フェスタサマーミューザKAWASAKI2020 尾高忠明&東京フィル 戸澤采紀 佐藤晴真 田村響 | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(8月2日・ミューザ川崎シンフォニーホール)
前半はベートーヴェン「ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲」。
東京フィルは12型。

ソリストはヴァイオリンが戸澤采紀(とざわさき)、チェロが佐藤晴真(さとうはるま)、ピアノは田村響(たむらひびき)。
生年は戸澤が2001年(19歳)、佐藤が1998年(22歳)と若く、田村が少し上で1986年(34歳)。

 

3人は「フレッシュ三人組」と呼びたくなる新鮮で活気に満ちた演奏を披露した。
ヴァイオリンの戸澤は、まっすぐでキリリと引き締まった音。
チェロの佐藤はたった今切り出されたヒノキの香りが漂うようなキレのいい響き。
田村はこのふたりより一回り年上であることを示すように落ち着いた音色で、安定感は抜群。

第1楽章はオーケストラが堂々と主題提示を終えると、佐藤の晴れやかなチェロ、戸澤のピュアな音色のヴァイオリン、田村の明るく軽やかなピアノが第1主題をつないでいく。その流れは息が合っており、3人が音楽性を合わせ同じ方向を向いていることを示していた。

 

第2楽章は田村の弾くアルペッジョの上で奏でる戸澤と佐藤の音の重なりが、心洗われるように美しいものがあった。

短いカデンツァから休みなく第3楽章に入りロンド主題を奏でる佐藤の気迫のこもったチェロにゾクッとした。
3人のソロが楽しいポロネーズ風の中間部を経て、ロンド主題となり、最後は一気呵成にコーダに飛び込んでいった。

 

尾高&東京フィルは3人をよくサポートし、万全のバックを務めていた。
ソリスト3人への拍手は熱烈で、アンコールにフォーレの「夢のあとに」が演奏された。
 

チャイコフスキー「交響曲第5番」は、オーケストラが14型にスケールアップ。尾高は東京フィルの力を100‰引き出した。
金管は豪快に鳴る。ホルンは安定しており、首席の高橋臣宜(たかのり)は第2楽章のソロを朗々と吹いた。

 

しかし、管楽器の今日のヒーローは、クラリネット首席のアレッサンドロ・ベヴェラリだろう。チャイコフスキーには少し明るい音色だが、歌心たっぷりに、第1楽章冒頭の主題、第2楽章中間部モデラート・コン・アニマの主題を流れるように滑らかな演奏で聞かせ魅了した。終演後ホルンに続いて尾高が立たせたのも当然だ。

見事な演奏を聴かせてくれたコンサートマスター近藤薫以下、東京フィルのメンバーにブラヴォを送りたい。

 

尾高の指揮は、バランス感覚に優れ、端正なフォームの中に熱気も充分こめられており、素晴らしいと思うけれど、個人的には感動にまで至らなかった。オーケストラのコントロールは抜群だが、もうひとつ心に訴えてくるもの、作品の持つ感情が聞こえてこなかった。
 

たとえば、第1楽章第2主題。モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォ(よく歌うように、表情豊かに)とチャイコフスキーは書いている。表情豊かにということは、喜怒哀楽の感情が込められるべきではないだろうか。尾高の表現は、磨き抜かれた音ではあるが、そうした感情の襞があまり感じられない。

第2楽章のホルンのソロにも、ドルチェ・コン・モート・エスプレッシーヴォ(柔らかく動きをつけて表情豊かに)と書かれている。ソロは雄大ではあるが、聴いていて感情移入ができない。

 

絢爛豪華なクライマックスの数々も、確かに金管は咆哮し、熱気が感じられるが、血湧き肉踊るとはいかず、興奮は呼び覚まされない。

尾高は英国での活躍が長く、感情を露わにしないイギリス人気質をも身にまとったのだろうか。
そういえば、7月11日に新日本フィルを指揮したブラームス「交響曲第1番」も熱狂と構成とのバランスをとった演奏だった。それが尾高の持ち味ということだろう。

 

アンコールはコロナで命を落とした志村けんさんと岡江久美子さんをはじめ、犠牲者を追悼するため、チャイコフスキーが支持者の死に際して書いたエレジー「イワン・サマーリンの栄誉のために」が弦楽で演奏された。
 

尾高忠明©Martin Richardson 戸澤采紀©Smile Style Studio 佐藤晴真©ヒダキトモコ 田村響©武藤章