シューマン室内楽マラソンコンサート 国際音楽祭NIPPON2024(2月23日東京オペラシティ) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

豪華な出演者によるシューマンの室内楽を一挙に聴く贅沢なコンサート。

フェスティバルならではの初組み合わせもあり、リハーサル時間が限られているとは言え出演者のレベルが高く、素晴らしい演奏が多かった。

 

傑出していたのは、チェロのイェンス=ペーター・マインツヴァイオリンのベンジャミン・シュミットそしてピアノの阪田知樹。

 

第1部のシュミット、マインツ、福間洸太朗によるピアノ三重奏曲第3番と、第4部のシュミット、鈴木康浩、マインツ、阪田知樹によるピアノ四重奏曲は、この日の白眉だった

 

シュミット、マインツ、福間洸太朗によるピアノ三重奏曲第3番は凄かった。福間には申し訳ないが、シュミットとマインツの二人の格が違い過ぎる。特にマインツのスケールの大きさ、単に音が大きいというだけではなく、ヨーロッパ音楽史の厚みと奥行きを実感させる圧倒的な説得力を持つ演奏は圧巻。シュミットのヴァイオリンは知的で均質な響き。

 

第1楽章はピアノ伴奏つきヴァイオリンとチェロのソナタのよう。深みのあるチェロと聞く者を覚醒させる刺激的なシュミットのヴァイオリンが際立つ。
第2楽章後半のロマンティシズム、コーダの弱音の幅と奥行きはこれぞシューマン。第3楽章中間部のシュミットの甘い音は高貴。後半になってやっと福間が2人にからむようになった。コーダの行進曲の追い込みも凄い。第4楽章では3人が対等にやりあう。シュミットは強奏になると立ち上がらんばかりに動きが大きくなる。マインツのチェロも広大な表現力を発揮する。

 

シューマンはロマン派の巨人だったと思わせるスケールの大きさ。ロマン派音楽の本質とは人間の解放だったのだと思わせる説得力があった。チェロのピッツィカートの多彩さと美しさ!これほどピッツィカートというものは美しく鳴るのか。

この演奏にはブラヴォが多数飛んでいた。

 

阪田知樹のピアノはこの日他のピアニストの中でも群を抜いて素晴らしかった。

そのことは、第1部2曲目ピアノ三重奏曲第2番での演奏を聴くとわかる。阪田が弾くとピアノ三重奏曲はピアノが中心にあることをはっきりと感じさせる。それはフォーレ四重奏団のピアニスト、ディルク・モメルツが他の3人の土台、連結器のような役割を果たしていることと同じだ。ピアノは和声を作るのだからあたりまえかもしれないが。

阪田が入った演奏はピアノが生き生きと輝き、ヴァイオリンの辻彩奈とチェロの佐藤晴真によい刺激を与えていた。ヴァイオリンとチェロ付きのピアノ・ソナタという印象さえ受けた。

 

第4部シュミット、鈴木康浩、マインツ、阪田知樹によるピアノ四重奏曲について。

第1楽章ゆっくりと主題動機が出た後、瑞々しい阪田のピアノが美しく始まる。弦の3人と対等に会話を交わしていく。弦は厚みがあり小オーケストラのよう。第2楽章スケルツォは阪田と弦の3人が主題を活発に弾いていく。第3楽章はマインツのチェロが素晴らしく歌う。シュミットも美しく入り、二重唱のよう。ピアノが星のまたたきのように伴奏をつけていく。中間部で鈴木康浩がソロを披露する。柔らかく優しさに満ちた音。シュミットが続きマインツはピッツィカートで参加。最後にチェロが主題を回帰、コーダは夢のように終わった。この曲がシューマンの中でもとりわけ名曲であることを知らしめる名演。

第4楽章は目も覚めるようなフーガに始まる。流麗に流れる阪田のピアノの上で、弦の3人によるフーガ的展開が繰り広げられる。途中のうねうねとした緩徐部分はシューマンらしい。最後は再びフーガ的展開で高揚して終わった。

 

他の演奏についても短く紹介したい。

第2部ヴァイオリン・ソナタ

中野りな、秋元孝介第1番は中野がきれいな音で完璧な演奏、文句のつけようがない。ただどこかコンクールでの演奏のよう。秋元のピアノはややうるさく感じた。

 

ベンジャミン・シュミットと福間洸太朗第2番

シュミットの演奏が粗い。ピアノ三重奏曲とは別人。合わせる時間が足りなかったのかもしれない。福間のピアノはまとまりがあった。

 

