさら感情移入した過剰なパフォーマンスで、裁判体を丸め込んでいった。
私は、逮捕された2009年から1審の12年までバッシングされ続けてきたのだから、その累積的効果で、死刑を下す土壌はできていた。その検察の計略に、裁判員たちは見事なまで嵌まっていった。これって魔女裁判?って思ったもの。
法廷で検察官や遺族が泣いて、殺されたという人の存命中の声やら子供時代の写真や死体映像をじゃんじゃん使って情に訴えれば、裁判員は簡単に騙されるとわかりました。非常に由々しき事態だと思わずにいられません。メディアのマインドコントロールとネットに潜む悪意って凄まじいんだなと実感した1審でした。
この裁判に参加して、達成感を抱いた男性が復職したと知った時には、私の命を懸けた裁判を、リハビリと就職活動に利用されたと思いましたよ。あの突然スーツを着た実名、顔出し会見はその為かと。
裁判員を辞退すべきか、医師に相談するレベルの精神疾患がある人は、裁判員候補者名簿 記載通知が送付されてきた時点で、調査票にその旨を書くべきだし、地裁からの呼び出しがあっても辞退を申し出るべきだと思います。
27歳だったあの男性は、人を殺すことに達成感を持ったと公言したという重大性をわかっているのだろうか。
2014年1月28日記