ジョン・アダムズ×都響 (1月18日・サントリーホール) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

現代音楽のコンサートとは思えない聴衆の多さ。90%以上客席は埋まっていたのではないだろうか。ジョン・アダムズの人気なのか、ミニマル・ミュージックのファンが駆け付けたのか。作曲家自らタクトを振るという機会は貴重だ。しかも初来日。

 

ジョン・アダムズ:アイ・スティル・ダンス(2019)[日本初演]はアダムズの長年の友人二人、初演を多く手掛けてきたマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)とトーマスの夫でマネージャーでもあるジョシュア・ロビンソンに捧げられた。タイトルはジョシュアがアダムズの質問に答えた際の言葉からとられている。

 

この2人には思い出がある。ソニー・ミュージックでクラシックのマーケティングを担当していた1992年7月18日、札幌に出張して当時パシフィック・ミュージック・フェスティバルの音楽監督を務めていたMTTのサイン会を札幌駅前の地下街で行い(100名近く集まりジョシュアも喜んでいた)、翌日は札幌市民会館での公演(マーラー「交響曲第1番《巨人》」 他)を聴いた。このイベントやコンサートで二人に会ったが、当時はアーティストとマネージャーという認識でまさか恋人同士とは思わなかった。公演後の楽屋には佐渡裕、大植英次、十束尚宏も来ていた。

 

作品はアダムズによると「ダンス形式というよりもトッカータとの共通点が多い」という。8分ほどの曲だが、内声部の響きがカラフル。エレクトリックベースや和太鼓を含む打楽器が活躍する。ジャンベというアフリカの太鼓も目立っていた。4拍子の部分には明らかにジャズの影響、雰囲気が濃厚に感じられた。最後にやわらかく終わるところに、アダムズのセンスの良さを感じた。

 

ジョン・アダムズ:アブソリュート・ジェスト(2011)ではエスメ弦楽四重奏団が共演した。

生で聴くのはフェスタサマーミューザKAWASAKI2021で原田慶太楼指揮東響、カルテット・アマービレで聴いて以来。

弦楽四重奏とオーケストラのバランスを取るのは難しく、初演の半年後400小節を書き直したという。

エスメ弦楽四重奏団の前にはマイクが立てられ、薄くPAを入れオーケストラとのバランスを取る。弦楽四重奏はいいバランスで聞こえてきた。《第九》のスケルツォのリズムにのせて(ティンパニが活躍)、交響曲第8番の動機や弦楽四重奏曲第16番第2楽章スケルツォの動機が登場する。

管弦楽部分の盛り上がりも熱狂的だが、コーダはフェイントをかけるように上昇音階がピアノとヴィブラフォンでとぼけた感じで鳴らされ、ユーモラスに終わった。

 

アダムズの指揮はそれほどうまいとは思えないのだが、ゲスト・コンサートマスター水谷晃をはじめ、都響の楽員にはアダムズへの尊敬、共感があふれ出ており、とにかく演奏が熱い。エスメ弦楽四重奏団もうまい。日の出の勢いがあるクヮルテットであることがよくわかる。エスメのアンコールはベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130より 第2楽章プレスト

 

後半は、ジョン・アダムズ:ハルモニーレーレ(1984-85)。インタビューではこのドイツ語のタイトルの意味は「和声レッスン」で、ミニマリストとワーグナーの「パルジファル」やドビュッシー、シベリウスなど世紀末ロマン派の和声を合わせたと答えている。世界中のオーケストラから演奏依頼が舞い込む人気曲だが、ウィーン・フィルからは来ないとユーモアを交えて語る。インタビュー↓

https://youtu.be/Qxu8GhMLrGc?si=SUNYqKLOpBcw0Hkf&t=523

 

全40分の大作だが、聴いていてまったく弛緩するところがない。第1部冒頭の激しい金管木管と打楽器によるホ短調の和音連打から一気に聴き手を引き入れる。シンコペーションのリズムでミニマル・ミュージックがカラフルな響きで進む。

中間部のアダムズが「憧憬」と呼ぶ、ゆったりとした旋律が続く部分は、ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》を思わせる。

moving ahead gradualy but maximam flexsibility「徐々に前進しつつ、最大限の柔軟性を発揮して」と指示された中間部の頂点は、都会的でガンサー・シュラーのジャズを思い出した。シュラーはジャズとクラシックの垣根を払いサードストリームというジャンルを提唱し、オリヴァー・ナッセンら現代音楽の作曲家を育てた。

 

第2部冒頭はまさにワーグナー「パルジファル」の世界だ。タイトルもずばり「アンフォルタスの傷」。ここでは長いトランペットのソロがあり、岡崎耕二ががんばった。演奏後アダムズが立たせていた。コーダのクライマックスはマーラーの未完の交響曲第10番へのオマージュだという。不協和音がffffで最強奏され、大太鼓が凄まじい音で連打される。

 

第3部「マイスター・エックハルトとクエツキー」のタイトルはアダムズが見た夢からきている。中世のキリスト教神学者、神秘主義者マイスター・エックハルト(1260?-1328?)の肩の上に生まれて間もないアダムズの娘エミリー(あだ名はクエツキー)が座り、星々と浮かんでいるという光景に霊感を得たとのこと。

エックハルトの思想は「一切の神のイメージを持つことから脱し、神と合一した自己をも捨てた究極の無を目指す」というもので、そのためローマ教皇庁から異端の告発を受け、現在に至るまで名誉回復はなされていない。

 

フルート、ピッコロの煌めくような6連符の上に、アダムズが言う「優しい子守歌」のように弦が長いフレーズを弾いていく。星が輝く夜空を思わせる。

やがてそこに細かな躍動、付点リズムが加わり徐々にクレッシェンドしていく。金管なども加わり響きは輝きを増していく。一定のリズムが保たれ、ミニマル・ミュージックの手法が最大に生かされる。金管が輝かしく吹かれ、打楽器群も加わり、最後は壮大な変ホ長調の和音が鳴り響いて終わる。

 

第2楽章から第3楽章にかけては、アダムズと都響の集中力と熱気が最高度となり、生演奏独特の何かが爆発したような感触、別次元に入っていく感覚を味わった。

 

演奏後客席上階から沸き起こったブラヴォの大合唱にアダムズは感激した面持ちだった。やり切ったという充実感からか、都響の楽員もニコニコしており、みなさんとてもいい顔をされていた。

 

カーテンコールは何度も続き、楽員が引き揚げても拍手は終わらず、アダムズは平服に着替えたエスメ弦楽四重奏団のメンバーとともに登場した。

 

公演後、ロビーでは都響楽員による能登半島地震の募金が行われた。ミューザ川崎シンフォニーホールのロビーでご挨拶したことがある第2ヴァイオリン首席の遠藤香奈子さんを見つけ、ささやかながら寄付させていただいた。

写真©都響