辻彩奈と阪田知樹による第3番

ふたりの演奏は誠実で丁寧。ただ第1楽章は感情の動きは激しいものの、中に入っていけない。第2楽章スケルツォと第4楽章フィナーレはヨアヒムのために1853年にブラームスとアルベルト・ディートリヒ、シューマンの3人で書いたF.A.Eソナタ(frei, aber einsam束縛されずただし独り)のシューマン担当楽章。第1、第3楽章は同じ年の10月に追加で作曲した。第2楽章スケルツォも動きが激しいが、何か堂々巡りをしているよう。間奏曲とタイトルがつけられた第3楽章はシューマンらしくロマンティック。ただ訴えるものが少ない。第4楽章も堂々とした演奏だったが、これも内容が良くつかめない。シューマンはこの作品を完成させた翌年ライン川に飛び込み、以降亡くなるまで精神療養所で過ごした。そうした精神状況も反映しているのかもしれない。

演奏機会も少ないようで、会場で会った弦楽器に詳しい渡辺和彦さんはここ20年でプログラム解説を書いたのは一度あるかないかだという。

 

第3部は弦楽四重奏曲

米元響子、小川響子、鈴木康浩、伊東裕による第1番はよくまとまっていた。

 

中野りな、米元響子、佐々木亮、佐藤晴真による第2番は、中野りなのきれいなヴァイオリンがリードし、演奏も爽やかな印象。

 

カルテット・アマービレ(篠原悠那、北田千尋、中恵菜、笹沼樹)による第3番

はさすがに一味違う。4人が同じ方向を向き、何かを訴えようとする力が強い。第2楽章はセンチメンタルな表情。第3楽章は深みがあった。第4楽章もよくまとまっていたが、その先に行くこと、壁を突破できないもどかしさも感じた。

 

第4部はピアノが入った三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲が並ぶ。

ピアノ四重奏曲については先に書いた。

 

幻想小曲集 op.88は、実際にはピアノ三重奏曲。4つの小品の集成のためこのタイトルになった。葵トリオは常設の三重奏団だけに緊密で、爽やかな演奏。第1楽章ロマンツェは古典的な均衡があった。第2楽章フモレスクの同じような動機を繰り返す点はシューマンらしい。第3楽章デュエットはヴァイオリンの小川響子とチェロの伊東裕が良く歌う。第4楽章フィナーレは行進曲風に進む。コーダは一転ピアノが美しく連符を重ねていき、最後はプレストで一気に締めた。

 

葵トリオによるコンサート冒頭に演奏されたピアノ三重奏曲第1番について。

力強さを持った作品とはいえ、ピアノの秋元孝介が少し粗い。第1楽章は情熱的に3人が演奏。展開部はシューマンの独創性が発揮される。ピアノが三連音を鉄琴のような高い音で打ち鳴らし、チェロとヴァイオリンが駒の近くで弾く。第2楽章はピアノの上行に続き弦も上行でついていく。3人は活気があった。第3楽章はシューマンらしい詩的で抒情的な緩徐楽章だが、3人の演奏はもう一歩中に踏みこんでほしかった。第4楽章は開放的で明るく進む。コーダは若々しい活力があった。

葵トリオの人気の高さを示すように拍手が盛大に起こった。

 

コンサートのトリは、この音楽祭の芸術監督を務める諏訪内晶子のほか米元響子佐々木亮マインツ、シュミット、ホセ・ガヤルドによるピアノ五重奏曲

第1楽章マインツの弾く第2主題が大らかで素晴らしい。ピアノのガヤルドは温かみがある演奏。諏訪内晶子は意外にもおとなしく、あまり前に出てこない。第2楽章の葬送行進曲風主題は重過ぎない。第3楽章スケルツォ、ピアノのガヤルドが鮮やかに弾いていく。第4楽章は力強く進んだ。結尾の第1楽章第1主題とこの楽章の第1主題による二重フーガは一体感があった。長いコンサートの終わりにふさわしい盛大な拍手が巻き起こった。

 

昨年のブラームス室内楽マラソンよりも休憩時間を長くとり、その分楽器編成ごとにまとめたプログラムは、あわただしく食事に駆け込むことなく聴き手にとって余裕ができ、ありがたかった。

 

出演

諏訪内晶子(Vn/芸術監督)、ベンジャミン・シュミット/辻 彩奈/中野りな/米元響子(Vn)、佐々木 亮/鈴木康浩(Va)、イェンス=ペーター・マインツ/佐藤晴真(Vc)、ホセ・ガヤルド/阪田知樹/福間洸太朗(Pf)、葵トリオ(秋元孝介、小川響子、伊東裕)、カルテット・アマービレ(篠原悠那、北田千尋、中恵菜、笹沼樹)

 

曲目

〈オール・シューマン・プログラム〉

〈第1部 11:00〉

・ピアノ三重奏曲第1〜3番

〈第2部 14:00〉

・ヴァイオリンソナタ第1〜3番

〈第3部 16:00〉

・弦楽四重奏曲第1〜3番

〈第4部 19:00〉

・幻想小曲集 op.88

・ピアノ四重奏曲

・ピアノ五重奏曲