(9月9日・サントリーホール)
やはり、大野和士は歌の人だった。ヤナーチェク「グラゴル・ミサ」は、昨年の≪ニュルンベルクのマイスタージンガー≫と同等、いやそれ以上の圧巻の演奏(指揮)だった。
声楽陣が本当に素晴らしかった。特に新国立劇場合唱団(女声36名、男声24名)がこれ以上望めないのではと思える完璧な出来。
ソリストも全員が良く、中でもソプラノ小林厚子が筆頭にくる。豊かで奥行きと伸びやかな声。テノール福井敬もさすが。アルトの山下裕賀、バスの妻屋秀和も安定感があった。
今回は第1稿を使ったので、最初と最後にオーケストラによる<イントラーダ>が置かれた。<序奏>は「シンフォニエッタ」風のファンファーレで始まる。金管はまずまず安定。
〈キリエ〉(歌詞はラテン語ではなく古代教会スラヴ語、グラゴル文字)を合唱が歌い始めたとたん、その完璧な合唱に驚嘆した。新国立劇場合唱団のうまさは何度も経験したが、今回は最高レベルではなかったか。合唱指揮は冨平恭平。
チェロの響きが素晴らしかった。首席は古川展生。フルート・ゲストの読響首席フリスト・ドブリノヴのソロがうまい。小林厚子のソロが素晴らしい。
<グロリア>グラゴル語ではSlavaは小林厚子のソロで始まるがこれがまた素晴らしい。新国合唱団も大野和士都響も一体となっている。声楽ものでの大野和士の手腕が発揮されていた。
中間部前のティンパニのソロ(安藤芳広)が見事。テノールの福井敬が合唱と応答する部分も盛り上がる。アーメンはAmi Ami(アミ、アミ)と繰り返される。
全曲の中で最も長い<クレド>は、冒頭の低弦(バスクラリネットが重なる)が素晴らしい響き。ここでも合唱団のAmi Ami(アミ、アミ)が耳について離れない。
クラリネットのソロ(サトーミチヨ)が光る。
管弦楽による第2部も聴きごたえがあった。導入部では3本のクラリネットが舞台裏で演奏する(下手側の扉が開けられた)。
すごかったのは、第3部に移行する部分でのオルガンソロと3対のティンパニが競演するところ。ここはスリリング。オルガンの大木麻理が奔放なまでの演奏だった。弦も渾身の力で弾く。改訂版ではオルガンのみなので、第1稿ならではの醍醐味。
第3部冒頭はこの作品の頂点かもしれない。「われらのために十字架につけられ (ポンツィオ・ピラトのもとにて)苦しみを受け、葬られたまえり」の劇的な高まりと弦の悲痛な高音のあとの突然の休止は、十字架上でのキリストの死の瞬間に違いない。
テノールとバスが続き、最後はアーメン、Ami Ami(アミ、アミ)が繰り返される劇的なコーダ。
<サンクトゥス>はハープ、チェレスタと澄み切った弦に続き、ソリストと合唱がSvet Svet Svet(聖なるかな)を歌い交わす。最後も、「天のいと高きところにホザンナ」(Osanna vo vysnich)が繰り返された。ホルンが良かった。
最後の<アニュス・デイ>の冒頭の管弦楽の神秘的な響きが透明。アカペラの合唱が最高。特に女声の澄み切った合唱は美の極致。ソリスト妻屋秀和、福井敬、山下裕賀、小林厚子のソロも入魂。
大木麻理の長いオルガン・ソロは圧倒的。聴きようによっては、ロックのようでもあった。これは神の怒りなのか、天変地異なのか!
イントラーダの最後を締める大野和士の気合の声がオーケストラの強奏を突き抜けてホールに響き渡った。
ヤナーチェク「グラゴル・ミサ」の生を聴くのは初めてだが、これだけ完成され、完璧な合唱で聴けたことは幸運。音楽シーズンの下半期が始まって早々に、早くもナンバーワンと言いたくなる演奏に遭遇した気がする。
前半のドヴォルザーク「交響曲第5番」は、ホールの響きもあり、9月3日のブラームス「交響曲第2番」のような混濁が少なく良かったが、「グラゴル・ミサ」が素晴らし過ぎたこともあり、印象が薄くなってしまった。ヴァイオリンとチェロの響きがとても良かったことと、フルートのドブリノヴの爽やかな音がオーケストラに心地よい刺激を与えていた。
写真:©都響