高関健 東京シティ・フィル ブルックナー「交響曲第8番」(ハース版) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(8月12日・東京オペラシティ)

高関健指揮、東京シティ・フィルのブルックナー「交響曲第8番」(ハース版)は、これまで聴いた高関の名演の中でもベストの一つだった。同列に並ぶのは、シティ・フィル常任指揮者就任記念のスメタナ《我が祖国》(2015年4月11日)、そしてベルリオーズ《ファウストの劫罰》(2016年3月25日)の二つ。
 

シティ・フィルの弦は12型だが、管は3管編成、ホルンはワーグナーテューバ持ち替えを含む8人のフル編成。ハープは2台だった。

ミューザで飯守泰次郎指揮の《ロマンティック》を演奏した時よりもアンサンブルはタイトで、集中力があった。磨き抜かれた弦、輝かしい金管、美しいオブリガートを奏でるフルートをはじめとする木管の演奏は見事なものだった。

第1楽章からテンポは遅めで、土台がびくともしない構造を持っていた。冒頭のヴァイオリンのトレモロから気合が入り、第1主題は金管の総奏で壮大に確保される。第2主題は息の長い旋律線をしっかりと保ち、第3主題のホルンも決まり、トランペットのファンファーレに続く最初の頂点も輝かしい。展開部のクライマックスも力強く、コーダのブルックナーが「死の予告」と称した信号音の金管の強奏も決然としている。

 

第2楽章スケルツォも隙がなく締まった演奏で、特にスケルツォ後半の金管群が素晴らしい働きを見せた。トリオは雄大な表情があった。


第1、第2楽章が素晴らしかったが、しかし、圧巻は第3、第4楽章。
 

第3楽章をこれほど遅めのテンポで聴くのは久しぶりだ。演奏時間は約28分。
ハース版を使ったブーレーズの24分、朝比奈隆&大阪フィルとカラヤン&ウィーン・フィルの25分よりも長く、ヴァント&ミュンヘン・フィルとほぼ同じ長さ。

冒頭の3連音から、息の長い第1主題、チェロに始まる第2主題も、テンポが全く揺るぎなく保たれるのは驚異的で、高関の指揮力の高さに感嘆した。
シティ・フィルの演奏も最高度の集中度が発揮され、弦の艶、輝かしい金管、ワーグナーテューバのハーモニーなどいずれも惹き込まれる。


高関がプレトーク(プレトークについては最後にまとめました)で話した事件の個所。その顛末は『某洋酒系ホールでの第8番。二回目のシンバルが鳴りハープが入ってきたあとdes-mollの美しい場所で、携帯の時刻アラームが鳴った。同じことが二度あった。それが丁度8時。だから今日は7時3分に開始させてください。』というもの。


今回はシンバルの後の浄化されるような美しい場面で、アラームではなく、大きな咳がきこえたのには思わず失笑してしまった。高関はよほど運が悪いのだろうか。

 

第4楽章も遅めの揺るぎないテンポを維持、ブルックナー休止に至る緊張感は終始保たれた。「死の行進」と言われる提示部最後のティンパニの強打とともに始まる荘重な部分も堂々としている。


それが終わるとノヴァーク版ではカットされている211小節から230小節のソロ・ヴァイオリンを含む静かな場面に入り、やがてホルンの穏やかなハーモニーにつながっていく。ここはノヴァーク版で聴きなれた耳には新鮮な感覚があった。
再現部の金管の咆哮とともに叩かれるティンパニの強打も強烈。

 

テンポが遅いまま、悠然と進むコーダは今夜の演奏のクライマックスを合計した総決算のよう。それまでのすべての主題が一斉に咆哮するが、それぞれかなり明確にオーケストラから聞き取れた。

 

この演奏は高関にとっても会心の出来だったのではないだろうか。
スタンディンクオベイションをする聴衆も多く、高関のソロカーテンコールとなった。


 

付記;高関健のプレトークの内容

高関は開演前のプレトークで、第8番には思い入れがあると語った。中2の頃NHKのFM番組でブルックナーの版の違いについて解説があり、興味を持ちハース版のスコアを買った。クナパーツブッシュ、ミュンヘン・フィルのレコードを買ったが全然違う。

初めて第8番の生を聴いたのはマタチッチの代役で森正がN響を指揮した1970年代初めころ。スコアを見ながら聴いていたので、どんな演奏だったか思い出せない。感動したのは75年朝比奈隆大阪フィルの演奏。


留学先のベルリンでリハーサルを含めヨッフム、ベルリン・フィルの第8番を3回も聴いた。休憩中にヨッフムがハース版のスコアを使っていたことを確認、同時に第3、4楽章はノヴァーク版と同じカットがあることを知った。ヨッフムがスコアに何度目の演奏かを書いてあるのを見たら1978年の段階でなんと86回目だった。
高関は今回が12回目だという。演奏時間は1時間25分くらいになると付け加えた。

 

高関は、今日はスコアのかわりのお守りにポール・ホークショーが執筆した校訂報告書を譜面台に置くと話し、ブルックナーが人の意見に影響を受けやすい人だったことは第7番の初演をしたニキシュがシンバルを入れることを提言、結果が大成功だったため、第8番にも入れたことでわかるという例をあげながら、弟子達の改訂にかかわるエピソードを語った。


第8番については第3番、4番《ロマンティック》ほど弟子たちの関与はないものの、シャルク、レーヴェなどが、作曲の最中から積極的に関わっている。彼らはブルックナーが書いた楽譜を持ち出し第1、第2楽章を四手連弾用に編曲するなどしていたという。

 

1890年稿は関与の事情がわかりにくい。ブルックナーの修正は、第1楽章は写譜に手を入れている。第2楽章はすべて自分で書いている。第3楽章は3回書き直している。第4楽章は自筆譜に手を加えている。
今回は先にあげた本を見ながら、ネットで見られる自筆譜を調べつくした。

 

今日はハース版を使う。ノヴァーク版に較べ、第3楽章は10小節長く、第4楽章は40小節長い。カットしないほうが曲の流れが良い。ハースが勝手につなげたと言われたところも後からブルックナーの自筆が出てきた。
シャルクが手を入れたと思われる部分は消して今日は演奏する。いつもみなさんが聴かれているものとはかなり違う印象を持たれるだろう、と話を締めくくった。

その箇所がどこか、高関は示さなかったが、展開部後半の長く続く静謐な弦の動きは、初めて聴いたような気がする。これがその部分だろうか。第1主題が再現するまで、どこかをさまよっているように随分時間がかかるが、その長さはブルックナーの悠久の時のようであり、作曲家本人はこう書きたかったのだろうという説得力があった。

 

 

高関健© Masahide Sato