東京春祭 リッカルド・ムーティ指揮 ヴェルディ「仮面舞踏会」(演奏会形式) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(3月28日・東京文化会館大ホール)

2021年4月のヴェルディ《マクベス》と匹敵する、ムーティ指揮東京春祭オーケストラの驚愕の演奏が、今回の《仮面舞踏会》でも再現された。
ムーティの指揮のもと、東京春祭オーケストラは、ミラノ・スカラ座の引っ越し公演でも聴いたことのない血がたぎるような響きを奏で、ヴェルディのドラマの深層を管弦楽により完璧なまでに明らかにした。

 

国内主要オーケストラの首席奏者と、実力ある若手演奏家で構成された東京春祭オーケストラのメンバー表が、会場で販売されるプログラム(300円)に掲載されている。コンサートマスターは読響の長原幸太。隣にはN響コンサートマスターの郷古廉。さらに2プルト目表には東響コンサートマスター小林壱成、3プルト目表は東京フィルコンサートマスター依田真宣と4人のコンサートマスターがそろい踏み、第4プルト裏には葵トリオの小川響子が座るという豪華な布陣。

 

他のセクションの首席も凄い陣容。第2ヴァイオリンは大阪交響楽団コンサートマスター林七奈、ヴィオラは新日本フィル首席瀧本麻衣子、チェロはソリスト、紀尾井ホール室内管メンバーでもある中木健二、コントラバスは芸大フィルハーモニア管首席の赤池光治。

 

フルートはフィンランド放送響首席小山裕幾、オーボエは読響首席金子亜未、クラリネットは読響首席中舘壮志、ファゴットは都響首席長哲也、ホルンは群響首席濵地宗、トランペットは読響首席辻本憲一、トロンボーンは読響首席青木昴、ティンパニは東響首席清水太が参加した。

 

第1幕第2場冒頭、ウルリカの家の場面の管弦楽がすさまじい。驚愕の和音が激しく鳴らされ、緊迫する不気味な音楽が奏でられる。これほどおどろおどろしい音楽、演奏を聴くことは、そうはないのでは。

 

第3幕第1場のリッカルドを誰が殺すのか、レナーがアメーリアにくじ引きを強要する場面でティンパニが二度ダダダンという叩きつける音も雷鳴が目の前で轟くような衝撃があった。

 

これで一昨年の「マクベス」と同レベルの歌手陣が揃えば文句なしだが、この日は主役のリッカルドアゼル・ザダ(テノール)の存在感が薄く、画竜点睛を欠くことになってしまった。声が薄く感情が伝わらず、リッカルドに成りきっていない。逆に腹心の部下レナートのセルバン・ヴァシレ(バリトン)が重量感のある渋みのある声で、リッカルドとアメーリアの逢瀬に苦しむレナートの苦渋と怒りを良く歌っており、リッカルドよりも大きく見えた。

 

ただ、ザダはレナートに刺され、瀕死の中でアメーリアの潔白を証明、レナートなどすべての者を許すと告げる最後の場面では、遂に本領を発揮し、文字通りの絶唱で魅了した。明日3月30日18時半からの公演では、調子を取り戻すのではないだろうか。

聴きたいが、仕事の都合で行けないことが残念だ。

 

ウルリカユリア・マトーチュキナ(メゾ・ソプラノ)が圧巻。出番は第1幕で終わるため、先にカーテンコールに登場したが、拍手とブラヴァがこの日一番多かったかもしれない。

 

アメーリアジョイス・エル=コーリー(ソプラノ)は声量があり、劇的な高い声も迫力充分だが、アメーリアの苦悩を表現するには少し逞しい歌唱に感じた。

 

オスカルダミアナ・ミッツィ(ソプラノ)は、軽やかできれいな高音で素晴らしかった。

 

日本人歌手も好演で、サムエル山下浩司、トム畠山茂は、海外の歌手の中にあって引けをとっていなかった。

シルヴァーノ大西宇宙(バリトン)は、声量、役作り、フレージングが素晴らしく、存在感が大きかった。判事の志田雄二(テノール)、アメーリアも召使いの塚田堂琉(テノール)も好演。

 

東京オペラシンガーズが今回も充実の合唱を聴かせた。合唱指揮の名がプログラムにないが、キハラ良尚。各幕のクライマックスの管弦楽と一体となる迫力は、ヴェルディの醍醐味。リッカルドがレナートに刺される場面での驚きと非難、コラールのような宗教的な最後の合唱も印象に残った。

 

歌手へのカーテンコールがひととおり終わり、最後にムーティが登場すると、会場は総立ちになった。仰ぎ見るような存在感と指導力を持つカリスマ。オーケストラのメンバーやコーラス、バンダの若手奏者にも温かい気配りを忘れない人柄にも感動した。
チェロの中木健二は立派なソロを披露したこともあり、終演後奏者を立たせていく中で、ムーティが中木の頬を優しくなでて讃えると、涙で顔がくしゃくしゃになった。