ヴァイグレ指揮読響 ダン・タイ・ソン(ピアノ)(6月14日・サントリーホール) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

ウェーベルン:夏風の中で

R.シュトラウスの交響詩のようにスケールの大きな作品。ヴァイグレ読響の演奏は緻密で音の混濁のない明晰な演奏。以前ペトル・ポペルカ指揮東京交響楽団で聴いたときはもっと暖かな夏の風を思わせる響きだったが、ヴァイグレ読響は北ドイツのすこしひんやりとした風が吹いている。

 

モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414

ダン・タイ・ソンの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲。これまで彼の弾くショパンやベートーヴェンの協奏曲は聴いたことがあるが、モーツァルトの協奏曲は初めて。

「高貴で端正、清冽で品格があり、特に高音がきれい。トリルではその美しさが際立つ」というピアノは変わりないが、今日はさらにどこか孤独の影を感じた。ベトナム戦争の最中、本物のピアノが使えなかった際、紙の鍵盤で練習していたという有名なエピソードがあるが、今も戦争の影がダン・タイ・ソンの根底に潜んでいるのだろうか。

 

ヴァイグレ読響は8型の小編成。透き通った響き、オペラのように常に歌う演奏は素晴らしい。ヴァイグレの指揮するモーツァルトのオペラを聴きたいと思うような演奏だった。

 

アンコールはショパン「ワルツ イ短調(遺作)」。高音は絶品でガラス細工のように繊細で限りなく陰影の深い音。細やかに編まれた美しいレースのような演奏。

 

ダン・タイ・ソンを表す有名な言葉として「ピアノにハンマーがあることを忘れさせるピアニスト」(仏ル・モンド)があるが、今夜もまたそのような演奏だった。ダン・タイ・ソンを聴く前と聴いた後では世界が違って見える。

 

後半は、シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 作品5

16型。ハープは4台、ティンパニは2組、多数の打楽器という巨大編成。

ヴァイグレの指揮はここでも明晰で、弛緩するところはなく、ダイナミックに悲劇を描いていく。

 

ペレアスとメリザンドの愛の官能性よりも、ゴローが異母弟のペレアスを刺し殺し、メリザンドも衰弱して死に、ゴローが一人残されるという悲劇性を打ち出した演奏。
個人的には第2部のヴィオラとチェロのソロに始まる「城の塔」の場面で二階から長い髪を垂らしてペレアスがその髪を撫で、愛を語るシーンの官能性をもう少し打ち出してくれたら、ゴローが突然登場してペレアスを責める場面の緊迫感とのコントラストがさらに出た気もする。

同じく、第3部のヴァイオリンとチェロによる三拍子の甘美なテーマに始まる愛の場面もすこしあっさりとしている。シェーンベルクはワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の官能性とは異なる《ペレアスとメリザンド》の純愛を描いているため、ヴァイグレの解釈が正しいのだろう。

 

ヴァイグレ読響の演奏は、第4部のメリザンドが死んだ後のゴローのテーマと運命の主題が響き渡るコーダでは悲劇性が際立ち、深みがあった。ヴァイグレは指揮を終わった後しばらく動かず、やがて静かにタクトを下した。

客席に向かって振り向いたヴァイグレの顔には、ベストを尽くしたという表情が浮かんでいた。