安井陽子(ソプラノ)、清水華澄(メゾソプラノ)、宮里直樹(テノール)、加耒徹(バリトン) 新国立劇場合唱団
ワーグナー「楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲」が最初に演奏された。分厚い響きだが、対位旋律の数々がよく聞こえてくる堂々とした演奏。
休憩なしでベートーヴェン《第九》に入るのは緊張感が途切れないので、良い進行方法。
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱付」
オーケストラは12型のレギュラー配置。秋山は基本的にインテンポで進めていく。ヴィブラートをかけるごくオーソドックスな骨太の演奏。昨今の古楽奏法を取り入れたすっきりとした響きと比較するとずいぶん古風に聞こえる。
それでも我が道を行く秋山の微動だにしない演奏は説得力があり、安心感をあたえる。
第2楽章スケルツォが終わったところで、ソリストの安井陽子(ソプラノ)、清水華澄(メゾソプラノ)、宮里直樹(テノール)、加耒徹(バリトン)と38人の新国立劇場合唱団が入場、ステージ奥に並んだ。
第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレも淡々と進むが、根底に歌が溢れており、音楽が聴き手の心に素直に入ってくる。東響の各奏者もその歌に乗ることで自然にひとつになる。
第4楽章の低弦のレチタティーヴォは大きなフレーズで堂々と歌われる。一つ一つの楽節を確かめながら進めていく。
やがて、ピアニシモでかすかに歓喜の主題が始まる。ヴィオラの歌もゆっくりと丁寧に弾かれる。こういうオーソドックスな《第九》はやはりいいなと思う。
全管弦楽による歓喜の主題も落ち着いている。
プレストとなり、加耒徹の第一声が響き渡る。歌詞をしっかりと歌う。
合唱は言うことはない。秋山の指揮のもと、落ち着いた合唱を繰り広げる。ソリスト4人も秋山のもと丁寧な重唱。安井陽子、清水華澄、宮里直樹は安定しており、宮里のソロも勇壮。アンダンテ・マエストーソでのトロンボーンとゆったりと歌われる合唱が荘厳。
「星の遥かに主は住みたもうのだ」の合唱の精度も素晴らしい。
二重フーガの合唱は完璧。
アレグロ・マ・ノン・タントからソリスト4人の重唱、プレスティッシモのコーダは、それまでの集大成という高揚感に満たされる。最後はややテンポを落として壮大に盛り上げ、プレストで一気に終結に駆け込んだ。
こういう第九を聴きたいという秋山ファンの希望を満たす堂々とした演奏だった。
アンコールに東響の《第九》恒例の「蛍の光」が美しい前奏に続いて歌われた。徐々に暗くなっていく中、指揮者にスポットライトが当たり、最後は歌手陣全員が持つペンライトだけの灯りとなる演出は以前ジョナサン・ノットの《第九》でも体験したが、なかなかいい雰囲気。