大野和士と都響 黄金時代の始まりか ベートーヴェン《第九》の名演 | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(12月24日・東京芸術劇場)

大野和士と都響の黄金時代の始まりを告げるかのような《第九》の名演。
サントリーホールでのショスタコーヴィチ「交響曲第5番」(12/20)は大野&都響の新たな時代へのターニングポイントとなったと先日書いたばかりだが、さっそくその予感が的中したことが嬉しい。

 

都響は14-12-9-8-7という編成。コンサートマスターは矢部達哉。

 

全体の印象としては、《第九》に積み重なった解釈の澱を木の皮を剥ぐように取り除き、生の木肌が現れたような生々しい演奏とでも表現したらいいかもしれない。触れると火傷しそうに熱い演奏とも言える。

 

第1楽章第1主題は断固とした意志表示のように切れ味鋭くはじまる。推移楽節は奔流が渦巻くような強い流れで進む。

 

木管の第2主題が怒りを静めるように美しく奏でられる。柳原佑介のフルートが美しく立ち上がってくる。再現部のffのクライマックスでは、チェロ群の渾身の演奏が目立っていた。チェロ首席は読響の富岡廉太郎がゲストに入っていたように見えた。

 

エネルギーをしっかりと溜め込んだ決然としたコーダも素晴らしい。

 

大野の力感に富んだ指揮に敏感に反応する都響。これまでなら、どこか無理があるように感じられたものが、すっと耳に入ってくることが不思議だ。

 

第2楽章スケルツォは切れがよく雄々しさもある。トリオのホルンのソロも良い。チェロも気合が入っている。スケルツォ再現はより重厚さを増した。

 

今回の演奏で唯一不満足なのは、第3楽章。重厚ではあるが、どこか中途半端で、もっと深く掘り下げられるのではと感じた。ファンファーレでトランペットがすこし外していたが、今日25日(土)14時東京文化会館と26日(日)14時サントリーホールでは修正されるだろう。

 

第3楽章が終わったところで、二期会合唱団58名(女声30、男声28)と、ソリスト4人、小林厚子(ソプラノ)、富岡明子(メゾソプラノ)、与儀巧(テノール)、清水勇磨(バリトン)が入場し、舞台奥に並んだ。

 

合唱団の58名はこれまで聴いた3つの《第九》公演(新日本フィル、東響、読響)の倍近い人数で驚いた。コロナ禍の前ならあたりまえだっただろうが、現時点では最大規模だ。合唱指揮はキハラ良尚。

 

その効果は絶大で、第4楽章の圧倒的な高揚感と充実感はまさにこの合唱の貢献が大きい。《第九》の演奏の成否のかなりの部分は合唱が握っていることを改めて気づかせてくれた。

 

以下の合唱の聞かせどころはすべて素晴らしかった。

“Und der Cherub steht vor Gott!”「そして神の御前に立っているのは智天使ケルビヌだ!」や、” Brüder! überm Sternenzelt  Muß ein lieber Vater wohnen”「兄弟たちよ、あの星空の天幕の上には愛しい父が住んでいるに違いない」、アレグロ・エネルジコ、センプレ・ベン・マルカートの二重フーガ、最後のマエストーソの“Freude, schöner Götterfunken”「喜びよ、神々の美しい花火よ」など。

 

バリトンの清水勇磨の第一声がやや不安定に聞こえたが、四重唱では持ち直していた。他のソリストは安定していた。

 

大野は最後をプレスティッシモで猛烈に追い込み、場内大興奮だった。

 

今後も大野と都響の演奏に注目していきたい。

 

写真©都響